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春よ来い。車窓の記憶

『春よ来い』・・・春が近づいて、ユーミンのこの曲が似合う時節になると、

いつも箱根の山を
車で通り抜けたくなるんです。
どこかで降りたいわけではなくて…。

ひと昔前、って言ったら大げさかな。
春のまだ寒いころ、早咲きの桜が平野の町では場所によって咲いていたけれど、

私が車に同乗して向かっているところは、
平地よりは気温が低いから、
花が咲いているところは、まだどこにもないだろうと思いつつ助手席にいました。

人って、まったく話さないで
ひとつの車に乗ってるのは、
案外、楽ではありません。


話すことなんて、もはや、
特にはなかったもので。

わたしは下を向くと車に酔っちゃう人だし、
まだスマホなんかなくて、

携帯はあったけど、メールをするか電話をかけるか、デジカメが無い時に写真を撮る以外は出番がなかった時代だし、


なんにも出来ずに、
窓の方になんとなく顔を向けているだけで、
流れていく景色を見ながら
国道1号を走っていました。

曲の好き嫌いは、わかっていましたよ。
まったく、ぜんぜん方向性が違うってことはないんだけど、

1番好きなのと、次に好きなのと、
そういう順位までは、一緒じゃないし、

むこうは、その時の景色や雰囲気に合わせて
曲をかけるなんてこと、もちろんしないから、

この曲はちがうなあ、と思うことも
正直ありました。でも、

運転してる人の機嫌が悪くなるのは嫌だから、むこうが好きな曲をずっと、
もう1時間ほどかけていましたっけ。

その途中で、ラジオの道路交通情報に、
ちょくちょく切り替わってもいました。

ナビは多分あったかもしれないけど、
私は機械に弱いし、本人もアナログ世代だし、
ナビを使って役に立てていたか、印象に残る記憶はありません。

渋滞の気配が前方に見えると、
機嫌が悪くなって脇道へ入る。 
裏道をぐるぐる、あっちへこっちへ。 
それが、いいのか悪いのかすら、触れないで こちらは黙って乗っている。


そういうことは触れない方がいい。好きにさせておくのが一番いい。その間も、
車内に流れる男性ボーカルの気だるい音楽が続いていましたよ。

そして、ようやく箱根路に辿り着き、

山道を上りはじめたのは、
どれくらいたってからだろう。

箱根、わたしの好きなところ。
時々、不意に行きたくなる。

ふるさとの山には、
山だということ以外、
あまり似てないんだけど、

それでも、信号や人の姿を見ないで走れる道が残っている。
大涌谷が近づくと漂ってくる硫黄の匂いも、
わたしには懐かしい空気なんです。

箱根をかなり走って
高度も上がったあたりに来た頃、

芽吹きの枝になっている木々と、
乾いた青空がすごく気持ちよくて、

私はようやく、口をひらきました。

ねえ、ユーミンかけていい?

すると、どうぞ、 とひとこと。

わたしは『春よ来い』をかけました。

ピアノのイントロが、くるくるくると、

なにかを巻き上げていく。
すーっと一瞬で、息を吹き返しました。

そうしたら、
ボリュームを上げる指先が見えた。


よかった…。

じぶんの顔に
微笑みが浮かぶのがわかりました。

今度は、
パワーウィンドウがスーッと下りた。

春風がヒューと音を立てて寄ってきて

春空が一気にリアルになって、

木の香り、若葉の香り、土の匂いが、
顔を思いっきり引っ叩くように押し寄せた。


あ〜、しあわせ〜って、
思わずわたし、言った気がする。


そしたら、車のエンジン音が少し軽くなったのは、勘違いかもしれないけど、

横から、かすれた口笛の音が旋律に重なっていました。

おかしくなったんだけど、
やっぱりそれにも触れないで、

笑いが浮かんでしょうがないまま左を見ると、

さっきまで木々が立ち並んでた山の景色から、

斜面は一面、畑に耕されて、
緑色の小さな苗が点々と植え付けられて、

フロントガラスを見ると、

遠くに見下ろす三島の街と、きらきらお日様を照り返す
駿河湾の春の海が広がっていました。

この車窓の移動は、変わらずに、
わたしの思い出の中でも、
好きな時間になりました。

過去の話は、あまり人にしないのだけど、

この季節、この、曲だけは、

ふりかえった景色から、いいようのない
切ない感情がわいてきて、 

あの時間なら、もどってもいい、と、
ちょっとだけ思えます。


こんな感覚も、いいもんです。
ユーミンって、やっぱり、魔法を持ってる。

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