むかしばなし雑記#03 「大江山(酒呑童子)ー熊にまたがるあの人は今ー」
はじめに
こんばんは、先週まで2週間にわたって「金太郎」の紹介をしました。桃太郎も一寸法師も鬼の住み処へ果敢に乗り込み、みごと鬼退治をしたのに対して、金太郎の功績はあまり知られていないのはなぜなのか?
後に頼光の四天王として鬼を退治したから、というのが一応の結論でした。まだまだ鬼が恐れられていたこの時代、単身で鬼と戦い退治をする話より、このように豪傑が集まって鬼に立ち向かう話の方が現実味を感じさせたのでしょう。今回はその鬼退治パート、『大江山』のお話。主人公は源頼光、坂田金時(大人になった金太郎)の主人です。
金太郎についてのお話はこちらです。
「大江山(酒呑童子)」
以下に青空文庫「大江山」(楠山正雄)に一部省略・表現変更を加えて書き起こしたストーリーを掲載します。
なお、YouTubeでは楠山正雄氏の作品そのままを朗読にて紹介しています。音声で楽しみたい、という方はこちらからどうぞ。今回から新しいBGMもつけてみました。20分以上ありますので入眠用にもいかがでしょうか?
ウソも方便?山伏の怪
さて、鬼の住み処は大江山。ここに潜入するため、頼光一行は山伏の格好をします。それにしても、戦いやすい武士の格好で乗り込めばよいものを、なぜ彼らは山伏に変装したのでしょう。実は山伏に扮するメリットがあったのです。山伏は山の中を移動して仏道修行に励む存在であったので、関所を通ることなくあちこち行き来することが認められていました。しかし、この特権に目をつけ、時の権力者と相容れなかった者や反逆者が山伏の格好をして逃げるようになったといわれています。山伏になれば、怪しまれずにどこへでも行ける。そのような背景もあり、忍んで山を移動するときは山伏、という一種のお約束のようなものが存在したと言えそうですね。
頼光たちは鬼に「山伏だから修行でここまで来た」と力説し、鬼もそれで納得してしまいます。思えば、幼い金太郎をスカウトした碓井貞光も山伏の格好をしていたし(前回紹介した楠山正雄バージョンでは「木こり」とされていましたが)、安宅の関を通るときの義経・弁慶一行が山伏の格好をしていた話はあまりにも有名。山伏であるということが全ての疑惑をはらう免罪符だったと考えられます。…なんて言ったら弘法大師に怒られるでしょうか。
血気盛んな豪傑ヒーロー
金太郎はかわいらしい少年でしたが、頼光やその家来としての坂田金時たちを見ると、彼らはなかなか豪快。鬼に勧められたとはいえ、人の血肉を平然と喰らいつつ、鬼を斬る隙をうかがう姿に衝撃を受けた人もいるのではないでしょうか。児童書における金太郎のお話の多くが「源頼光の家来として坂田金時と名乗り、立派な武士となりました。」で終わっており、後半や戦いのシーンをカットされている背景にも関係がありそう……。
さて、頼光一行にはこの鬼退治以外にも、妖怪と戦った記録が残されています。有名なのは頼光の土蜘蛛退治や渡辺綱が橋姫と出会う話。藤原道長の権勢が発展するにつれて、武門の名将としての地位を確立した頼光らは清和源氏の興隆の基盤を作ったといわれています。勧善懲悪譚(良い主人公が悪者を打ちのめす話)以上に、武家の強さ、豪胆さ、勇気などを伝える話が求められていたというところでしょうか。なお、これらの妖怪退治は、異民族・山にこもっていた戦の敗者・もしくは理不尽な差別を受けていた人々との戦い(や制圧、排除)などがモチーフとされていたという説もあります。歴史は勝者によって作られているところが大きいとも言いますので、多角的に見つめてみると、なかなか興味深い側面が見えてくるかもしれません。ここまでお付き合いいただきありがとうございました。それではまた来週お目にかかりましょう。
鬼の話はこちらにも書いています。