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『誰のための公共(美術館)か』 / by naok fujimoto

↓ちょっと前のテキストをアップしました。

森美術館とChim↑Pomの改名の件に際して、美術館の在り方みたいなのが話題だが、そのことについてちょっと思ったことを書いてみる。
(といっても森美は公共美術館というよりプライベートミュージアムだが…)

たとえば、公共図書館は誰もがフリーに時間を過ごせるし読みたい本をリクエストすれば多少時間かかるがその本を収蔵してくれて、平日は20時迄開館している...だから近所の図書館はランドセル帰りの子ども達で溢れていてさながら学童保育のような様相だ。おまけに公共図書館にはWeb上の”マイライブラリ”があって資料の予約管理を一括できるからすこぶる便利だ。

かたや公共美術館の企画展は年々入場料あがる一方で平均約2千円なんてざら。それに17時閉館がほとんどだから平日勤めの社畜が仕事帰りに寄るなんざ至難の業でありちっとも市民目線じゃない。(そういう意味で22時迄の営業を続ける森美の取り組みは先駆的だしプライベートミュージアムならでのサービス精神に溢れた賜物だと思う。)

しかし、公共図書館にはできて公共美術館にはないサービスのこの差って一体何だろう?

図書館が市民から読みたい本のリクエストを受け付けるように、市民が観たい展示や展覧会を美術館が受け入れるサービスがあってもよいのでは?と思う。でもそこに資金を持った人達が出資することで様々な意向や制約がもたらされてしまったら公共性の担保を保つのは難しく所謂ジェントリフィケーションが生じてしまうことも想定される。

だから今回の騒動(美術館に寄付した企業の素性がどうのこうのとか、その企業から資金提供を受けた際の営業権行使などの割合をどうするかなど)の根っこって、一見よさそうなサービスの枠組が(ちょっとしたパワーバランスのズレで)別物に変換されてしまうという危うさの図式(仮に今回の件が演出でないという前提として)ではないかと、そんな印象を持ちました。

いずれにせよ、公共図書館のサービスのよさを公共美術館にも取り入れてもらえないものかなぁ…と。
たとえば公共美術館の企画展を含む入場料の無償化や、公共美術館の夜間営業などなど。
ランドセル帰りの子ども達で溢れる美術館や博物館ってステキだし、それこそが本当の意味での鑑賞教育の場になり得るのではないだろうか…

誰もが集える公共の文化施設の在り方を考えることは、総じて最終的には、日本の文化の向上や少子化や超高齢化社会といった課題解決の一助に繋がるのではないだろうか…

画像は出番を待つ『カレーの市民』@上野
いまのコロナ禍の社会情勢とちょっとかぶる印象がしたので掲載。

とりあえず,じっと手を見るわたくし…

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