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「シャボン玉: 虚無、芸術、科学の間で。ユートピアの型」(Bolle di Sapone: Forme dell'Utopia tra Vanitas, Arte e Scienza):ウンブリア国立絵画館で開催中の特別展

ペルージャを代表する美術館であるウンブリア国立絵画館(Galleria Nazionale dell'Umbria)。

ここでは、2019年3月16日から6月9日にかけて「シャボン玉」(Bolle di Sapone)をテーマにした今までありそうでなかった特別展が開催されている。

この儚いシャボン玉は、16世紀末のオランダの画家ヘンドリック・ホルツィウス(Hendrick Goltzius; 1558-1617)によって描かれ始め、今にいたるまで様々な表現の場で使われてきた。

本展では、シャボン玉にまつわる17世紀の絵画から21世紀の建築物まで、様々な作品が陳列されている。


最初のテーマは「虚無」(Vanitas)

オランダの人文学者エラスムス(Desiderius Erasmus; 1466-1536)の格言「人間は泡沫なり」(Homo bulla est)は、16世紀前半以降、ヨーロッパに広まり、シャボン玉を使って人間の儚さが教訓的に描かれるようになった。

そういえば、筆者が小学1年生の時、有名な日本の唱歌『シャボン玉』(作詞:野口雨情)を習ったことを母親に伝えた。

すると母親は、この歌は幼くして亡くなった子供のことを歌ったものであるということを教えてくれ、幼心ながら、物悲しい気持ちになった記憶がある。

このようにどこに飛んでいくかいつ消えるか分からないシャボン玉に、人間の生を重ねて描かれた作品が数多く存在する。

フランドルの画家ヤン・ブリューゲル(子)(Jan Brueghel il Giovane; 1601-1678)による『人間の生の儚さ』(La Vanità della vita umana)(1631)。



17世紀のオランダの絵画においても、シャボン玉を使った表現は浸透していき、オランダ絵画の黄金期に華を添えた。

オランダの画家カレル・デュジャルダン(Karel Dujardin; 1622-78)作「シャボン玉を吹く少年」(Boy Blowing Soap Bubbles. Allegory on the Transitoriness and the Brevity of Life; 1663)。

この絵画は、「運命」(Fortuna)の寓意も含んでおり、「世界」を暗示する透明なシャボン玉が、少年によって遊ばれる様が表現されている。

(参考:森洋子『シャボン玉の図像学』未來社、1999年


18世紀に入っても、シャボン玉の「虚無」(Vanitas)というイメージは消えなかったものの、より大衆的な表現にも使われていくようになる。

ふくふくしている幼児の絵は、オーストリア生まれの画家イグナツィオ・シュテルン(通称ステッラ)(Ignazio Stern(Stella);1679-1748)作『シャボン玉を吹く子供(虚無)』(Putto che fa bolle di sapone (Vanitas)(1730)。

「無邪気な遊び」(cherubic games)に興じている子供と、「メメント モリ」(memento mori; 汝は死を覚悟せよ)を表すかのような暗い背景が対比されている作品である。


フィレンツェ生まれの画家ジュゼッペ・ゾッキ(Giuseppe Zocchi)の絵を基にした貴石博物館(Galleria dei Lavori in Pietre Dure)の『風の寓意』(Allegoria dell'Aria)。

この絵の中では、ふわふわと浮かぶシャボン玉とかっちりとした石でできた背景が対比されている。

こちらはロココ期のフランスの画家ジャン・シメオン・シャルダン(Jean Siméon Chardin; 1699-1779)作『洗濯屋』(La Lavandaia)(1733-34)。

これは、「虚無」という主題を、より日常的な人々の生活に落とし込んだ作品という点で、他とは一線を画している。


そして時代は、科学芸術の時代へとなっていく。

1704年、アイザック・ニュートン(Isaac Newton; 1642-1727)は、『光学』(Optics)を出版した。

その一部で、シャボン玉の泡と薄膜の色について論じられている。

これまで神秘的な儚さの象徴であったシャボン玉が、科学によって理解できるものになったのであった。

ボローニャ生まれの画家パラジョ・バラジ(Palagio Palagi; 1775-1880)作『光の屈折の理論を発見したニュートン』(Newton scopre la teoria della rifrazione della luce)(1827)。

研究に忙しいニュートンの傍で子供がシャボン玉で遊んでいる。

そのシャボン玉は、光を受けてきらめきつつ漂っている。

なおこの絵は、1827年にミラノのブレラで展示され、賞賛を得たという。

19世紀に入りアンシャンレジームが崩壊しても、シャボン玉の虚無というテーマは使われるとともに、シャボン玉研究は続けられていった。

当時の政治情勢を表しているものに、無名の風刺画家が描いた『ナポレオンの侵略』(Le conquiste di Napoleone;Napoleone gioca insieme al figlio con le bolle di sapone; 1814-15)。

吹かれているシャボン玉一つ一つには、ヴェネツィア、オランダ、ピエモンテ、ローマなどナポレオンが侵略した地域の名前が書かれている。

でも制作年代をよく見て欲しい。

1814年から15年といえば、ナポレオンが、次々と遠征に失敗し皇帝を退位、エルバ島に流された後、ワーテルローの戦いに敗れた時期である。

18世紀末のフランス革命以降、破竹の勢いでヨーロッパを侵略し、皇帝となったナポレオンであったが、その権力は泡のように儚く、風一つで脆くも消え去る様子が描かれているといえよう。

また、この絵の下のキャプションに"Bolla”という文字が見えるが、これは2つの意味を持つイタリア語の”Bolla"の言葉遊びである。

一つ目の意味は、権力者が出す「大勅書、教書」、もう一つの意味は「泡」である。

どんなに権力を持つ人間が出す「勅書」であっても、それは「泡」のように不安定で消え去るということを意味している。

これがイタリア語で描かれているということは、ナポレオンに侵略された側であるイタリア人たちの精一杯の皮肉だったに違いない。


こちらは、フィリッポ・カルカーノの『気晴らし』(Il Passatempo; Una donna leggera)(1867)。

口をだらしなく開け、しなだれかかる女性の姿が印象的である。

リヨン生まれの画家ランビエール(Joseph Victor Ranvier; 1832-1896)作『シャボン玉吹き』(Blowing Bubble)(1870)。

こちらは、フランスのアカデミーの伝統に従いながらも、印象派の作風を取り入れている作品である。

特に19世紀という時代は、シャボン玉をモチーフにした芸術作品が生み出されるとともに、ニュートンの影響を受けたシャボン玉研究が次々と発表されるなど、科学と芸術の間にあったシャボン玉の黄金期であったともいえよう。


19世紀末には、シャボン玉は大衆広告に使われていくようになる。

『オフィーリア』の絵で有名なイギリスの画家サー・ジョン・エヴァレット・ミレー(Sir John Everette Millais;1829-1896)作『シャボン玉』(Bubbles; 1887-88)。


こちらは、世界最古の石鹸メーカー・ペーアズ(Pears)の広告に使われたポスターである(後にペアーズはユニリーバの傘下に入る)。

20世紀に入ると、シャボン玉は「虚無」というテーマを引き継ぎつつ、写真やポスターの中でも、依然として使われていた。

無名の写真家による『シャボン玉の中の女性』(Schone frau in seifenblase; 1930-40)。

そしてカンパリの広告なども手がていたニーノ・ナンニ(Nino Nanni; 1888-1969)作『ロードス』(Rhodos; 1940-50)。




建築の分野でも取り入れられるようになるシャボン玉。

その初期のものとして、エティエンヌ・ルイ・ブーレー(Etienne Louis Boullée;1728-1799)の「ニュートン記念堂」計画案。

こちらは実際に建てられることはなかったが、その形は、不思議な魅力を持つ。



そして1887年、ケルヴィン卿(Lord Kelvin)こと物理学者ウィリアム・トムソン( William Thomson; 1824-1907)によって、「いかにして3次元の空間は、均等なセルに分割されるのか」という問いが立てられた。

その答えとして、14の面を持つ多面体が提示された。

100年以上経って、その理論が、実際の建築物に取り入れらるようになってきた。


その他、レム・コールハース(Rem Kolhaas)らによるロンドンの展示会場(2006)や、

2008年の北京オリンピックの水泳会場となった北京国家遊泳センター(Beijing National Aquatic Center)など。


わずか200数十年の間に科学は、人間の生活を便利にした。

私たちの身の回りのものは、科学なしには成立し得ない。

ところが、虚無など、永遠に色褪せることのない概念がある。

それを全て内包するのがシャボン玉である、そう思わせてくれる展示であった。

おまけ: 子供用のレトロなシャボン玉キット。


ウンブリア国立絵画館(Galleria Nazionale dell'Umbria)

公式サイト:galleria nazionale dell'Umbria

公式インスタグラム:@gallerianazionaledellumbria

住所:Corso Vannucci, 19, 06123, Perugia, Italy

開館時間:8:30-19:30(11月から3月まで;月曜休館)

12:00-19:30(4月から10月までの月曜日)

     8:30-19:30(4月から10月までの火曜日から日曜日)

※最終入場は18:30まで。

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