![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/104106844/rectangle_large_type_2_434c0e50cb2dc9c38700fdb56f891c99.jpeg?width=800)
死刑【『監獄の誕生』ミシェル・フーコー】
甚だおぞましい話であるが、わたしが文学に溺れたきっかけは「監獄」と「死刑」である。
10代になったばかりの頃、『アンネの日記』を読み、そのあとにフランクルの『夜と霧』、収容所の魅力に溺れ、石黒謙吾の『シベリア抑留』、ソルジェニーツィンの『収容所群島』を読んだ。
続いてユゴーの『死刑囚最後の日』ジュネの『花のノートルダム』に『薔薇の奇跡』。
ああ美しい。
前置きが長くなってしまったが、ついにフーコーの『監獄の誕生』を読了。
書評を書こうと思いつつ、奥が深すぎる内容と、情報量の多さもあり、しばらく書き出せずにいた。
とりあえず個人的に一番面白いなあと思った第二章『身体刑の華々しさ』をメインに印象的だった箇所を軽く紹介する。
死刑を含んだ処刑の歴史がもっとも奥深いのはヨーロッパ、とくにフランスだといえるだろう。いうまでもなく、文学界でも同様である。
身体刑とは、なんだろうか。
ジョークールによると、
苦しみを与える、多少とも残忍な、身体中心の刑罰。
それは人間どもの想像力の広がりの結果、野蛮さと残酷さをもとに作り出される説明しがたい現象である。
すでに話は的をついている。
わたしたちは疫病の流行や戦争を恐れ、死を恐れる。だけどもそうした残酷な歴史を好んで若い世代に語り継ぎ、文学や映画にする。
" 説明しがたい" が、死は、面白いのだ。
著者のフーコーは20世紀の哲学者、作家であるが、本書では処刑が最も華々しかった17〜19世紀のフランスの社会情勢がよく研究されている。
当時の身体刑のなかでも、民衆の話題の中心にあったのはもちろん" 死刑" だった。
身体刑は一種の祭式を構成する。刑を課す司法の側については、身体刑は華々しいものでなければならない。
当時死刑は、最もドラマに満ちた現実世界の刑罰だったのである。
誰かの死刑が決まると、民衆は今か今かと待ち構え、今回はどこで行われるのかと噂した。
たとえばこんな号外がある。
一学生が1723年に複数のひとを殺した学生の処刑で、ナント初審裁判所は、殺人が犯された旅館の正面玄関のまえに処刑台を設けることを決めた。
または司法は公の場でこう言う。
「死刑囚は、晒し台に早朝勤行時より死刑の時刻まで晒し者にされるべし。人々は彼らの目に石や負傷させる物は別として泥や他の汚物をなげつけうるべし…。」
開演の予告である。
民衆の参加が推奨され、仕事を休めない人のために、晒しの時間まで配慮してある。
そして舞台の幕が上がる。
死刑執行人が、晒し者の刑をスタートに鞭打ち、烙印、絞首刑、火刑、車責めの刑、四裂きなどを公の舞台上で披露する。
刑の執行のさいに、犯罪そのものの芝居がかった再現の例もいくつか見出される。同じ凶器、同じ動作が。万人の面前で司法は、身体刑によって当の犯罪を再現させ、その犯罪を真実の姿にして公にし、同時に罪人の死亡によってその犯罪を消し去るわけである。
囚人は叫び、民衆はその光景を一目見ようと処刑台を取り囲み、予期せぬ出来事に期待する。
囚人が口を開く。
「自分は潔白なのだから、処刑台がこうしてせっちされたのはたしかに自分のためではないのだ!」
あるいはこう、
1772年に妻を殺害したビリヤールは亡き妻の喪服を着て、「当然受けるべき刑罰を課せられる以上、私が人々に見られるのは当たり前である」と言う。
こういう誠実な囚人は、ときに人々の心を動かす。
人々(民衆)は、気を利かして「一種の女物の帽子」で彼の顔を隠してやった。
そしてときには拍手喝采が、逆襲や復讐が、死刑囚や民衆の逆転勝利までもが、この舞台上では起こりうるのである。
群衆が処刑台のまわりにひしめくのは、死刑囚の苦痛を目撃するためとか、死刑執行人の猛威をあおるためとかばかりではない。
もはやすっかり無一物になっている死刑囚が裁判官を、 法を、権力を、宗教を呪う声を聞かんがためでもある。
ここには当時のフランスの" 死刑の美学" のようなものが見てとれる。
フーコーは本書で当時の「司法」の役割を、「一つの詩法」と表現した。
ここまででお察しの通り、当時のフランスの処刑
において、死刑執行人のほうは美しい演出のため、
生命を苦痛のなかに長時間留めておく技術
が絶対的に必要だった。
ここで、サンソン一家の登場である。
サンソン一家については、日本語圏だと、坂本眞一がヤングジャンプで連載をした『イノサン』という漫画が大変分かりやすく、面白い。
当時のフランスでは、これら死刑の華々しさの演出に、" プロの演出家" つまり、" プロの死刑執行人" が必要だったのである。
サンソン一家は当時のフランスで200年以上、プロの死刑執行人を輩出してきた、" エリート一家" 。
![](https://assets.st-note.com/img/1682599878087-cOWyg3mV7e.jpg)
漫画『イノサン』でも大活躍した。
信じがたいことに当時、死刑執行人は憧れの職業だったのだ。
フランスの作家で強盗犯のジャン・ジュネは、死刑執行人との恋愛を自身の作品に描き、また、一番愛する登場人物に死刑を課した。
彼にとっての" 死刑" はもっとも美しい、人生のゴール。彼自身が手に入れることのできなかった、永遠の憧れだったのである。
だが逆を突けば、死刑執行人にミスは許されない。
たとえば、18世紀、四裂きの刑に失敗した死刑執行人の有名な例がこうだ。
彼は規則どおりにダミヤンを四裂きにできなかったから、包丁で切り裂くはめになったのであり、結局、自分がもらう筈の四裂きの刑に使用した馬を没収されて、馬は貧民たちに授けられた。
ほかにも失敗を繰り返した死刑執行人が告発の後に投獄された例もある。
敵は死刑囚ではなく、民衆だった。
民衆は、不当だと思える処刑を妨害し、死刑執行人の手から死刑囚をうばいとり、場合によっては執行人どもを追いかけて攻撃し、判決にたいして大騒ぎする。
なかには、死刑執行人が殺された例まであるという。
こうまでも死刑が神聖化されていると、当然" 犯罪が讃美される文学の発達" が起こる。これは必然である。
それらの犯罪文学はこうした見解を作り上げた。
文学は、犯罪を我がこととして取り込む、 納得できる形式による記述作業である。
一見それらの書きものは犯罪の美と偉大さの発見になっているが、実はそれは、偉大さもまた犯罪を行なう権利を有していて、現実に偉大である人々の、それは独占的な特権になってさえいる点を強調したものである。
美しい殺人は、取るにたらぬ違法行為をこそこそやる連中には不向きなものだ、というわけである。
" 美しい殺人" は、本人が死刑になるまでのすべての過程までを含み、それは知識人の崇高な生き方のひとつだったのだ。
そしてその美徳はまた、文学によって滅ぼされる。
ユゴーの『死刑囚最後の日』はこれらの華々しい死刑制度が廃れ始めたことの象徴と言って良いだろう。
『死刑囚最後の日』の主人公は、文字通り死刑囚である。ユゴー自身の体験なのかと錯覚するほどリアルな彼の死に至るまでの描写は、ユゴーの反死刑制度思想だけでなく、世の中全体を動かした。
1829年のことだ。神聖な身体刑が、廃れ始める。
フーコーは本書で、この頃に世界で探偵文学が流行り始めた風潮を指摘している。
探偵文学は、犯人と捜査する者との知力の戦いであり、死刑執行人と死刑囚の戦いではない。
民衆の参加も、ここでは不可能に近い。
粗野な犯罪者の栄光が、身体刑のもたらす暗い英雄化が探偵文学の誕生にともなって消え去るのである。
その文学では民衆はひどく単純な人物になっていて微妙な真実に対処する主役とはなりえない。
この新しい文学様式には、もはや民衆の英雄も、大がかりな処刑も存在しないし、そこでは人間は意地悪だが、かしこいのだ。しかも処罰される場 合にも人間は苦痛をなめなくていいのだ。
当時の文学の影響は、今で言うマスメディア、おそらくはそれ以上のものだったのだ。
かつて犯罪者をとりまいていたあの華々しい輝きは、この探偵文学によって別の社会階級へ移し替えられる
そして、現代にもまるまる共通する認識がここに誕生した。
民衆は犯罪にたいする過去の誇りを棄てなければならず、 偉大な殺人行為はおとなしい人間の沈黙の営みと化したのである。
その現代に生きるわたしは、この、フランスの処刑の華々しさに、居ても立っても居られないのである。
【余談】
森鴎外の『最後の一句』を読むと、日本が舞台であるこの小説の、囚人が死刑に至るまで(ここでいう開演予告まで)の描写があまりに18世紀頃のフランスと似ており首を傾げた。
(日本文学に詳しくなくてすみません…)
ちょうど5月から勉強している分野の新しい講座を開始するところだったので、その前に読了、なんとかnoteにも挙げられて良かった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?