幸せも不幸も痛みを伴うのだからなるべくたくさん幸せな痛みを探そうよ

ことがうまくいっていると思っているときにほど嫌なことは起きるものだ。
今日、降格が決定した。
自分なりに考えて一生懸命に仕事を進めてきたつもりでいたんだけれども。
それだけに残念に思ったと同時に、
『やっぱりこの世は地獄なんだなぁ〜。』
と再認識させられたし、だからこそ誰の目も気にせず自由に自分らしく生きないと時間に喰われちまうなって思ったんだ。

学生のときなんかは窓の外に広がる空をボーッと眺めているようなやつで早く大人になりたがっていた。
学校という閉鎖された空間では、自分という人間の自由が奪われているような気がしてならなかったんだ。
だから、漠然と
『大人になれば柵や苦痛から解放される』
みたいなことを本気で思っていたんだ。
まぁ、結果的にはそんなことはないんだけどさ。

大人になっても柵や苦痛はいくらでも存在して、その度に、自分が今までしてきた選択の数々を振り返っては子供に戻りたがってたりしてた。
けど、実際はそうじゃなくて子供のままなんだなーって思ったんだ。
年は重ねたものの心は子供のままでずっと大人に憧れている子供だったんだなって気づいたんだよね。
だから、
『大人になってしまったから・・・もう手遅れだよ。』
みたいなよく分からない理由で自分がやりたかったこと、進みたかった方向を捨てる必要はないし、僕らは、心が子供のまま夢中を追いかけ続ける旅人であればいいと思う。

まぁ、ちょっと話がずれちゃったんだけど、これまで死にたいと思う夜は何度もあったし、だからこそ生きることそのものについて強く考えてきた。

自分が何に幸せを感じ何に不幸を感じるのか。
そして、なるべく自分が取り組んでいて幸せだと思える仕事に就くことが自分にとっての喜びだと思っていて、それがまさに今の仕事だった。
自分は、自分が楽しいと感じる仕事で誰かに必要とされるのが嬉しかったし、その対価としてお金をいただくことができるのが嬉しかった。
でも、同時に痛かった。
やっぱり、それなりに責任が伴うし、頑張って納期に間に合わせようと人一倍努力するから精神も肉体もすり減った。
そして努力が実ったときは成長と喜びを感じれたと同時にそこまでのプロセスが終わってしまったことに痛みを覚えているのだ。
嬉しいはずなのに痛みがあるというなんとも不思議な感覚を持っていた。
でもなぜかうまくいっている状態ってのは長くは続かなくて必ず限界がくる。
降格されたときは嬉しさとはまた違う痛みが感じられた。
どちらかというと焦燥感、喪失感といった痛みだ。

つらつらと書いてきたが、この文章の中で私が伝えたいことは、幸せな状況、不幸な状況に関わらず人間は生きていれば痛みが伴うってこと。

でも幸せな痛みと不幸な痛みは違うんだよ。
幸せな痛みはその先に達成感、生きていてよかったみたいなものがあってだから頑張ろうって思える。
不幸な痛みはその先に達成感、生きていてよかったが無いから死にたくなってしまうんだよ。

私は、何をするにしても痛みを避ける生き方をしてきたように思えるが、それは痛みを避けていたのではなく、幸せな痛みを避ける生き方だったんじゃないかなと思ってる。

『傷つかないように自分を偽って生きよう』
『あの人の機嫌を損ねないようにしよう』
『目立った行動はしないようにしよう』

みたいに生きていれば、自分という人間が傷つきその先には達成感も生きていてよかったも存在しない。

あるのは、不幸な痛みだけだ。
だから、

『傷ついても自分を偽らないで生きる』
『あの人の機嫌を損ねるかもしれないけど言うべきことを伝える』
『時には目立った行動をとって人から認知されるように努力する』

みたいな幸せな痛みを集めてみよう。

きっと最初は勇気とか努力とか他人に気づいてもらえないとかそういう痛みはあるんだろうけど、後から生きていてよかったと思える瞬間があるかもしれないから。

さて、話は冒頭に戻るが私は降格されてしまいこれは紛れもない事実だ。
だから、だんだん不幸な痛みに蝕み始めている自分がいる。
でもそんな時は幸せな痛みを探す方向にシフトしてみる。

『転職活動に励んでみる』
『降格してもなお誰よりも目立った功績を残す』
『別の努力をしてみる』

幸せな痛みと不幸な痛み、どちらも同じ痛みという分類なら幸せな痛みの方が生きていてよかったと思える瞬間がたくさんあると思うから。

幸せな痛みを集めよう。

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