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愛想笑いがうまくなる頃に大人になるなんて

4月の一週間日記三本目、そろそろ異動先でも慣れてくるころだと思いたい。

月曜日

そろそろ疲れが見えてきて、動き方はわかったけど、私は声が大きいということがわかって恥ずかしくなった。これは昔から声が通るタイプだとわかっているので、意識して小さくはしているんだけど、疲れるとコントロールが難しい。疲れた時に白目になるし(これも昔からの特性)、全部症状が出ている。組織にいると標準に合わせなきゃいけないから、その小さな積み重ねが全部ストレスとなっている。

少しだけ余裕が出てきたから、私はなぜこの仕事をしているのか、ずっと続けたいわけではないのにと哲学的に深く考え出したので、止まらない思考に無理やりストッパーをかけた。

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火曜日

先週の反省と三週間目に入った慣れから、自分自身に対する反省がたくさんある。

あの行動はダメだったな、あの人の行動は私の過ちを婉曲してフォローしてくれていたのかなと気がついて反省している。

他の人たちも困憊している様子を受け取ってしまって、自分と相手の問題は別だと捉えているけど、同一視をしてしまい、同化をしてしまいそうになる。

今日は落ち着いて、冷静に一呼吸おけた今、先週と昨日までのワタワタ具合の恥ずかしさを思い出して後悔をしながら、新人じゃないんだから落ち着けよと新卒の落ち着き具合を見ながら恥ずかしくなっている。比較なんてしなくていいのに、自分の年齢とできているはずなのに責めてしまうのがいやになる。そもそも職務も立場も違うのだから割り切ればいいのに。

終業後は、病院に行った。仕事をした後に病院に行くのは大変だけど、アトピーは生まれた時からずっと付き添っていて、ストレスが溜まればその分症状も悪化する。医師待ちの時に目に入ったカルテには、SOAPの評価に「管理指導:睡眠を十分に撮る、疲れないようにする」と書いてあったが、労働して生きている限り無理では?と心の中でツッコミを入れていた。アトピーが一瞬で治る薬が存在すればいいのに、寛解しか手立てがないのは嫌だなと毎回通院する度に思っている。

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水曜日

今日は外出が2件ある日だから大変だということを覚悟していたが、大変なのは事務作業が溜まる翌日なのだ。(結局翌日の方が大変だった)

新しい出会いと、新しいこと、これらが増える困惑よりも、人と接触回数を増やすことで情報が増えることが、最終的に課題解決や早期対応や未然防止につながるから、新しいことが増えたことにポジティブで、むしろその機会がないことの方がストレスだと再認した。先の見通しが立つことが自分の脳内がクリアになるし、仕事のスピードや質にも影響する。私は煙草も吸わないし喫煙室にも行かないけれど、“単純接触効果”という、いかに人単純でできているのかと少し笑ってしまう、雑にいうと接触回数の多さで好きになる現象、情報が流れやすくなってくる現象をはっきりと輪郭がつかめて、生かしていこうと思ったよ

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木曜日

人間は、試行回数の多さで経験値が積むことができ、自分ではなく他者が何が欲しいかという視点で“立場”をみることで動けたことが、成長点だと思う。

小さきながらも、小さいグループでマネージャー的な補佐的な役回りを経験したことがあるから、マネージャー的な立場は何を欲しているのか?“私がこれが欲しい”だけでは、広がりを持って“組織における業務”は務まらないとわかっているから。

今週の週明けは「新卒じゃないんだから」と自分に対して嘲笑気味だったが、流石に伊達に年齢を重ねているだけはないなと安堵できた。私の積み上げてきたものはちゃんと統合されているよ

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金曜日

今日は何がハードスケジュールかって、終業後に人と会ってその後長距離運転をして翌日の休日のために前乗りをするということだ。

仕事の方は比較的落ち着いていて、同じような業務内容の他者が「大変だわ」とわざと聞こえるように(これはその人の性格なんだと一緒に働いて3週目ではっきりとわかった)言っていて、何が大変なんだ?と頭にハテナをつけながら、前まではそうですねと愛想笑いが上手だったが、独り言だと反応さえしなくなった。

私は余裕があったから、その「大変だわ」と溢す相手にアシストして「今から◯◯私できますけど」「本来は進捗ここまでが私ですが時間あるので、代替案として〜〜」と発案するが、「いや今日は定時で帰りたいな」と質問のAに対する回答にAで返さないのは日常茶飯事だから、もういいやと放置をした。

ただ、私が懸念しているのは、第三者から「あの人はすぐに帰るのに、あの人は残って業務改善も分担も配慮もしないのか」と思われているところで、それが風評被害につながるから嫌だなと思っている。こっちは神経すり減らして、愛を持って改善策の提示とフォローに入っているのにな。それさえもエゴなのだろうか。

終業後は人と焼肉を食べて、肉はエネルギーだと、大人になると食しか楽しみがなくなる現象もわからんでもないなと“上”がつく品を選びながら一週間の疲れをかきこんだ。そして、もうカルビではなくサガリでいいやと考えになり、胃の方も落ち着いてきた。

翌日に友人と会うために、長距離運転をして前泊をした。運転はATだろうがMTだろうが、思考を繋げながら空っぽにする作業ができるので大好きだ。

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土曜日

何回リスケが行われたかわからない友人との集まりに10ヶ月ぶりに再会できたメンバーは、久しぶりの声もなく、本題に導入するのが学生時代のあの頃と変わらないなと笑みが溢れる。実家とは異なるが、これも“還る場所”なのでは?と考えながら、あれやこれやと、仕事においてだと雑談と言われる生産性がないとジャッジメントされるような内容で高校時代のように笑って過ごせたのは、ストレスを解放できる場なのかもしれない。

相手の考えは「違う、わからない」と言い合えるのは、仕事の上下関係や囚われに関係ない“友人”という枠だからこそできる行為で、友人は必ず必要なものではないが、一般的な社会で日々組織の中で窮屈にいるなら、対等にイエスもノーも言い合える関係性は大事なのかもしれない。

次会うのは夏季休暇とかだといいよね、と未来の予定を決めて、私たちはそれぞれの人生を歩み、定められた日にちに人生を重ねる。

友人と会ったあとは弾丸で運転して自宅に帰った。途中で立ち寄ったコンビニのトイレの汚さが衝撃的だった。

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日曜日

アラームを9時にかけて一度6時、二度目で9時、三度目で12時に起床した。新しい場所で毎週末なんだかんだ予定が詰まっていたから、久しぶりにこんなにも睡眠をすることができてうれしく思う。

一週間に一度のスーパーへ食材を買いだめをし、家関係の事務処理と趣味のことを2時間だけでも着手できた。本当は先週にジョジョミュージカルを観劇したから、それのPodcastの収録とと漫画の読み返しをしたかったのだけど、うまくいかないなあ。私は仕事のために生きているのではないのに、時間と体力が足らない。

来週は配偶者が出張で不在になるので「きみは大丈夫なの?」と心配をされ、「大丈夫じゃないかもなあ」とどれだけでも寝れそうな身体を横たえて布団に眠った。


次の一週間で4月が終わるのはおそろしいと思う。この一週間日記もとりあえず来週で一度区切りをつける。

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