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落語家探偵 事件ノオト 第九話 犯人は舞い戻る

 小料理屋「七草」の暖簾をくぐって店に入ろうとすると、なにやら店の中で、強面の野郎が女将を目の前にして凄んでいる。テーブルに出刃包丁をダーンと突き立てて、
「手荒な真似はしたあないんや。姐さんに恨みは無い。あるんは旦那のほうや」
 一八(いっぱち)じゃねえか。まだ東京にいたのか。

 コードネームはワン・エイト。通称、詐欺師の一八。大阪を拠点に犯行を重ねている全国指名手配犯だ。野郎は決まって毎月十八日に犯行に及ぶ。そう簡単には尻尾を掴ませねえ、うなぎみてえな野郎だ。
 数カ月前、大阪の道頓堀警察署と、東京の両国警察署の合同おとり捜査があったんだが、あと一歩のところで「ぬるり」と逃げられちまった。
(第二話『おとり捜査』 https://note.com/nanndeya_nenn/n/nc5b27b5ead12?magazine_key=mb009171de8fd )
 その一八が目の前に居る。よ~し、ちょいと泳がせたところで取っ捕まえてやろうじゃねえか。俺は素早く裏口から店の中へ潜り込んで、しばらく様子をうかがうことにした。

               * * *

 大阪と言って思い出したんだが、一昨日の酒蔵ミッションで俺たちは、大阪府交野市の大門酒造を訪れた。文政九年(1826年)創業。酒蔵二階にある小ぢんまりとした酒亭『無垢根亭』で酒と料理に舌鼓を打つ。
 「天下の台所」といわれた大阪では、江戸とは一味違った上方文化が発達したという。上方の文芸を楽しむ町民らの楽しそうな様子を想像しながら飲む酒は、また格別だ。
 いつものように蔵人、四太郎、鉢五郎で3ショット。今回は、四季折々の風情を楽しめる、季節のお酒シリーズ『利休梅』を入手した。

 大阪の土産話をしながら晩酌の相手をしていると、師匠がこんな話を聞かせてくれた。
「戦国時代に、大名らに世情を伝える御伽衆(おとぎしゅう)っていう職業があったんだが、これが落語家のルーツだ。江戸ではお座敷芸として、上方では大道芸として発展した。屋内でじっくり聴かせる江戸落語には人情噺が多くて、寺社境内で人の気を引かせる上方落語には滑稽話が多い」
んだとか。
「その他にも上方じゃあ、演者の前に『見台』っていう小さいテーブルが置いてあったり、噺の途中に『ハメモノ』って呼ばれる鳴り物が入ったりする。そういう違いはあるんだが、人間のズルい部分やどうしようもねえ様を描いているっていう点では、江戸落語も上方落語も同じだ」

               * * *

 それにしてもどういうわけだ? あの物腰柔らかな雰囲気の一八とは違って、今日は厳ついパンチパーマにサングラス姿だ。俺じゃなかったら、きっと誰も一八だと気付かねえだろうよ。

「ワシな、あいつに一杯食わされてん」
「あいつ?」
「そうや。江戸川亭四太郎(よたろう)、姐さんの旦那や」
 四太郎がちょくちょく「七草」に顔を出すもんだから、一八の野郎、四太郎と奈津菜(なつな)さんを夫婦だと勘違いしてやがる。まったく、間抜けにもほどがあるぜ。
「あいつに騙されてから、ワシ、自信無くしてしもうてな。詐欺師辞めて、今は脅しの一八や。あンときの礼に、姐さんを誘拐して身代金をいただく。そういうこっちゃ」
 一八が四太郎を騙そうとして逆に騙され、挙句の果てにカモられちまった『うなぎ屋騒動』の一件をまだ恨んでやがるのか。
「へえ~、そうかい。そんなことがあったんだね、脅しの一八さん」
 ガラッと肝が据わった態度に変わった奈津菜さん。臆することなく、姐さん言葉で話しはじめた。
「ここだけの話だけど、実は私も元同業さ。詐欺師のナツって呼ばれてた」
 詐欺師のナツ? うまいこと言うなあ。
「亭主の四太郎だけど、少し間の抜けた感じだろ? でも本当は極悪の外道さ。『昔の事をばらされたくなかったら俺の女になれ』って脅されて、一緒にさせられた挙句、この店の女将にされちゃったのさ」
「顔に似合わず、えらい、えげつない奴っちゃなあ」
 こりゃあ、おもしれえ事になってきた。
「そういうわけで私はねえ、あいつを恨んでる。殺しても足りないくらいさ」
 辛い日々を思い出して唇をかみしめるような仕草をした後、覚悟を決めた表情で一八の手を握って懇願する。
「あんたを見込んで頼みたいんだ。私と一緒に、あいつを殺(や)っておくれよ」
「なんやて?」
「あいつを恨んでる連中はたくさんいてね、そんな連中から『亭主の寝首を掻っ切ってくれ』っていう依頼を受けてるんだ。つまり今の私は、仕事人(殺しの請負人)なのさ」
「仕事人のナツ、っちゅうわけか」
「でもあいつは用心深いんだ。女房だからって油断しやしない。近頃はうちには泊まらないから、なかなか殺(や)るチャンスが無くてね。もしチャンスが来たとしても、女の私が独りで殺るってのは相当難儀なんだよ」
「なるほど。ほなけど、ワシ、殺しは専門外や」
「私が手引きするから心配ご無用。あんたの役目はこうさ。私を誘拐する。身代金を要求する。あいつが持って来た身代金と私を交換する。『怖かった』と泣きじゃくりながらあいつの懐に飛び込んだ私は、短刀であいつの土手っ腹を突き刺す。よろめいたあいつの頭を後ろから、あんたがこん棒でぶん殴る」
「どうやって最後の止(とど)めを?」
「もがくあいつの頸動脈を、私がスパッと掻っ切る。それでお終(しま)いさ」
 息を呑む一八。
「身代金と、連中から預かった礼金(四太郎殺しの仕事料)を、あんたと私で山分け。十年は遊んで暮らせる大金さ。申し分ないだろ? 一緒に逃げて、そして私と夫婦になっておくれよ。それとも何かい? 私みたいなおばあちゃんじゃ駄目かい?」
「おばあちゃんやなんて、んなことあるかい。姐さんみたいに綺麗な女は大阪にもおらへん」
 それを聞いて奈津菜さん、一八の両頬に両手を当てて優しく包み込む。親指でそっと唇を撫で、瞳の奥を見つめる。
「一八さん、私はねえ、あんたみたいな男らしい人が好きなんだ」
 潤んだ瞳で、顔を赤らめて下を向くと、結い上げた髪、白いうなじ。野郎、とろけて天に昇りそうな顔しやがって。羨ましいなあ、俺もあんなことされてみてえ。
「よっしゃ、姐さん、いや、ナツ。ワシがお前をここから連れ出したる。ほな行くで」
 奈津菜さんの手を掴んで、今にも連れ出そうとする一八。
「今はダメ。あいつ、表と二階に用心棒を置いて私を見張ってるの。やつらに見つかったら、あんたも私も殺されるわ」
 それを聞いて一瞬たじろぐ一八。すーっと椅子から立ち上がって、
「今日のところはいっぺん引き上げて、出直してくるよってに」
 逃げようとする一八の袖を掴み、軽蔑の眼差しで見つめる奈津菜さん。さあ、どうする? いつもみてえに「ぬるり」と逃げる気か? このままじゃあ見下されたままで面子丸潰れ、お笑い草になっちまうぜ、うなぎ野郎。
「み、見くびるな。こう見えても、ワシもいっぱしの悪党や」
と啖呵を切る一八。
「迎えに来る時まで、これをお前に預けとく」
と言って懐から財布を出して奈津菜さんに渡す。
「なんだい? これは。こんなに入ってるじゃあないか。どうしてこれを私に?」
「ワシらはもう夫婦や。亭主の金を女房に預ける。そういうこっちゃ」
「でもあんた、今晩何処かに泊まるぐらいの金は要るだろ? これを持って行っておくれ」
と言って、財布から一枚抜いて一八に渡す。
「くれぐれも、女のところだけには行かないで」
「女なんかおらん。ナツ、ワシにはお前しかおらへん」
「あんた…」
 嬉しさに堪え切れず目からつうーっと涙を流し、一八の胸に顔をうずめる奈津菜さん。
---------(艶っぽい鳴り物の三味の音)
「いつ、迎えに来てくれる?」
「明日で、どや?」
「用心棒が出掛けたら表に打ち水をしておくから、それを合図に入ってきておくれ」
 まんまと一八から財布を巻き上げた奈津菜さんの演技は続く。恋し気に一八の頬に両の手を当て、やさしく撫でる、瞼を撫でる、鼻頭を撫でる、唇を、耳たぶを、首を…。一八、またまたとろけて天にも昇る心持ち。

 そのとき、
---------(張扇と小拍子で見台を連打する音!)
店の入り口がガラガラッと開いた。
「用心棒が帰ってきた! はやく逃げておくれ」
 素早く身をひるがえした一八、物陰に隠れていた俺には気付かず、裏口から夜の闇に消えていく。
 ツカツカと入って来た大男。リーゼントヘアにマトンチョップ頬髭、ティアドロップサングラス、エルヴィス・プレスリー風の高襟フリンジ付き白ジャケット、裾開きの白パンツ、白ブーツの出で立ち。両国警察署の熊倉刑事だ。
「あら、熊さん。いらっしゃい」
「女将、ごきげんよう」
 決めポーズをとった後、キラリと白い歯を見せ、サングラスを外す。ポケットから取り出した櫛で頭を撫でつけながら、
「こちら、道頓堀警察署の玄番(げんば)刑事、通称、ゲンさんだ」
「どうも」
 暖簾から顔を出したもう一人の男が女将に挨拶をする。ゲンさんは大阪で最も鼻が利く刑事だということで、一八逮捕の最後の切り札としてやってきたらしい。警察は、今度こそ一八を捕まえる、って意気込みで捜索を続けている。
「長年の刑事の勘やろか? この界隈が臭うんや」
 ゲンさんの嗅覚、恐るべし。それを聞いた女将、
「実はさっきまで、その一八って男がここに居ましてね…」


 翌日。
 俺は、白Tシャツ、インディゴブルーのジーンズに雪駄履き、お気に入りのスカーフを首に巻き、羽根挿しの麦藁帽を小粋に頭に乗っけて家を出た。小料理屋「七草」近くの建物の陰に身を潜め、一八が現れるのを待つ。野郎、今日こそは逃げられねえだろうよ。なんたって、両国警察署と道頓堀警察署の捜査員、総勢二十名が、一八が現れるのを「今か、今か」と待機している。逮捕の瞬間は見届けておきてえ。そんな気分だった。
 そこへ、厳ついパンチパーマにサングラス姿の男が現れた。一八だ。店の前を行ったり来たり、周りを一周してみたり…。警察の奴ら、なんで動かねえんだ? そうか、奴ら、あの物腰柔らかな姿の一八しか知らねえから、一八と気付いてねえんだな。

「おかしいなあ、まだ打ち水されてへん」
 合点がいかねえ様子でキョロキョロ辺りを見回していると、千鳥足の男が通りかかったので尋ねてみる一八。
「すんません。ここ、『七草』っちゅう店でっか?」
「そうだよ」
 師匠じゃねえか!
「ナツっちゅう女将がいる店でっしゃろか?」
「おめえさん、なっちゃんに何か用かい?」
「用っちゅうか、夫婦、いや、親戚みたいなもんです」
「親戚の方ですか、こりゃどうも。じゃあ、昨日の話、ご存じ?」
「昨日の話?」
「お聞きになってねえんですかい。いや、実はね、昨日の晩、店に泥棒が入りましてね」
「泥棒?」
「なんでも、女将を誘拐しようとしたらしい。だが機転を利かせた女将が色仕掛けで泥棒と結婚の約束をした上に、そいつの財布を巻き上げたらしいんですよ」
「なんやて?」
「女将と逃げる約束して、そろそろやって来るらしいんだけどね、どんな野郎か面(ツラ)見てみよう、ってんで、警察だけじゃあなく、近所連中までが隠れて見てるよ」
「ほ、ほうなんでっか?」
「しかもその泥棒、表と二階に用心棒が居るってのを聞いて逃げ出したらしいんだけどね、ここ平屋だってのに気付かずに押し入ったっていうんだから相当間抜けな泥棒だね」
「平屋っちゅうんは、一階しか無いっちゅうことかいな?」
「当たりまえだ。二階が無えから平屋ってんだ」
「いったい、ナツは何者や?」
「元看護師だ」
「道理で手当てが良すぎやわ」


古典落語『転宅』より (了)



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