「ひろしま」1953年、日教組の制作した原爆映画

シネマヴェーラ 「ひろしま」1953年、関川秀雄 監督。日教組の制作した大作映画である。

冒頭は戦後広島、高校の一教室から。被爆した生徒がクラスの三分の一もあり、白血病やぶらぶら病を発症する生徒もいる。被爆者の同級生に対して「あいつらはいいなぁ」といったからかい半分のやっかみの陰口をたたく(被爆者ではない)高校生。そのくせ正確な知識は持っていない。

これらのエピソード、当時は被爆体験の風化という問題提起であったのだろうが、それよりも、いまのネット発言そっくりの情景であり、いまだにそういった心性が温存されていて変わらないような点がつまされてしまった。

岡田英次演じる教師も、被爆体験の風化を懸念しているが、被爆者が自身の被爆をスティグマとして隠して生きなければいけない状況も併せて描かれている。この点も、こうの史代「桜の国」をへた現在になってさえ、あまり空気が変わらない部分だと思われる。

当時の現地ロケを含むショット多数あり。産業奨励館(原爆ドーム)に出入りする浮浪児たち。平和記念資料館のあたりにみやげもの露店多数。多数の外国人観光客(おそらく米国人)のショット。ちなみに黒木和雄「とべない沈黙」ではさらに10年後の広島の現地ロケが見られる。

みやげもの屋ではなんと原爆死者の頭蓋骨が売られている。「はだしのゲン」でも頭蓋骨をみやげものとして売るエピソードがあったが、それ以外のドラマではあまり描かれていないように思う。本作や「ゲン」で描かれているように、浮浪児たちのシノギの一環という面が大きかったのか(要確認)。

被爆後の療養所。傷跡が真っ白になっているのは、ケロイドや火傷に亜鉛華軟膏を大量塗布しているのだろうか。顔がお面のように真っ白になっている子供が寝ている。

被爆後の戦災孤児のエピソードにもかなり重みがつけられている。孤児が集まって進駐軍から施してもらうための「ハングリー」その他英語の口上をみんなで練習するシーン。

自分の目でいま観ると、被爆直後の地獄絵図や戦後の反戦メッセージよりも、被爆者の差別・貧困や戦災孤児の境遇などのほうにひびくものがある。前述したように、基本的に現在でもこういった問題は根本的に変わっていないように感じられる。そのような意味では日教組のメッセージは成功した(根付いた)とは言えないのだろう。こうの史代作品は一つのチャレンジであったが、やや角度が異なるようだ。

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