実際に自分は受け入れることができるのか
何回か多様性について考える記事を書いていたが,いろいろな方の多様性に対する価値観を見ていた時に気になる記事を見つけたので,そちらについて考察したい。
多様性についての記事はこちら
こちらは最後の部分に本文では書けない意見がありますのでその部分は有料になっている。
多様性とは
多様性とは,「互いに非常に異なる多くの人や物の集まり」と定義されている。
広い視点で見れば,自然界においても多くの生物が存在しているので,これも多様性といえる。
自分は受け入れられるのか
多様性の時代と言われつつも,まだまだ世間に受け入れられない人たちが多くいるため,このことについて考えてきたが,代筆屋けんせいさんの記事を読んで,実際に自分は受け入れることができるのかという考えになった。
多様性について考えていると,本当にいろいろなマイノリティの方がいることは知識では理解できる。
しかし,実際にそういった方に出会ったときに自分は受け入れることができるのだろうかということに気づかされて記事である。
上記の記事でいえば,ボクは女性が恋愛対象だが,そうじゃない人たちがいるのは知識としては知っているし,多様性としてもちろん認めている。
自分が求められたとしたら対象外なので受け入れることはないのだが,実際に出会ったときに気持ち悪いと思わずにその人の価値観を認めることができるのだろうか。
実際に出会ってみないと分からないが,そこに本質があるのだと思う。
「いろんな人がいることを認めましょうね。」とは言いつつも上記の記事にあるようにカードがひっくり返るように思想や価値観がいきなりひっくり返ることはない。
知識として知っていても自分がどう感じるかは実際に体験しないと分からない。
確かに多様性を知るということは,自分自身を知るということにつながっているのだと感じた。
こういった心の動きを子どもたちに
多様性を知ることで自分自身の心の動きを知り,自分自身を知ることにつながっていく。
だったらこれを子どもたちに体験する機会を設けることが多様性を認めることにつながっていくのではないだろうか。
現在の日本の学校のように
みんな一緒
同調圧力
出る杭は打たれる
このような状態ではなおさら自分と違う人に出会ったときは否定するのみになってしまう。
子どものころから自分と違った人に出会い,たくさんの心の動きを知り,自分自身を育てていくことが多様性を認める社会をつくっていく人材の育成につながるのではないだろうか。
多様性が教えるのは,自分自身について。
自分自身を知ることで多様性を認める世の中を間接的につくっていく。
みんなに認めろというのではなく,個人個人が実際に体験し,自分自身の心の動きを知ることで間接的に多様性の時代の一員になればよいのかと思った。
まとめ
今回のように,自分自身が考えている話題でも,誰かの記事を読むことで考えが広がったり,新たな価値観に出会うことができるのがnoteの醍醐味なのかと思う。
こういった気づきにたくさん出会いたいものである。
また,自分の記事が誰かの気づきになってくれたら嬉しい。
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