「職業:自分」って何だっけ。
noteに初めて記事を出してから、1年が過ぎた。
私は「『職業:自分』になりたい」という言葉を手放すことにした。
南伊豆にあるゲストハウス「ローカル×ローカル」のインターンに行ったことで始めたnote。自分の内面を言語化するために選んだのが、「職業:自分」という言葉だった。
濃密な2週間のインターンを終えて大学生活が再開しても、しばらくは「職業:自分」という言葉が頭から離れなかった。自分の現在地と目的地を確認しては、悩む日々が続いた。
一筋の光を見せてくれたのは、言語化だった。
出来ることから始めて、少しずつ「職業:自分」に近づこうとした。
2024年に入って最初の2ヶ月は、文章をひたすら書いた。
とにかくトライしている自分にうぬぼれていたのかもしれない。全力でインプットとアウトプットを繰り返してるオレ、カッコいい…なんてね。
イラストを描くことは苦手だったけれど、何事も経験と思って挑戦した。
ここでもまた、「苦手も克服しようだなんて、自分カッコよすぎないか?」と思っていた。
そんな自己陶酔から目覚めるのは、時間の問題だった。
自らに課したインプットとアウトプットが苦しくなって、身体が悲鳴を上げた。体温が平熱に戻ったころには、「職業:自分」を目指す熱量も消えていた。
ああ、夢を見ていたんだな。空回りしてたのかもな。
そして大学3年になり、卒論のテーマを決めることになった。「来年には卒業なんだ…もう学生じゃなくなるんだ」と思う。
大学の就職支援室から就活ガイダンスのお知らせが届く。「就活を始める学年になってしまったんだ」と気づく。
何度も自分に問いかけた。
「今の自分は何がしたいんだ?何に興味があるんだ?」
「これからやりたいことは?どうやって生きていきたいんだ?」と。
そこに答えを返す自分はいなかった。何かに対する興味や期待は消えていき、そうかと言って未来を悲観的に考えたり絶望したりするわけでもない。
もがいて答えを探す気力もないほど、私は壊れてしまった。
時間をかけて、心の欠片をつなぎ合わせていく作業が始まった。
この時に接着剤になったのは、自分の言葉だった。囁きとも呼べないほど小さな心の声に耳を傾け、それを文章に残していった。
もう、「職業:自分」は私が知らない世界のものだった。
夢から解き放たれたいま、大学生という肩書きしか持っていない私は何者でもない。まともな自己紹介ができるには、欠片をもう少し接ぎ合わせる必要がある。
そして、過去の自分が何よりも「私が何者であった」かを示してくれる。
しばらくは自らの言語化の賜物に、自己紹介を委ねておきたい。