ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』の世界に、アートは存在するのか?【PhilosophiArt】
こんにちは。成瀬 凌圓です。
今日から、哲学者ウィトゲンシュタインが書いた『論理哲学論考』(以下、『論考』)を読みながら、哲学とアートのつながりを探していきます。
この本を深く理解するために、全8回に分けて読んでいきます。
少し長くなりますが、みなさんと学びを共有していきたいと思います。
まず最初に、『論考』を選んだ理由や、ウィトゲンシュタインの略歴、本の大まかな構造を紹介します。
そして、『論考』の序盤で語られている「世界」についてお話ししていきます。
最後には、その世界におけるアートに対する僕の考えをまとめています。
なぜ『論考』を選んだのか
まずは、僕が一番最初にこの本を選んだ理由からお話ししていきます。
それはズバリ、「買って家にあったから」。笑
(哲学的な理由じゃなくて、ごめんなさい…)
昨年(2023年)の夏に、電子書籍(Kindle)で買って一度は読んでみたものの、読み進めるにつれて、頭がこんがらがってしまい、挫折してしまいました。
でも、大学で哲学を学ぶ学生として、哲学書に立ち向かいたい。
一度負けた(読みきれなかった)相手に勝てたら、嬉しいし、モチベーションも上がるはず…!
『論考』を選んだのは、実はそんな個人的な理由です。
大学では哲学を学んでいますが、休みの日は美術館に行ったり、書店に行ったら一直線に芸術コーナーに向かったりするくらい、僕はアートにも興味があります。
しかし『論考』を読んでも、創作することやアートなどについてどう考えればいいのか、わかりませんでした。
ほとんどのことが概念的に書かれ、示される具体例も少なかったように思います。
『論考』をじっくりと読み直すことで、著者であるウィトゲンシュタインの視点を持ってみたい。そんな気持ちも、もう一度読もうと決意するきっかけになりました。
著者:ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインについて
そもそも著者が一体どのような人なのか、改めて調べてみることにしました。
ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインは、1889年にウィーンで、実業家の父とピアニストの母の間に生まれました。
経済的にも、文化的にも恵まれた環境で育った彼は、幼少期は家庭教師のもとで教育を受けます。
技術者としての道に進むことを決意した彼は、ベルリンの工科大学に進学し、卒業後はイギリスで飛行機のプロペラ設計などをしていました。
設計をしていく中で欠かせないのが、数学です。
彼は、その数学の根本にある論理や哲学に関心が移っていくのでした。
『論考』は、ウィトゲンシュタインが第一次世界大戦の際に、志願兵となって捕虜収容所に収監されている中で書き上げたものです。
そして、彼は哲学的に、「問題はその本質において最終的に解決された」として、哲学の世界から身を引き、小学校の教師になります。
その後しだいに『論考』が哲学の世界で重要視され、ウィトゲンシュタイン自身も哲学への関心を取り戻していきました。1929年にはケンブリッジ大学に戻って博士号を取得し、1939年にケンブリッジ大学の教授に就任します。
1949年には教授を退任しますが、その後も哲学的な考察を続け、1951年に62歳で亡くなりました。
哲学的問題が解決された、と主張する『論考』で、創作や美、アートについては語られているのか。読み進める中で、見つけていきたいと思います。
『論考』の構造について
この本は大きく7つの節に分かれています。
論文やレポートのような形式ではなく、番号をつけた箇条書きのような短い節が続くスタイルで書かれています。
この独特な書き方。僕は理解するのにとても大変でした。
1節から6節にある、小数点がついた番号の節は、より上位の節にコメントする形になっています。1節を例に見てみます。
ちなみに、最後の7節「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」はこの節のみで終わっています。
少し前置きが長くなってしまいました。
今回は、1節から2.063節に書かれている「世界」についてまとめます。
ウィトゲンシュタインの考える「世界」とは
『論考』の冒頭に書かれている、世界について。
ぎゅぎゅっとまとめると、世界とは、
私たちが考えられるものを組み合わせて並べたことがらの総体、です。
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