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「さいたま市」という市名に隠された深すぎる歴史的事情とは!?【5/1はさいたま市誕生の日】


本日、5月1日は、さいたま市ができた日です。
2001(平成13)年の今日、埼玉県の旧県庁所在地だった浦和市と、大宮市、与野市の3つの自治体が合併して、さいたま市になりました。その後、2005(平成17)年には岩槻市も吸収して市域を広げ現在に至ります。

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本日はこの「さいたま」という名前について深堀りしていきます。(ビジュアル要素ないのでいつにも増して文字多めですm(__)m)

ホントは埼玉市になるはずだった!?

このさいたま市、憶えている人は少ないかもしれませんが、「さいたま市」という名前が決まった当初は、珍しいひらがな市名だったため、メディア等で盛んに取り上げられていました。
この市名、もともとは公募によって決まる予定でした。市民から広く募集して、なるべく多くの人に納得してもらった名前のほうがいいのです。
しかし、じつはある“クレーム”のせいで、公募通りの結果ではなくなってしまったのです。

新市名を公募したところ、トップは7717票で「埼玉市」で、2位は3821票で「さいたま市」となり、圧倒的な差で「埼玉市」が支持されていました。やはり県庁所在地は県名と同じほうがいいのですね。
この結果を受け、「埼玉市」に決定したかに思えました。しかし、なぜか行田市からクレームが入ったのです。

なぜ行田から!? と思う人も少なくないでしょう。合併する浦和、大宮、与野のどれでもなく、さらにこの三市から約50キロも離れた市であるからです。「のぼうの城」で有名な忍城や、「陸王」の元ネタになった足袋工場がある町です。

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いったいなぜ、行田市がわざわざ遠く離れた浦和、大宮、与野の問題に口を挟んできたのでしょうか?

ルーツは行田の「さきたま(埼玉・前玉)」

 さいたま市とは関係のない行田市が、埼玉市案にクレームを入れたのには理由があります。
じつは行田市こそ、県名でもある埼玉のルーツ「埼玉(さきたま)」発祥の地なのです。

行田市には、前方後円墳や円墳が数多く残された埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)があります。そのひとつには、雄略天皇の銘が刻まれた鉄剣が出土したことで知られる稲荷山古墳もあり、古代から重要な場所でした。

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この古墳群の近くに、古墳の被葬者を祀った前玉神社(さきたまじんじゃ)があります。この「前玉(さきたま)」こそが、埼玉という地名のルーツであると言われているのです。
「さきたま」の由来は、古墳群のあるこの地を「幸魂」と考えたこと、つまり人に幸福を与える神様の霊魂がこもった地、という位置づけだったのだろうと考えられています。

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「さきたま」という地名は、万葉集にて「佐吉多万」と表記されたり、和名抄ではすでに読みが「さいたま」に変わって「左伊太未」とされるなど、古くからさまざまな漢字で表されてきました。その「さきたま」が、のちに郡名へと格上げされて、埼玉郡という区分ができました。
江戸時代のこの行田一帯の地名は、埼玉郡埼玉村です。読み方は、郡名を「さいたま」、村名を「さきたま」と読み分けていました。

「さいたま」郡が埼玉県へ

郡名になった「埼玉」ですが、1871(明治4)年の廃藩置県によって、さらに県名になりました。このとき、我々が知っている埼玉県が初めて誕生したのです。

埼玉県は、この一帯にあった「忍県」「岩槻県」「浦和県」の3つの県が統合する形で生まれました。この3つのうち、浦和県は旧「足立郡」として現在の旧さいたま市域を含んでおり、ほかの忍県と岩槻県は旧「埼玉郡」に所属していました。

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足立郡もあったのにもかかわらず、「埼玉」が県名として採用されたのは、理由があります。3県を統合するにあたり、面積でいえば旧埼玉郡が圧倒的に広かったからです。
そのため、足立県ではなく、埼玉県となったわけですね。

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ただ、このときから県庁所在地の矛盾が生まれてしまうのです。
埼玉県ができたとき、県庁は旧埼玉郡の中心地であった岩槻に置く案が出ました。しかし結局は、交通の便などを考えて浦和に置かれてしまったのです。つまり、埼玉県の県庁所在地が、埼玉のルーツである旧埼玉郡ではなく、旧足立郡の浦和という全然別の土地に置かれてしまったのですね。

このときから、「埼玉」のルーツが旧埼玉郡、そのなかでも行田、ということがわかりづらくなってしまいました。

ルーツを彷彿とさせる「埼玉」を避けた

行田にネーミングの起源をもつ埼玉県の県庁は、縁もゆかりもない浦和に置かれたわけですが、ルーツの行田市もいちおう埼玉県内にあります。そのため、県庁の場所が本来の起源地でない! なんていちゃもんをつける人はいませんでした。

しかし、他所の土地で勝手に「埼玉市」を名乗られてしまっては事情が違うのでしょう。本来の埼玉は行田にあるわけですから、大宮や浦和の一帯だけが、市町村合併にかこつけて「埼玉市」を名乗るのは、埼玉のルーツである行田市としては納得がいきません。
だからこそ、市名公募で「埼玉市」が1位になったのにもかかわらず、行田市がクレームを入れたのでした。

この結果、新市側は1位の「埼玉市」を泣く泣くボツにしました。そして、漢字とひらがなは別だろう、という考えから、2位だった「さいたま市」を繰り上げて採用したのです。

政令指定都市の市名を掘り下げると、悠久の歴史ロマンにたどり着くとは、名前ひとつとっても日本は面白い土地ですね。


参考資料

『埼玉地名の由来を歩く』谷川彰英(KKベストセラーズ)
『行田市史普及版 行田の歴史』行田市史編さん委員会編(行田市)
『埼玉の逆襲 「フツーでそこそこ」埼玉的幸福論』谷村昌平(言視舍)
『埼玉県の不思議事典』金井塚良一、大村進編(新人物往来社)


Ⓒオモシロなんでも雑学編集部

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