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有名なガリレオの落下実験 じつはウソだった!?

本日、5月9日は歴史的な日です。
1983年の今日、ローマ教皇ヨハネ=パウロ2世が、350年前に地動説を唱えたガリレオ・ガリレイに対する宗教裁判の誤りを認めた日だからです。

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ヨハネ=パウロ2世は、「旅する教皇」といわれたパウロ6世を上回るスケールで全世界を訪問し、「空飛ぶ教皇」と呼ばれました。彼は他宗教や他文化との交流に積極的で、さらにキリスト教が歴史的に犯した罪についての活動も行い融和を進めました。
キリスト教の過去のユダヤ人への対応や十字軍遠征の反省と謝罪を行ったほか、1983年の今日、ガリレオ・ガリレイの地動説裁判における名誉回復を公式に発表したのです。

ガリレオは『天文対話』を世にだしたとき、異端審問の裁判にかけられました。地動説は宗教的世界観に支配された当時の権力者たちからは疎まれるもので、異端としてつるし上げ、地動説を放棄させようとしたのです。放棄を宣誓したガリレオが、その直後に放った「それでも地球は回っている!」という一言はとても有名ですね。

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この宗教裁判の判決が、公的に撤回されたのが、1983年の今日だったのです。
前置きが長くなりましたが、本日はこのガリレオの雑学をご紹介します。

ガリレオの重力加速度の実験

ガリレオ・ガリレイとは、16世紀から17世紀に生きた、イタリアの天文学者です。見方によっては物理学者や数学者といった肩書もつくでしょう。

ガリレオは慣性の法則や、落下加速度の一定性弾道の放物線などの物理学的な法則を次々に発見しました。また、望遠鏡を製作し、銀河月面のクレーター木星の衛星太陽の黒点など、天文学の先駆的発見しています。まさに現代科学の基礎を築いた人物といえるでしょう。

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これらの偉大な成果のなかで、特筆して有名なのが落下実験のエピソードでしょうか。

ガリレオは、イタリア・トスカーナ州にあるピサの斜塔で実験を行いました。ピサの斜塔は、12世紀後半に立てられはじめ、地盤の緩みから徐々に傾いてしまい、斜めになった状態で完成した、有名な塔です。

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ギリシャの古典物理学の常識が支配していた当時では、物体は重いほうが速く落ち、軽い物ほど遅く落ちると考えられていました。しかし、ガリレオはが「物体の落体速度は抵抗がなければ、物体の種類や重さにかかわらず一定である」と考え、それを証明するためにピサの斜塔の傾きを利用して、重さの異なる球を落っことす実験を行い、この考えを証明したのです。

助手の創作!?

しかし、ここに驚くべき説があります。
このピサの斜塔を用いた有名な実験は、じつは行われていなかったというのです。

この説では、ピサの斜塔の実験は、のちにガリレオの伝記を書いた助手のビンチェンツィオ・ビビアーニの創作だったといわれています。(▼ビビアーニ)

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事実、ガリレオは自身の論著や手紙の中で、ピサの斜塔で実験を行なったことについてまったく語っていません。

『新科学論議』(別名「新科学対話」 正式には「機械学および位置運動に関する二つの新しい科学についての論議と数学的証明」)の中では、塔の上から重さの異なる物を落として速度を比べる実験を示唆していますが、これもあくまで“示唆”で、実験を行なっていないことがわかる内容になっているそうです。のちにビビアーニの友だちがこの実験を行ったという記録は残っているので、ビビアーニはこれをガリレオの成果と混同して書いてしまったといわれています。(▼新科学論議)

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そもそもガリレオはもっぱらの数学者で、科学的観察には数学が不可欠だと提唱していました。研究方法も数学的なアプローチによるものだったそう。『新科学論議』の記述も、数学的に導き出した落体の法則を、読者に理解を得られやすい簡単な例として、述べたものと考えられています。

つまり、ピサの斜塔に上ってわざわざ物を落とすのではなく、研究室のなかで理論を組み立てて落下速度を算出していただけというわけです。

有名すぎるエピソードなのに、これが創作だったとは衝撃的ですが、信じるか信じないかはあなた次第です!


参考資料:
天文教育 2009 年 3 月号(Vol.21 No.2)
ナショナルジオグラフィック

Ⓒオモシロなんでも雑学編集部


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