副作用自慢をする残酷な大衆 下降期における受容と批判
岩槻城址公園(埼玉県)脇にある1976年創業の駄菓子屋が今月末で閉業する。もう時代は変わったのだそうだ。若いときは昼夜を問わず働いたけれども、今は景況も良くないし、子供たちが可愛くて仕方がないけれども、例えば、「一人一個って言ったでしょ!」といった親の叱り方一つに対してさえ、節目を感じてしまう老婆であった。対する旦那さんは自販機の金を回収し、こちらはいきいきとして快活そうだし、たんまりと溜まった小銭をレジの中に無骨に収める。対称的であり、印象的な光景である。
私は大げさにいえば、この駄菓子屋に戦後社会の終焉を比喩しているのではないかとすら思ってしまったのであった。曇天で気分がすぐれなかったという事情もあろう。時代が変わればそれを織りなす環境もまた変化する。しかしながら、その終わり方はすっきりとしたものだったのだろうか。なお、数百円分の大人買いをしたのだが、十円おまけしてくださった。せわしないキャピタリズム・グルーバリズムの世界とはおよそ無縁の世界が展開されていた。
97年くらいだろう。山一が倒産したくらいから、不景気感覚が強くなってきたように思う。まさか、現在に至るまでデフレが続くとは思ってもいなかったけれども。社会構造は根本的に変わっている。日の沈む国は沈むなりの生き方をしていくほかない。良質な中産階級もいつのまにか消えてしまった。一億総中流時代という言葉は死語となった。
とんだ与太話だけれども、私が1960年代に産まれていたら、学生運動に参加していたと思う。マルクス=レーニン主義や毛沢東主義を信じられたかどうかは不明だけれども、戦後日本の欺瞞に対しては、なんらかの鉄槌をくだしていたのかなと思う。それが単なるお遊戯に過ぎないとしても。行動もなにもしないよりはマシだと考えるからだ。凡そ陽明学的で司馬遼太郎というよりは、三島由紀夫的なのだろう。
もっとも、究極的には思想もなにもかもないと思ってはいる。どうでもいいと思う点ではニヒリズムともいえるし、相対主義であるとも言えなくもないけれども。そういう点では思想は現実化しえない範囲にて光芒を放つとしたリアリストである司馬遼太郎の立場に近い面も有しているのかもしれない。いや、彼は思想的アナーキストではないが。そしてまた、松本健一が言うように、司馬は戦後日本の擁護者であり、リアリストなのだろう。
さて、私はといえば、司馬の作品に対して、その独特の柔らかな文体から、不思議な落ち着きを感じつつも、戦後日本を基本的には肯定していているような(ただし、戦後の土地投機や自然破壊については大いに憤っていたけれども)彼の姿勢に、必ずしも全面的に肯定できなかった。だから、「街道をゆく」もあくまで旅行記として楽しんで読んでいただけであるし(しかし、非常に面白いことは認める)、「坂の上の雲」なども読み物としてしか評価できないし、「殉死」はやりすぎだろうと思う。だから、司馬の作品であれば、偏りがあることを前提としても、戦国ものが好きだ。そこにはイデオロギーの腐臭が漂わない気がするからだ。閑話休題。
さて、運動に参加した私はなにをするのだろう。おそらく、今はやりの注射(なんちゃらウィルスの情報うんたらの可能性ありといった表記が入るので、ぼかして書くのだが、実にもどかしい)大躍進運動に懐疑的な私は、やはり運動には幻滅していたのだと思う。ただ、市民主義に回帰するという生き方は好まないし(フツーに勤め人をするのはよいけれども、思想を曲げてまで、組織に忠実であることに非常な抵抗を感じるタイプである)、ぶっちゃけたところわからないけれども、自決までするほどに、ロマン主義にかぶれているわけでもないし、結局は鬱勃としたまま、80年代のノンポリな消費社会を生きているのかなという気がする。ああ、結局そうなのか。。
運動への憧れが強すぎるのはわかっている。かつては運動を唾棄していたのに。私は転向したのだろうか(いまどきそんな言い方なんてしないけれど)。実は現実への憤慨が根底にある。
現況、国民は羊のように従順で、注射の副作用を自慢しているような有り様で、実に平和なものだ。だが、その羊たちは豹変する。昨年の春頃は公園で歩く人たちを晒し者にしていた者たちが、フツーに生活している。五輪開催に反対していたものどもが、いざ開催となれば、観戦に勤しむ。今後は注射を免罪符にして、くうねるあそぶに勤しむのだろうか。そしてまた、感染が拡大すると、また注射を嬉々として受け入れるだろうか。茶番だ。そしてなんて残酷な者どもなのだろう。注射が絶対正義であるという圧が極大化することはほぼ自明である。私はこのような残酷な国民たちが至る所にいるということにまず戦慄を感じる。
残酷な民は、事象が過ぎれば何事もなかったように羊に回帰する。現代日本は羊と狼という二面性を被った大衆が跋扈する社会であると、思い切って述べてしまうことにする。
なお、司馬遼太郎と三島由紀夫という戦後日本を代表しながらも、対称的に思える彼らは現況をどう見るのだろうか。非常に気になる点ではある。司馬は穏健に感染拡大を防ごうと述べ、三島は一連の感染騒ぎに欺瞞を感じ、なにかをやらかしてしまったりするのだろうか。残念ながら両巨星はもういない。思えば、彼らが生きていた時代は戦後日本の上昇期であった。上昇気流の中での受容と批判が軸であった。今後は下降期における受容と批判が軸となるのは間違えないが、両大家に匹敵するような人物にはなかなかおめにかかれない。
司馬と三島の両人物を対比しながら、その特質をあぶりだした名著を松本健一が書いているので、ご紹介する。アフィリエイトなので、クリックしてそのままお買い求め願えれば幸いである。人はパンのみにて生きるにあらずなので。現在、売上36円。私に「蟹工船」にでも乗れというのだろうか。
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