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一生分の好きは、もう使い果たしている。


土曜日の15時、横浜駅に到着。
今日は気になる彼との三回目のデート。これから水族館に行く。満喫したころに丁度ロマンティックな夜を迎える。もうこの時点で、全力でお付き合いフラグが立っている。


うだるような暑さの改札。あーもうメイクが秒で崩れる・・・と思っていると彼は先に来てくれていた。まだ5分前なのだが、この人は何分前からここにいるのだろうか。大変にありがたい。

「きょうはいつもと雰囲気違うね」
初披露のメガネに早速気づいてもらえた。ありがとう〜と言いながら、私も彼のおニューポイントがどこか、瞬時にフルスキャンを行う。前二回とはちょっと違い、お出かけ用にカジュアルにしているスニーカーやリュックだったので、TPOに応じて雰囲気を変えられるやつが真のおしゃれマンだと熱弁する。私なりにほめたつもりだったが、彼はいつもニコニコしているので気持ちが届いているかはよくわからない。まあいい、そうこうしているうちに電車が来た。

先頭車両に乗ると、座席はラッキーなことに新幹線のような進行方向に向かって座れるタイプ(クロスシートと呼ぶらしい)で、ちょっとした旅行気分。車掌さんと線路が丸見えの特等席は自然と会話が弾む。夏休みはどんなところに行きたいかなぁ~なんて仮定法を使いながら、恋人フラグをバッキバキに立てていく。ここまですべてが順調だ。

彼は、地方出身で、関東の地理に詳しくないようだった。今どこ走っているのかなと、鎌倉、湘南、三浦、・・・位置関係をGPSで現在地を見ながら教えてあげた。

「ここが今向かっている三浦半島です!」

「へー神奈川に島があるんだ。」

「うん?え、いや半島ですよ」

「え、どういうこと?」

「・・・・、大丈夫です!!!!(まさか、半島が何なのかを知らないのか…?)」

大丈夫というこの言葉はなんとなく会話を成立させるために必要不可欠だ。意図して質問に答えないというのは高等テクニックである。例えば、今日すっぴんなんだ〜どうしよう~??という女性の謎の報告に対して、男性陣はどう答えるべきであろうか。

気づかなかったといえば彼女のメイクを否定したことになるし、ブスだねなんて言った日にはこの世の終わりだ。こういう質問は質問自体に悪意があるので、答えた瞬間に爆弾が爆発する仕掛けとなっている。だから、YESもNOも言わなくていい、「何、今日寝坊したの?どうせ夜ふかししたんだろ〜」が正解だ。こういう議論のすり替えが重要なのである。


そんなこんなで(?)、どうやら彼は半島という概念がわかってないようだった。モノレールに乗り換え、つり革広告にある日能研の「シカクいアタマをマルくする」を見ながら、中学受験のために意味もわからず列島の凹と凸をひたすら暗記していた小4の夏を思い出していた。

次第に都会の喧騒から離れ始め、外の景色はチラッ、チラッと海が見えてくる。目的地の駅に到着したときには、視界がぐっと開けて水平線が一望できた。めちゃめちゃに暑いけれど、風と共に潮のにおいが運ばれてきて、なんとなく涼し気だ。じりじりとした日光が海面で乱反射して白く眩しい。夏を感じながら、ようやく仕事という現実から解放された気分になれた。今日は最後まで楽しめそうだ。




水族館に到着。ここに来たのは10年ぶりになる。子供たちのためだろうか、テーマぶち壊しの取って付けたようなメリーゴーランドが入り口にある。あぁそういえばこれ乗ったな、懐かしい。その場所に染み付いた思い出が、呼び起こされた。

当時大学生だった私は男女6人で遊びに来た。びしょびしょになってはしゃぎ、途中気になる人と1対1の時間を作ったり、夜はサイゼでどんちゃん騒ぎして消毒液のようなワインを飲み干し、朝までカラオケで椎名林檎を熱唱。

なんとなく感傷に浸っている私に気づき、「前はいつ来たの?」と質問された。大学の仲良かった女友達3人で来たんだよ~と息をするようにうそをつく(女性の人数はあっているし、かつ、男がいないとは言ってないのでギリギリセーフ。いやアウトか)。


イルカショー、クラゲ、ペンギン…中でも大好きな場所はイワシの大群が見れる大きな水槽。高さ8メートル・水量1,500トンの中にて5万尾のイワシ、てっぺんから刺す光が、銀色の体表面の鱗で散乱することで群泳が煌めく。視界全部がこの景色で埋め尽くされると、まるで自分が海底にいるかのような気分に浸ることができて、最高に幻想的なのだ。

そして隣に意中の男。激萌えシチュエーションだった。私の大好きな映画、「ちょっと思い出しただけ」の舞台でもあるこの場所で、主演の伊藤沙莉さんが相手の男性(池松壮亮さん)に対して、告白してほしくて関係を迫るセリフがとにかく最高だった。


「うちら、今どんな感じ?」


アラサー特有の焦りもありつつ、恋愛の駆け引きも含む。10代の頃のようには、はっきりと付き合ってください儀式をしなくなる感じを絶妙に表現したセリフだ。

そんなこんなで私も元彼を思い出す。彼はここではなくて、江ノ島水族館が好きだったなぁ。はしゃいでばっかりで、私の意見なんかお構いなしで連れ回されたっけ。だけど、それが心地よく、底抜けに明るく、無邪気に笑う笑顔に何度救われただろうか。就活で挫折しかけていたとき、修士論文に追い込まれていたとき、社会人になって不安に押しつぶされそうなとき・・・、私は彼からもらった1/10も恩を返せていないな。彼はどうだったんだろう、私と過ごした時間は黒歴史なのか。そんなことは考えてもしょうがないのだがきっと彼にとってプラスのものであってほしいと願わずにはいられない。 

今は元気にしているのだろうか。もう会うことは無いのだろうけど、一体どんな女性と結婚するのかは気になる。私のような年上より、もっと身近に、すぐそばにいてくれる同い年か、甘えてくる年下女性が似合うと思う。


ふと今デート中の彼との距離がかなり近いことに気づく。いつの間にか触れるか、触れないかギリギリの距離だった。もう数センチ、手すりに伸ばした腕をずらせば触れてしまうだろう。なんとまぁイジらしい。というか私の髪がもう触れてしまっているではないか。コヤツ、こんな高等テクを使うやつだったのか…。私の意識はすっかり水槽から彼へ向けられるようになり、ジーッと横顔を見つめてしまっていた。彼は視線に気づくと、「うん?」と言いながら相変わらずニコニコして目を合わせてくる。ズルい仕草だ。

名前の付いてない二人の関係性を体現したような距離感。はっきりしねぇなと思うかもしれないが、こういう曖昧さは嫌いじゃない。白黒つけないのが大人の恋愛。そう、これが恋を楽しんでいるということなのだと、自分に魔法をかけるのであった。




水族館を出た頃には19時を過ぎていた。人気も減り、涼しくなっている。ただ、まだ夕日は微かに残っていて、夜空との間にグラデーションが広がっている。景色を見ながら、楽しかったねと今日を振り返り、最後のお土産コーナーで他愛もない話を繰り広げる。彼は白熊の抱き枕がとても気に入ったようで、一番おっきい150cmの白熊を見つけると、ギューッと抱きしめ顔をうずめている。「あれ、その白熊は今夜の私か、私なのか!!!!???」


暗い夜の駅までの帰り道は静かでもう誰もいない。海が見えるベンチが狙いすましたかのようにそこにあった(彼は意図していたのだろうか)。そして遠くから微かに、「ドォーン」という音が聞こえた。目を凝らすと、打ち上げ花火だった。あまりに遠くて線香花火のようなスケールなのだが、なんとなく今の私達には丁度良い気がした。

数分程度、無言の時間があっただろうか。ふと彼が切り出す。「ちょっと足疲れたよね、あそこで座ってゆっくりしよっか。」


ここに座ることの意味。何の話が始まるのか、容易に想像がついた。ついに覚悟を決めるときが来たのだろうか。5年という長いフリー期間を隔て、ようやくここまでこぎつけた。クソめんどくさいアプリを毎日深夜に開いては、在宅大変ですよね〜というテンプレやり取りを何百回とした。心理療法士という変わった職業の人でその魅力に惹かれたものの、具体的な仕事の内容を聞くと、タロットセラピーという謎ワードが出てきて、科学とスピリチュアルの融合が起きたのかと一瞬思考がクラッシュした後、こりゃ詐欺だなと即ブロックしたこともあった。本当に素敵だと思った人から、就活のお祈りメールのような、別の人と付き合うことになりました報告を受け、それがどうしようもなく辛くて彼のフルネームであらゆる検索を駆使し、twitterアカウントに到着、こっそりフォローするというストーキング行為を行ったこともあった。歴代の男性たちが走馬灯のように過ぎていく。全てはこの瞬間のためのものだったのかもしれない。

今日の一日の楽しさを振り、今日も楽しかったから明日も楽しい、明後日も明々後日もそう、だからこれから先もずっと楽しいことが続くのだという、私達の半永久的な関係性を証明する時が始まるのだろうと、そんなことが数秒で頭をよぎった後、ベンチに座って話そうかという彼の提案に私は答える。






「あ、いやもう早く電車乗りましょっか!おなか減ったし!!」





そこからの帰り道はお通夜のようだった。急にこの世界すべてが色を失ったように、海が見える景色は昼間のきらめきを失い、真っ暗で何も見えない、潮風も匂わない。行きにのった電車、隣にいる男性が同じとはとても思えなかった。なんとなく疲れたふりをして、少し目を閉じる。話は途切れ途切れで、その場つなぎで、晩御飯に食べたいものの話をする。

横浜駅に到着し、おもむろに回転寿司が食べたいと伝える。まるでサイコパスでも見るかのような彼の顔。ただそんなことはどうでもいい、私はアジを食べたい。

そんな私に対しても彼は次に行くところをまた色々と提案してくれる。ここの岩盤浴が良いんだよ~と私好みのところを提案してくれる。なんとなくのYES感を出して、のらりくらりの会話を続けた。

そして改札で解散。半日のデート前後で結局私たちの関係は進まなかった(というか私が止めた)。ただただ、彼は本当に、突き抜けにやさしかった。鈍い罪悪感が残りながら、どこか安堵もしている自分がいた。




なぜ彼の告白を断ったのか。そもそも告白を受ける気が無いなら、デートに行くこと自体を断るべきだったといえばその通りだろう。

彼には本当に申し訳ないことをしてしまったが、もちろん私も気がない訳ではなく、心の準備はしていたつもりだ。きっと彼になら恋心を抱くことができるはずだと信じていた。それだけ彼には魅力があった。が、やっぱり駄目だった。

ここまで読んでくださった方々はなんとなくお分かりだろうが(多分誰も読んでないけど)、文章中に彼のことはほとんど出てこない。この日記は、当日の私の頭の中をそのまま写像したものなのだが、この日、私は私のことしか考えてないし、それは彼に対して心が揺り動かされていないことを意味していた。


ここ数年、私はどうも人を減点方式で見てしまうようだ。会えば会うほど、好きになるどころか、興味を失っていく。その人の人柄が見えてしまったと感じるともう終わりだ。顔もわからない人とメッセージをしているときの方がよっぽどドキドキする。女性はどんどん好きな気持ちが強くなるとネットで見た気がするが、あれは一体何だったんだろうか。

彼はとてもやさしい人だった。なんでも私に合わせてくれる。ただ一方で、すべてが予定調和であり、私の知っている範囲内でしか事が進まない。

20代までは良かった。きっと彼と付き合った。好きだから付き合い、今日会って、また明日も会いたいと思えばそれで良かった。相手がいれば孤独は埋まるし、孤独が埋まれば幸せになる。結婚という形式、永遠という響きにあこがれを抱き、いずれは自分も家族を持つということが決定事項だった。ただ、もうどうやらそんな恋心を追い求める時期は過ぎてしまったようだ。自然に心の内側から沸き立つ衝動なんて、とうに使い果たしてしまっているのだから。そのことに気づくのにこんなに時間がかかってしまった。そして彼をその気にさせ、傷つけてしまった。


だがようやくここに来て、パートナーに求めることがうっすら浮かび上がってくる。おそらく私が求めているのは、私の知らないことを知っているということだ

文学、アート、経済、国際政治、なんでもいい。驚きと発見というのが私の人生を輝かせている。逆にそれがないと、一人で生きているのと何ら変わりないのだ。チャットボットを横においているような気がしてしまい、精神的に死亡する。

なんとなく好きだから付き合うというのはもうここら辺にしておかないといけない。本当にびっくりするほどに、何も満たされない。むしろ、孤独が増す。誰ともつながれないのか、自分は欠陥品ではないかと。


パートナーには金も、家事も、何にも求めない。だから、唯一、もっと楽しいということだけが欲しい。ただこれは舌が肥えた女の、最高に贅沢な条件かもしれない。




おしまい


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