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「SUPER・MEETING(スーパー・ミーティング) から理解する 良い会議と悪い会議」

いや昨今、オンラインミーティングやらもろもろやらないといけないじゃないですか?

雑談ひとつとっても、オンラインということでこんな本をよんでみました。

いやね! 会議って、すげぇあるじゃないですか!?
社会人になった時はぜんぜん、思わなかったんですが年々増えていって、前職ではもう会議に次ぐ会議で、なんでこんなやんねん!!! と思ったものでした。

一番はあれですね! みんながやるきを出すためにはどうしたらいいか、ということでみんなのダメなところを延々と上司がいう会議を聞いていて、こんなこを裏で言われていて、みんながやるきになるわけないだろう と思ったのはもはやいい思い出なのかなんなのか!

あと、よくある ブレインストーミング とか、わい信じてなかったんですが
そのへんのこともかいてあってよかったです。マル。

この本のユニークなところは、会議・ミーティングを悪だと一刀両断していないところでしょうか。

いや、ほら、ドラッカーさえも 会議は悪である とかいうし、
事件は会議室でおきてないとかいわれるわけじゃないですか、ただし、それでも会議にも意味はあるよー、ということをきちんと書いたうえで、

良い会議をするにはどうしたらいいか

を考えられて、提言されているあたりが一番よかったですね。

会議には最適な人数がいる

これはよくいわれていることだし、実際に10数人出る会議ってそもそも、会議になるのかって話があるんですが、ここではマックス7人というふうに仕切られてます。

ただし、ここでさらにユニークな視点は

会議に呼ばれないと不機嫌になる人がいる

ということにフォーカスしているということ。正直、決定者だけでればいいんだけど、話を通しておかないといけないし、なんかそういうかんじにしなきゃなーというのがあると思うんですが、そういうことが実際にデータとして現れてていて、事前の共有だったりその辺諸々の手段が論じられているのがいいかんじ。

あと一番面白かったのが、

会議で出席者に情報格差があると正しい選択がなされない

という実験。

これは Aさん、Bさんというふたりのどちらを採用するか、という会議をする際に、

・全員に共有された情報で、判断すると Bさん が採用されるだろう
・1人だけ Aさんに対して追加情報を与える。それをもとにすると、Aさんを採用すべきとなるはず

という情報格差を与えると、会議では、Bさんが採用される決定がされる。

え? どうして? とおもうかもしれないし、そうなんですが、1人だけしっていることは、会議では共有されないらしんですよ。

なんでやん、と思うんですが、ここではみんなが知っているだろうという情報だけを元に話し合いがなされ、重要な情報を知っている1人からその情報が展開されることがないそうです。

その1人は自分だけ情報を知っているということが負い目か、不平等さを知られるのがやなのか、よーわからんですが積極的に自分だけが知っている情報を開示せず、みんなが知っている情報だけで話し合いが進み、結局 Bさんが採用されるということになる。

この辺は同調圧力なのか、社会的手抜きなのかはあれなんですが、ともかく広く情報を収集するという目的ではない会議では、積極的な情報開示がなされないということと、得てして、集団的無知に陥ってしまうということがしめされていました。

あとブレスト。わいが信じてないブレスト。

あれって結局、ほんまどうでもいいことしか話し合われなくないですか? と思っていたんですが、そういうことが解かれてました。

・ブレストでは自由は発想はあまりなされない
・発言者が限られる
・誰かが発言中にみんな黙るので、思いつきを忘れる
・結局、いうのが憚られる

ということらしいですが、ブレインライティングという一人ひとり、ふせんとかに書いて話し合いをしたほうがいいって例が提示されてます。


むかーし、上司にいわれたことで、その上司についてはあれなんですが、
会議をセッティングするときに心がけていることは

「会議をセッティングしたヤツが、どういった会議をするかの責任を持つ」

ということ。

なんかしないといけないのでとりあえず呼びました!! では結局無駄。

会議には悪い会議と良い会議がある。ただしどれが良い会議で悪い会議かわからないので、結局すべてせざるを得ないーーそんな状態から脱却する一助にはなるかと。

ではでは

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