ヨーロッパ的正しいバカンスの実践・カダケス編
この夏、初めてヨーロッパ的なバカンスを実践しています。つまり、海辺の街でひたすらなにもしない、をすること。行き先はスペインの街、カダケスです。フランスとスペインの国境のすぐ側にある地中海沿いの小さな街は、フランス人にとっては定番のバカンス地。ダリが隣町に住んでいたそうで、彼の家が美術館になっているのが有名です。
白で統一された街並みに、ボートが浮かぶ海岸線。美味しい海鮮料理にビール。マジックアワーでピンクに染まる空。きちんと整備されたザ・観光地っていう街は苦手かと思っていましたが、来てみると天国に近づいたのではないかと思うくらい、最高です。定番な観光地に行って観光客らしく過ごすって、お金に物を言わせた安直な選択肢なんだと侮っていました。
レストランにはカタルーニャ語とスペイン語の他に、英語とフランス語のメニューがあり、店員さんも大体フランス語で接客してくれるので、観光地感割増。スペインの他の街に比べて飲食店の物価は高めで、パリとあまり変わらないお値段設定。だけど美味しいお店がコンパクトな街中にたくさんあって毎日どのお店で食べるかが大きな楽しみになります。
メニューにあると必ず頼む小魚のフリットが、つまみの中で1番好き!
Tellinesという小さくて平べったい貝もメニューにあると必ず注文してしまう大好きな一品。小粒で弾力があり、旨みがギュッと詰まっています。
この鯖の一品、火加減が完璧で最高でした。バーでつまむのも良いけれど、小洒落たお料理を楽しむのも乙なもの。パリだと断然肉派ですが、海辺の街だけあって流石に海鮮が美味しく、毎日お魚と貝とタコを食べています。幸せだなあ〜。
ここで8月の終わりから1週間、ただただ毎日日光浴して泳いで浜辺で本を読んでカヌーしてお昼寝して食べるだけという緩慢で贅沢な時間を過ごしています。(今もまだカダケスです。今日は雨が降っていて、カフェでぼんやりしています。日中の主な活動は浜辺で日光浴か、海水浴。雨が降ると一気にアクティビティの選択肢が狭まります)。
カダケスは海に面したアップダウンの激しい街で、細い坂道が迷路のように入り組み、海岸線には小さなビーチが点々と続いています。ビーチは砂浜ではなく、石。裸足で海に入るときちょっと足の裏が痛くなります。
海へ行くときは携帯電話は宿に置いておき、一日中、波の音を聞きながらダラダラします。フランス人的な、"なにもしない"バカンスは初めてですが、それがこんなにも幸福に満ち満ちた気持ちになれるものだったとは。なにもしない時間に、無になる頭。vacans=空っぽという語源をひしひし感じます。
これが2週間続いたら、流石に退屈しそうだけれど、1週間はちょうど良い長さです。
思い返してみれば、海に来るのは十数年ぶりで、海水の冷たさに驚きます。小学生の頃はよく泳いでいたのに、全く泳げなくなっていることに愕然とします。それでも毎日海に浸かっていると、少しづつプカプカ浮けるようになってきます。なんて気持ちが良いのでしょう。そして溢れる解放感!
カダケスのビーチは女性もトップレスの人が多くて、それが全然いやらしくなくて、さらっとしていて自然で誰も気にしません。パリを出発する前に、「カダケスの中心から少し離れたところにヌーディストビーチもあって、そこが綺麗だよ」とパートナーに言われた時は、「いやいやいや、それは流石に遠慮するわ!」と言っていたのですが行って来ました、ヌーディストビーチ。ここにいるとそもそもトップレスの人が多く、太陽と海の開放感に絆されてヌーディストビーチに対する抵抗もなくなります。
街の中心から少し離れた小さな隠れ家的ヌーディストビーチ。朝着いたときには2組のカップルがいるだけ。他のビーチは人で溢れているけれど、ここは静かで海の水がどこよりも透き通っています。貸しボートや小舟も近づいて来ないので景色も良い。みんなスッポンポンなので思った以上に恥ずかしさという概念が浮かびません。裸で生まれて来たけれど、大人になってから大自然の真っ只中で真っ裸になることって、なかったよなあ。何よりスッポンポンで泳ぐ海の心地よさ!これほどに心地良い体験、ここ数年味わったことがありませんでした。これ以上自然と一体になれる経験も無いのではないでしょうか。
海から這い出て真っ裸のまま太陽に焼かれます。湿った水着がまとわりつかない。肌に浮かぶ塩模様。
さながら楽園で、自然という名の神に愛される子どもたちになったような、穏やかで幼く、深淵な気持ちです。
水着を着ているか着ていないか、布1枚の差なのに、真っ裸という心地よさがこれほどまでとは。脱ぎ捨てたのは水着だけではないようです。数千年前の太古の人類も海辺で真っ裸で寝っ転がっていたでしょうか。
でも小一時間くらい経つと、ヌーディストではないファミリーがやってきて、神の子たちの楽園の魔法は最も簡単に解けてしまいました。生粋のヌーディストならそんなこと気にならないのかも知れません。でもヌーディスト1日目の私には、すぐ横を水着やTシャツを身に纏った集団に陣取られると、リンゴを食べたアダムとイブのように、途端に居心地が悪くなるのです。
ヌーディストが他のビーチでヌードにならずマナーを守るように、着衣派もヌーディストビーチではヌードになるのが礼儀だと思います。ヌーディストビーチに行く際はぜひ真っ裸で大自然を闊歩する解放感を味わってみてください。大規模なヌーディストビーチだとざわめきが大きくて、根源的な自然の中心に触れるような、神秘的な喜びは感じられないかも知れませんが、数人しかいないような静かで小さなヌーディストビーチはとってもおすすめです。でももっと心地良いのは、形式的に与えられたヌーディストビーチで泳ぐより、映画『ノマドランド』で主人公の女性が裸でひとりぼっちで川に浮いていたような、自然とのごく個人的な関わりが出来る瞬間かも知れません。
雨が上がったら、明日はまた1日ビーチでのんびり過ごすことでしょう。概ね食べて寝て、本を読んで泳ぐだけという、極めてシンプルな時間を過ごしています。いろんなところに行く旅も楽しいけれど、じっと動かない旅もまたよし。
今年の夏は海を好きになりました。
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