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映画好きこそ読んでほしい!『蜘蛛女のキス』

マニュエル・プイグ著『蜘蛛女のキス』を初めて読んだのは、大阪の本屋さんで働いていたときのこと。海外文学専門の先輩書店員さんがオススメしてくれたことがきっかけです。彼女は映画や文学への造詣が深く、いつも知らない世界を教えてくれました。確かレイナルド・アレナスの『夜になるまえに』に感銘を受け、「原文で読んでみたい!」との想いでスペイン語を習得し、今ではスペイン語、フランス語、英語で原書を読み、書店の海外文学および洋書コーナーの選書をされています。

ラテンアメリカ文学をほとんど読んだことがなかった私。ボルヘスとガルシア・ガエル・マルケスには挑戦してみたけれど、途中で挫折してしまったので、何かもうちょっと初心者向けのラテンアメリカ文学はないですか?と選んでもらったのが『蜘蛛女のキス』でした。


『蜘蛛女のキス』 マニュエル・プイグ                 
映画のストーリーを語るモリーナと、それを聴くバレンティン。初めは主義主張、趣向、全ての面で相反する二人だが、会話を通して徐々に距離が近づいていく。


ちょっとゲテモノっぽいタイトルに半信半疑で読み始めると、一文目から一気に引き込まれます。徐々に面白くなっていく本は多いけれど、『蜘蛛女のキス』は一文目から面白い!


物語は突然始まります。地の文がなく、会話文だけで進む独特の手法。説明が一切ありません。しかもひたすらモリーナが観た映画の内容をバレンティンに話すだけ。これだけなのにめちゃくちゃ面白いのです。本の裏に載っているあらすじを読まなければ二人がどこにいるのかも分からず、徐々に二人のバックグランドが読み解かれていく爽快感が味わえます。


本書最大の特徴はモリーナの語り。こんなに上手に映画の話をしてくれる人、見たことがありません。モリーナが言葉を重ねるごとに、映画の情景がふくよかに伝わってくるのです。そして学があることは読み取れるものの、そのせいで返って自己矛盾に気づけていないバレンティンの即物的な反応。

服の生地や靴のデザイン、マネキュアの色など映画を飾る細部を詳細に描写し彩るモリーナ。

言葉のあやをいちいち訂正し、相手の非を正さずにはいられないマッチョなバレンティン。

両者の外観などの描写は一切ないのに、会話だけで二人の風貌や性格が如実に浮かび上がっていく巧みな構成。

作者のマニュエル・プイグはもともと映画監督を目指していたものの、小説家へと転向したそうです。会話文だけで進めていく手法も、映画のシナリオを書いた経験をもとにしているのでしょうか?『蜘蛛女のキス』からは、並並ならぬプイグの映画愛が伝わってきます。


ただただ映画についての会話だったのに、次第に二人の内面や育った環境、思想に迫るようになっいきます。相反する二人から、本当に強く賢いということ、誰かを愛し大切に想うこと、とはどういうことなのか問われる思いです。

映画版もあるのですが、映画ではモリーナの語る映画の内容が映像になっていて、残念。悪くない作品ですが、会話だけで読む者の想像力を果てしなく掻き立てる原作本をまずは味わってほしいです。


さて『蜘蛛女のキス』でラテンアメリカ文学の魅力に取り憑かれたら、次にオススメなのがコルタサルの短編集『悪魔の涎・追い求める男』。これも同じく洋書担当の先輩が教えてくれた一冊です。家の中でどんどん閉じ込められていったり、渋滞が何週間も続いたり、男が口からウサギを出し続けたり、どれも短い作品なのですが、今まで他で見たことのない力強く奇想天外な世界観が説得力のある筆力に支えらており、コルタサルの想像力に圧倒されます。

ちなみに表題作の『悪魔の涎』は、多くの映画監督に影響を与えた作品で、ミケランジェロ・アントニオーニ監督『欲望(Blow up)』の元になった短編小説です。のちに影響を受けたブライアン・デ・パルマ監督は『ミッドナイトクロス(Blow out)』という作品を撮っています。『欲望』は未見なのですが、『ミッドナイトクロス』は本当に素晴らしい脚本と設定、そして衝撃のラスト!今どきの映画ではこんなラストには絶対できないでしょう。忘れられない、完璧な第一級エンターテイメント作品です。ちなみにコッポラ監督の『カンバセーション...盗聴』も同じテーマを扱った作品で、編集者ウォルター・マーチの手腕が遺憾無く発揮された一本です。




面白い本を一人黙々と見つけるのも、鉱脈を掘り当てたようで楽しいのですが、誰かが私のために選んでくれた本が面白いと、喜びもひとしおです。言語コミュニケーションでは測れないどこか別の部分で、深く分かり合えたような、相手に何かをわかってもらえたような気持ちになります。逆にオススメされた本がイマイチだと、この人は私に対して一体どういう印象を持っていたのかなあ...とちょっとがっかりしてしまうので、本のオススメし合いは大いなる危険も孕んでいます。

それでも行きつけの本屋さんや、信頼できる書店員さんと知り合うことができたら、本との嬉しい出会いが増えるかも知れません。



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