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【素敵人インタビュー】プロサッカー選手を目指し、19歳単身でスペインへ①

「スペインで、サッカーがしたいんだ」
 
大村さんが両親にこう打ち明けたのは、19歳の春。中学生の時に所属していたサッカークラブチームの遠征で訪れたスペインがずっと忘れられず、もう飛び出さずにはいられない。

コロナ禍での渡航に、息子を心配する母親。その隣で、父は「好きなことをやりなさい」と当面の生活費をポンと出してくれた。ただ、1つ条件つきになった。
 
「1年間だけ費用を出す。この期間に生活費が賄えるだけの給料がもらえる契約ができなかったら帰国する」
 
勝負の1年が始まったのは、それから3ヶ月後のこと。
熱い太陽の日差しが彼を包んだ。

結果を出せる人だけが生き残る場所。「だから強い」

スペイン第6部のチーム「MONTCADA(モンカーダ)」。
来年100周年を迎える歴史あるチームに大村龍之介(20)さんは所属している。
契約にあたり、代理人は通していない。代理人とは選手のほとんどが頼り、所属チームを探すなどの架け橋役を担う存在だが、大村さんは単身スペインへ渡ることを選んだ。
それは経済的な理由もあるが、「自分がやりたいと決めたことだから、自分でやる」という考えから。知り合いに、知り合いを紹介してもらいながら、都度サッカースキルを披露し、アピールを続けた。そして渡航からわずか2ヶ月後の2021年10月14日、念願の選手契約を果たしたのだ。

契約時に撮影 

チームはスペイン人選手以外にも、アメリカ、コロンビア、ウルグアイ、アルゼンチンなど様々な国籍の選手が所属している。一緒にサッカーをする仲間同士、良い信頼関係は良い結果に繋がる要因の一つだと分かっているから、日頃の会話でも笑いが絶えない。だから、渡航直後、英語もスペイン語もできない大村さんが懸命に何かを身振り手振りで伝える姿に寄り添ってくれた。

そんな陽気なチームをまとめるのは、ラモン監督。監督のポジション決めはその日、その日の気まぐれなのだとか。大村さんのポジションはサイドハーフ(攻撃の方)なのだが、ディフェンスでスタメン出場させることもあるんだそう。日本だったら、ありえない、と大村さんは話す。

「日本だったら特定のポジションをやり続けることが多いです。一方で、今のチームでは監督から急にポジション変更を言われて、スタメンで出場するんです。スペインらしいというか、自分で限界を決めない感じが面白いなと思います。色々なポジションができるようになったのは、自分の特色になっています」

監督の意図をその時々で読み取りつつ、自分の個性を出す。いろいろなポジションでプレーできることが特徴の大村さんは、人より選択肢が広いことを知ってもらうためのアピールをしていく。それは練習においても、「俺はこのポジションもできる」と自分から積極的に別のメニューに参加する。“主体性”がここで生き残る鍵なのだ。
 

8ヶ月間スペインでプレーしてきた。そのなかで、日本とは一味違う厳しさを肌で感じている。「結果が全ての世界。点を決められるか、決められないか」というシビアさだ。

日本ではサッカーの過程を大事にする。例えばパス、ドリブルを丁寧にすること。精度の低いパスをしたら、パスを出した選手の責任。
一方、スペインでは、どんなに取りにくいパスでも、パスはパス。それをシュートして決められなければ、パスを受けた選手が悪い。いかに得点に絡めるかが評価の基準なのだ。

そして、結果が出せない選手には無情な宣告が待っている。

「ある夜、練習に行くと、泣いている選手がいたんです。どうしたの?と聞くと、「契約解除」だと言われたそうで、それ以降彼をピッチで見ることはありませんでした。入団してから8ヶ月経ちますが、そういう選手を何人も見てきました」
 
それは選手だけでなく、監督も同じ。大村さん入団から数ヶ月後、突然監督が交代になった。チームの成績が思わしくない責任を取らされたという。
チームの入れ替わりの速さに戸惑った。しかしその反面、こんなふうに考えた。
 
「だから強くなれるんだと思いました。
今日を一生懸命やらないと何も始まらない。明日、1週間後に自分がチームにいるかわからない環境。日本なら1年契約とかありますけど、こっちではいつでも切れる可能性がある。それはプレッシャーであり、毎日全力で練習に取り組める環境とも言えるというか。
日本では味わえないサッカーの厳しさ、世界の厳しさですね」

スペインで念願のサッカー選手契約を結んだ、大村さん。
そんな彼にも挫折の過去がある。
高校時代、大事な選手権前に、大怪我を繰り返す・・・。
そこからどう現在まで走ってきたのか。
第二部へ続く。

https://note.com/nanancy/n/nc5cd82697f7a

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