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日本人なのに日本でカルチャーショック|アイデンティティ探し

私は父の仕事の関係で小学5年生から中学2年生までの4年間、ペルーの首都リマで生活して、日本での高校受験準備をするにあたり、家族よりも一足先にひとりで中学3年生で日本に帰ってきました。

ペルーではもちろんラテン文化、南米文化から刺激をたくさん受けて、日本にはない考え方や捉え方をたくさん学ぶことができました。そこについては別の記事で徐々にこれからお伝えしていきますね🦙🇵🇪

今回は、日本で生まれて日本で育って両親も純日本人なのにも関わらず、日本に帰国してから受けたカルチャーショックと、そのカルチャーショックを受けた自分に対して受けたショックについて掘り下げていきます。似たようなご経験をされたことがあるかたはぜひコメント欄で教えてくださったら嬉しいです。

中学3年生で帰国したばかりの自分が日本の日常生活で感じた「違和感」が「カルチャーショック」だったと気づくまでとても長いタイムラグがありました。

自分は日本人で、両親も純日本人の家庭で育ち、“一応”帰国子女だけどインターナショナルスクールではなく日本人学校に行っていたので“英語ネイティブな帰国子女”ではないし、当時の日本ではあまり有名ではないペルーからの帰国生だし・・・となんとなく「みんなが思う帰国子女ではない」というのを自分でレッテルを貼っていました。

だからこそ、「私は日本人そのものなのだから、自分は日本の文化と一致していないはずがない」という意識が潜在的にあったと思います。その考えが根底にあったので、ペルーからの帰国後の日常生活の中で違和感を感じる度に「ただの勘違いだ」と自分に思いこませたり「自分がおかしいのかもしれないから自分を変えればいいや」と思うことも多かったです。

今でも深く心に残っている一番の衝撃は、日本の中学校の初登校日での出来事です。

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