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らんまんと牧野富太郎博士と桜と記念庭園/偶然が続く春①

今年のお彼岸にお墓参りに行った際、春の朝ドラ『らんまん』の話が出て、年の離れたいとこがこう言った。

「私たちのおばあちゃん、ドラマのモデル、牧野富太郎博士と親戚らしいよ」と。

高知へ旅行に行った後、そんなことを語っていたとのこと。


そんなこと初めて聞いた!!!
そういえば昨年秋図書館へ行き、植物図についての本を探して、ご飯も食べずに6時間、数冊読んだ。牧野富太郎さんに関する本が一番心に響いていて、こんな記事を書いていた。血が呼んだのか???

『牧野記念庭園開園50周年 花在れバこそ吾れも在り』

                    著 者:練馬区公園緑地課
                                                                   発行者:太田 宏司郎
                    発 行:株式会社パレード
                    発 売:株式会社星雲社

電車を乗り越してしまい、そのついでに図書館へ行ったら、本に再会!

この本を数時間で斜め読みし、いろいろなメモを残していて、桜の時期か、紅葉の時期に行ってみたいと思っていた。

そして祖母の親戚説が浮上して、桜が咲いた今週末に「よし、行こう!」と決意し、3/25(土)に行くつもりでいたけれど、朝起きた時に何となくだるさがあり行くのをあきらめた。
一日よく考えて翌日の日曜、「さあ今日行くぞ!」と雨の中出発した。

西武池袋線大泉学園で下車してビックリ!

3/26(日)は、ちょうど『牧野富太郎フェスタ』を駅前広場で開催中。

『らんまん』の神木隆之介君、浜辺美波ちゃんの等身大?パネル、番組紹介パンフレット、などが飾ってあり、いろいろな資料を頂いた。

土曜でなくこの日を選んで正解。私を出迎えてくれたみたい?

この二人の前で係の方がスマホで撮影してくれた。

大泉学園駅南口から徒歩5分。記念館のすぐお隣の家も満開の桜が雨の中咲き乱れていて、ワクワクモードは全開に!

牧野記念庭園入口 入場無料

そんなに広い庭園ではないけれど、入ってすぐの講習室では、庭園の紹介、博士の生い立ち~少年時代~の生涯、功績の映像を観ることができる。

入園してすぐの所に飾ってある。ダンディな牧野富太郎博士
昭和33年の案内版


博士の胸像の前で、駅前で受け取ったパンフレットを提示すると

多肉植物と矢車草の種をプレゼントしてもらえた。

矢車草の種まき時期は3~5月。さあ種まきしよう!


これも、以前書いた記事にリンクしている。

牧野富太郎博士は、三歳の時に父を、五歳の時に母を亡くし、高知の裕福な造り酒屋の跡取りとして、祖母に育てられた。
兄弟がいなくて野や山を駆け巡り、ドキドキワクワクを植物とすごす中で感じながら生きてきた。その後の研究や植物採集に対する集中力や探求心は、人並み外れている。研究にお金を費やし生活費を顧みず、奥さんにも迷惑をかけながら生きてきたけれど、何だか憎めないこの笑顔。魅力的な人だ。

チャーミングな笑顔、かわいい。祖母に似ている


令和5年3月の真新しい案内板  東京都教育委員会


入口近くの講習室の外にある、テーブルとイスにも風情が
二本の桜(センダイヤ・染井吉野)へと続く花道
庭園内には10種類の桜が、2月下旬~4月下旬にかけて咲くそうだ。

前出の『花在れバこそ吾も在り』では、季節ごとに咲く花、木、草の紹介の他、高知県立牧野植物園や牧野標本館(首都大学東京)、博士の人生の歴史が刻まれている。

(左)染井吉野 (右)センダイヤ(博士命名)(下)名前が書かれた植物が沢山ある見本園

雨の中傘を差しながら、雨に濡れながらの写真撮影。
パンフレットを見ながら園を回る余裕はなかった。

自宅に帰り、後日図書館から借りた本を読み、庭園図を見て、

あれが『センダイヤ』だったの!!と感慨深げに写真を眺めた。


都の教育委員会の案内板にも記され、本の中でも一番のお気に入りのページの桜。それが『センダイヤ』、この庭園のメイン、必見の桜だったのだ。
寝過ごして自宅の先の駅で思いついて、「あ、去年読んだあの本見に図書館へ行こう」と閃いて本当に良かった。

【園のパンフレットより】   サクラ ’仙台屋’(バラ科)
高知市内の仙台屋という店の前にあった品種で、博士が名づけたといわれる。高知県の知人から苗を送ってもらい植えたもので、昭和50年に現在の位置に移植された。花は淡紅紫色で、先端とふちはやや色が濃くなる。


桜の根元に桜が宿る


雨で桜の写真がきれいに撮れなかったけれど、緑に貼りつく花びらもまた美しい。


見本園のヤマブキソウに桜の花びらが舞い降りて


染井吉野を高知県に送ったのは牧野富太郎博士だった!!
左下の図は、高知県佐川村のヒガンザクラを博士が画いたもの。素敵。

たった今気がついたのだけれど、このページを読み、博士の偉大な功績にひれ伏す!図がきれいなので、記事に使おうと思っていたけれど・・・

~『花在れバこそ吾れも在り』より~
「明治35年のことでした。そのころ私の郷里の土佐(高知県)にはまだソメイヨシノがなかったので、わたしはこれを郷里に広めようと考え、ソメイヨシノの苗木数十本を土佐へ送り、その一部を高知の五台山に、またその一部を生まれ故郷の佐川に植えました。

今、この五台山の竹林寺の庭にはソメイヨシノの大木が数本あって、春には花見の人も集まってきますが、これは私の植えた苗木が育ったものです。(中略)

わたしは自分が贈ったソメイヨシノが、このようにりっぱに育ったことを心から嬉しく思っています。」

                    『牧野富太郎植物記5』より

高知県の人々にはよく知られている事実なのだろうけど、博士、凄い!!
今年も花見のシーズン、桜のことも朝ドラのことも、地元の方々喜んでいるだろうな。

常設展示室では、博士の写真と壁に埋め込まれた植物標本が素敵だった!


剪定ばさみ、ピンセット、絵を描く時の顔料などの愛用品、左まん中にある『の』の字のグルグルで『まきの』と読ませるユーモア印鑑は、博士のアイデアだそう。人柄が偲ばれる。


いつものことだが、いろんな偶然が重なって、次から次へと繋がっていく。
もうこれは、高知へ行くしかないでしょう。
行って高知県立牧野植物園でまた何か感じるものがあるかもしれないから。
お彼岸のいとこの話⇒博士のヒガンザクラの花の絵⇒おばあちゃんが何か伝えてくれたのかな?

私の中に、寝食を忘れて没頭する気質が宿っている。それは子供の頃からずっとそうだった。noteを書くようになった今も。

博士と親戚かもしれないというのは、事実かどうかは定かではない。
でも、この記事を書いて、何かが繋がったような気がした。
私の気質、もう一人のよく似たいとこもそっくり。
それは牧野富太郎博士から受け継いだものかもしれない。
そう感じられてとても嬉しかった。

血のつながりはないかもしれないけれど、
偉大な博士の残した功績を思いながら、

明日からスタートの、神木隆之介君の『らんまん』を観ていこう!



見出し写真:練馬区立牧野記念庭園パンフレット、練馬区牧野富太郎フェスタパンフレット、牧野記念庭園発売絵葉書、NHKパンフレット、ねりま観光センターパンフレット より

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