「生きづらさ」に物申したい。

※これは私の超個人的な意見であり、それによってどなたかが傷付くのは本意ではないため、「こりゃだめだ」と思ったら即刻宇宙の彼方へ忘れてください。

「生きづらさを感じて生きている」と言う人が昨今多くみられる。

うん。確かに息が詰まるよね。
私も「生きづらい」と感じるときはある。
なにせDIDだ、言うことに一貫性なんて無い。

だが言いたい。

生きづらい?

なにそれ?

そりゃ辛いよ、生きてるんだから。

どこぞの誰とも知れぬ人らとうまいことやろうだの、自分の性能以上の世界で生きようだのと、土台無理な話を成し遂げようとしてりゃあ、そりゃ息も出来まいでしょ。

無理なものは無理。
隣の花は青い。

辛いなら哭けばいいし、
理不尽には怒ればいい。

世界は自分にだけ優しいわけじゃない。

生きづらさ、なんてものはぶっちゃけ
知らんがな、の同じ五文字で片がつく。

生きづらいよ。
生きづらいけどさぁ。

だけど自分は「私は生きづらさを抱えています」だなんて言いたくはない。

解らない人に解るまで説明してる暇があるなら、好きな人でも探してた方がよほど人生輝く。

なんで解りもしらん奴に恋い焦がれるがごとく頭を埋め尽くされなきゃならんのか。
無駄もいいところ。
吐き気さえする。

懊悩上等。
それが何かに昇華されるならいくらでも思い詰めたらいい。
幸い人間には創造と表現と言う便利なツールが与えられてる。

それはなにもアートだけじゃない。

人間には考える頭と言葉を吐く口が付いてる。
頭の中身がプリンじゃない限り、某か自分を納得させられるだけのことなら出来る。
相手はどうでもいい。
「知らんがな」だ。

何事かと言えば、今、私は少々怒ってる。

まるで自分を憐れな被害者かなにかと勘違いしてるならそれは間違いだ。
断言する。

何かに同調することで「私生きづらいです」と楯にしてるならそれは勘違いだ。

世界は誰のものでもない。
自分のものでもなければ、何処かの誰とも知らん奴らのものでもない。

だけど、自分だけは自分のものであり得る。
それだけは言える。
例えDIDで人格いっぱいいたって、それは変わらない。
変わらないはずだ。

我思う 故に我在り、だ。

「自分」を通して世界に接しているわけであって、世界の上に自分が乗っかってるわけじゃない。

間違えちゃいけない。
絶対に、だ。

私たちは個々であっていい存在だ。

生きづらさなんてものは、ゴミ箱に即刻ぶっ込め。

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