ばーちゃんと指輪と死。

手が震えて虚脱感が酷い。
明日は余命宣告受けてるばーちゃんに会いに行く。

歳が歳なので手術が中途半端なまま生かされてるだけの状態らしい。
コロナもあって、お見舞いも最小限。
そんな中ばーちゃんはひとりでいる。

先日、そんな"ばーちゃんが来た。"
先に死んだじーちゃんと一緒に。

じーちゃんが言った。
「自分の時は良くしてもらったから、(ばーちゃん)も良くしてやって欲しい」

次の日、母から面会に行けることになったから行くかと聞かれた。

母には、じーちゃんとばーちゃんが一緒に来たことを伝えた。
すでに「無理に生かしてやらないでほしい」と、母は伝えてあるそうだ。

お迎えが来ているとは言えなかった。
だけど、母はその意を汲んでいると思う。

ばーちゃんの部屋の片付けが進められてる。
次に親戚の人が住むことになっているらしい。

形見分けをしている。
私は母経由で指輪を貰った。

「おばあちゃんの指輪」って感じのアンティーク観が気に入って、数年も前にばーちゃんから見せて貰った時にも欲しいなと思った指輪が本当に手元に来た。

ばーちゃんみたいにやさしい緑の翡翠の指輪。
細工も私好みだ。

*

ここ数日、アオイくんがでる。

心労が過ぎて私じゃ居られないって理由もあるけど、アオイくんはばーちゃんを知っているそうだ。
ばーちゃんだけじゃなく、懇意にしている母方の親戚の事は知っていると。

曰く、
「(私)は自覚がなかったようだけど、自分は中学の頃からすでに外へ出てたから、親戚の事を知ってる」
だそうで。

アオイくんも辛そうだ。
自殺した彼女の件については特に特別な感情を抱いていないと言う彼が、ばーちゃんの死に心を痛めている。

面会、耐えられるだろうか。

*

無関係の、例えば与一さん辺りなら平常で居られるかもしれない。

だけど、そこに意味はあるのだろうかと思う。

ばーちゃんのことを慕い、想う。
だから辛くなる。
それはとても自然なことで。

.....

いずれにせよ、まずは現地にたどり着かないとならない訳なので、一時間半の道のりは誰かと交代しないとのりきれないかもしれない。

こういう時って本来なら、辛かろうがなんであろうが想いに耽って見舞うことが本当のお見舞いになるのだろうけど。

なんだろうな、悔しい。

それでも自分でいたくない自分に逆らえない。
私で居ると、悲鳴にまみれた子が顔を出す。
私はそれに耐えられない。

きっと、会えるのは明日で最後だろうに。

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