人格交代の感覚 / 解離性同一性障害(多重人格)

久しぶりにコラムです。
人格交代時の感覚について書いてみたいと思います。

解離性同一性障害とは、人格に同一性の無い、複数の人格を持つ障害の事です。
解離した人格は、強い記憶や感情、ストレスから、隔絶、隔離され、独自に成長したものとされています。

私の場合、人格交代を起こしても記憶は連続しています。
ですが、連続しているもののそれまでの記憶を自分のものとして認識できません。
交代した人格は、自分の置かれた状況を理解していることがほとんどですが、それまでの事を自分の知らないこと、預かり知らぬこととして感じています。

「知らないけどわかる」
そんな感覚です。

交代時は、じわーっと、布が染め抜かれる様に交代する場合(安定した交代の時に多いです)。
ぱんっと手を叩いた様に瞬間的に交代する場合(何かがきっかけになっている事が多いです)。
様々あります。

気がついたら交代していた、そんな時もあります。
これは常駐している(近くで常に見ている)人格さんとの間で起きやすいです。
歩いている最中に起きることもあります。
内海の表層付近にいたはずが気がついたら外に出ていた、そんな感覚で交代が起きます。

交代すると、感じ方や考え方も変わります。
日常を送る上で困ることも多いですが、協力的な人格さんも多く、例えばこれから買い物に行くという段階で交代してしまった場合でも買い物をきちんとこなしてくれることの方が多いように感じます。

もちろん、人格さんによっては買い物どころではなくなってしまい予定を変更してすぐに帰宅せざるを得ない場合もよくあることではあります。

交代時にえずくような吐き気が起きることがあります。
人格が安定していない場合に起きることが多いようです。

人格の交代は日常的に起きるものです。
意図して交代することもありますが、自然と交代してしまいます。

日常的な交代の場合、まず状況の確認と今これから何をしようとしているかの確認をします。

意図しない交代の場合、なぜ交代が起きたのかわからない事も多くあります。
それが私にとっての日常です。

問題を抱える人格さんとのコミュニケーションのために人格交代をする場合もあります。
これは結構大変なことです。。

日常的な交代の場合と、問題があって交代が起きる場合とではだいぶ感覚が違います。

問題がある場合の交代は、感情の激しいやりとりや衝動など、非常に苦しい状態になることがほとんどです。
私自身でありながら、他の人格さんの感情がざわめいて伝わってきたりと、混在しているような状態に陥ります。

ですがそれも日常生活を送る上で欠かせないやりとりでもあり、それぞれの人格さんたちを知る手だてでもあるため必要なことと受け止めています。

何れにしろ、人格の交代は私にとっての日常です。
人格交代時の、私が私ではなくなる感覚も日常的なものとなります。

*

如何でしたでしょうか。

今回は人格交代について、人格交代時の感覚についてをお話ししてみました。

宜しければスキ!していってくださいね。

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