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小説:「想うもの」007


彼を見つめ守り数年が立ち、私の”想い人”は黒ずくめの洋服を纏い 二輪車に乗るようになった。そのせいもあって 土手道時間は一瞬に過ぎ去るようになり、それでもなお 私は彼を見つめる時が待ち遠しく 自分の短い地上時間を一日でも長くと 急いで頭を雪に押し付けていた。

鞄を左肩に斜めに掛け たまに片腕をたらしながら片手運転をしていたり、何やらぶつぶつとつぶやいていたりする時もあったが たいがいはまだ眠そうなこぎ方をしていた。
朝に見かける時間は極端に早くなり、午後の時間は前よりも遅い時間になっていた。たまに辺りが暗くなっても彼の姿を確認できなかった時もあった。
眠い目をこすりながら それでも待ち続けると 見慣れた背中が暗闇を切り走る。
私は彼の背中が大好きだ
夕方に見かける彼の姿 いつも最後は後ろ姿だった。少し猫背になる時があったり、ピンと背筋を伸ばしている時もある。表情が読み取れないこの距離で 彼の背中は私が彼を読み取れる唯一の愛おしい部分だった。一緒にいる友達と比べ 大きくも小さくもない彼だけれど、昔のぽっちゃりとした愛らしさはもう跡形もなく 広く肩が張られた男らしい背中になっていた。
左足を右足よりも少し大きく踏み出す歩き方や 眠そうな二輪車の漕ぎ方、肘下だけをかざす挨拶の仕方や 歩く時の腕の振り方。顔をとっさにあげる そのタイミング、 走るのは疲れるといわんばかりに 皆の後を しょうがないなぁ~というように 一度地面にガクッと頭を降ろしてから ゆっくりと走り出す所…彼の仕草は全て 私にとって誰のものよりも特別だった。

彼が愛おしくて愛おしくてたまらない。たまらないのだ



そしてその翌年…12年前の事だった。
痛くて 苦しくて 悲しくて。
今思い出しても 心がキュッと縮む そんな年。

睦月上旬…通年よりも暖かな月であった。雪がそんなにも振っていないのか 湿り気の少ない地面は 少し冷ややかに感じられたが その分日中の太陽のせいで 真っ暗闇の地中でも その光を感じる事が出来た。
今年は去年より早く地上に出ていけるかもしれない。期待に焦る気持ちを抑えることが出来ないでいた。今この時に 彼が 上の土手道を通っているかもしれない。今年はどんな彼に会えるのだろう。

私の根は 未だ水を欲していた。もう少し もう少しの我慢。私は深呼吸をして 自分を地上に押し上げるための身支度に集中することにした。長年根を張って生きていると 時には立ち止まったり 道から外れてみたり 逆の方向へ進んだり…遠回りをするように感じても それが目的地への近道となることを 私は学んでいた。上へ上へと伸びたい時には 下へ下へ深く強く 根を伸ばすことが必要なのだ。
たまに地中に埋まる石に出くわしたり ほかの草木の根に自分が絡まることもあった。突き進むだけだった幼い頃とはもう違う。無理に押しやったり 勝てない固い表面に体当たりすることは もうしない。立ち止まったり 回り道をしてみたり…私よりもはるかに老いた大木の知恵はどんなものなのか 少しばかり彼の心の中を覗いてみたい気持ちもあったけれど、でも出来れば自分自身で見つけていきたい と そう強く思っていた。 



空を横切る鳥たちが 美しい歌を口ずさみながら飛んでゆく様を 私はじっと見つめていた。結局雪があまり降らない日々が続き、それでも身体が暖かさにつられたのか 私はいつもより早く地上に出てくることが出来た。降り積もり 押し上げる雪もなく いつもは真っ白な世界が その年は青空で真っ青なものになっていた。
取り囲む空気はいつもと変わらず 透き通り 切れ味がよい。彼が土手道を通るいつもの時間はまだまだ後のことであった。私は その時間まで色々なものを見たり聞いたり たまに土手を行く人間観察をしたりして過ごす。

時折 珍しい色をした鳥たちが 大木の 広く長く伸びた枝を折らんとばかりに 一斉に降り立つ。楽しそうに色々話をしながら 誰か一羽が思い立って 先頭を切って飛んでゆくまで 大木に座り続ける。あの小高い丘にいるミミズはおいしいとか、誰の羽根が一番美しいかとか 一度に何十羽が会話するので 全ての話を聞きたくとも 耳に入ってくるのはほんの一部の会話でしかない。それでも足も羽根もない自分にとって、広い世界の話を聞いているのは とても楽しい。
見たこともない動物や 物の話が出てきたときには 小さい頭を一生懸命に捻りながら想像する。北東方面へ行くと巨大で奇妙な動物がいるらしい。顔の中央に 樹木の幹の様で自在に変形する 生き物の様な物体がついていて、 小鳥たちがその体で一休みをすると 岩の上にいるような感覚だとも言っていた。その耳は大きなひれの様だとも。大きな岩の塊にひれが生え 顔に寄生虫でもついているのかもしれない…ちらっと目をやった川の魚たちが 小さくてほっとしたりする。
ものすごいスピードで走る巨大蛇もいるそうだ。人をも飲み込んだり 吐き出したりもするらしく、それには口が無数についているらしい。小鳥の仲間でそれに食べられてしまった者もいるらしく、聞いているだけでぞっとする。そういう時には この地で生まれて 動けないことがとても幸せなのだと感じることが出来た。



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