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小説:【心情】‐『水水水水氷水水水水』


彼を見つめていると 心の中でぽちゃんと小さな音がする。

ただ遠くを見つめて漂うように
何処へ行くのかも、
何処を夢見ているのかさえも
分からない…でも、
目の前に広がる海をこの手でそっと包み込みたくなる。

無口で不器用で、それでいて私の言葉に耳を傾けそっと優しく笑う彼に
ずっとずっと寄り添っていたいと。


小説:『水水水水水水水水』


お腹がすくと勝手に自分でお腹を満たし、眠くなると いつの間にかそっと寝息を立てている。夢中になってキャンバスに向かい合っているかと思うと、ふといなくなって 忘れそうになった頃にひょっこり帰ってきている。
ただいまも
おかえりも
行ってらっしゃいも
行ってきますも…
何もない ただふと ここに帰ってくる。。。
彼は…そう…




「あいつはまさに『猫』だ!!」

「ちょっ…ちょっとマリナ。それは言い過ぎよ…」

海辺にある「波風」のテラスで、カランとアイスティーの氷が音を立てる。

胡桃くるみおとっていう猫を飼っている…なんも変わらないじゃん?!っていうか、そっちの方がシックリくる感じじゃない!!」

こんがらがった黒い線が私の頭の上をむしゃくしゃと絡み合いながら漂う。
猫か。。。そんな気もする。
けれど、言葉にしてしまうと不安が零れだしそうになる。
シロップの蓋をパチンと開けて、とろりとティーに流し込むと
重なり合った氷を撫でるように、モヤっとした甘い透明がゆっくりとコップの底に溜まって行く。
甘い想いは氷を少しずつでも溶かしていっているのだろうか…。
心の何処かで「どうか溶かして」と そう呟いている自分に痛がって、
知らぬ間に右手が長くコップに刺さるストローの先を摘まんでいた。
カラン、カリン
そっと指先を傾けるとシロップがまた 空に浮かぶ夏雲のように形を変えながら、氷の浮かぶ所までふわりとその高度を上げる。
氷を撫でまわすシロップが…羨ましい。

「あいつは単なる気ままな猫で、いろんな人の足に体擦り付けて強請ねだりながら好き勝手にやってるだけなんだって!!」

テーブルに両手を叩きつけながら私の事を覗き込むマリナのいう事が、絶対にそうではないと言い切れない自分がいる。


絵描きのおととはこの町で出会った。海が見渡せる堤防に寄りかかりながら、目の前の地面に沢山の絵具を散りばめ、ただひたすらキャンバスとにらめっこをしていた。
彼が描いていた波空はまるでキャンバスの中で動いているかのようだった。
目の前でじっと彼を見つめる私には気づきもしないまま、私は日が沈むまで彼の事を見つめていた。
「できた…」やっと彼が目をあげた時に初めて、彼の瞳の中に私が映った。

その時驚きもせず、波立たない水面のように…彼は優しく微笑み
「この絵…君にあげるよ」
と、絵具でカラフルに染まった手で私にその絵を差し出した。。



「っていうか、胡桃 あいつと「付き合ってる」って言いきれる?」

「…わ、からない…。どんな関係なのか…確かめた事も…ない…かな…」

「ペット登録できていない、ただの野良猫好きってわけだ」

「で、でも…おとはいつも私の所に帰ってきてくれる…んだよ」

「胡桃はおとが必要な時にいつでもそこに居てあげているからね。帰ってくる場所があるってホッとすると思うよ…。」

「でもね…」

深いため息をこぼしたマリナは ゆっくりと両手を組み合わせた。

「私が言いたいのは、【胡桃がおとを必要な時に、おとがいてくれているのか】って事。。。」

ざざーっと波が打ち寄せる音が遠くで響く。

「関係っていうのは、寄り添い合って築く物なんだよ胡桃…。どんなに頑張っても、一人では作れない。」



水のようにとめどなく指の隙間を流れてゆく彼。
この手の中に掴んでおきたいと思ったことは何度だってある。
でも…怖い。こわいんだ私。

おとは心の中に…とても深い所に、氷の様な塊を持っている。
それは誰にも届かないし、彼もまた誰にも届かせない。
それを溶かすのが「私」でありたいと思うと同時に、
そう思う事で 彼の周りを囲む水が押し寄せ、
彼から遠くにある所にまで流されてしまうのではないかと。
もう二度と彼の波を見る事が無い 遥か遠くの場所まで…。

ぽろっと涙がこぼれ落ちた。

「あっ、ごめっ…!!くっ、胡桃!!!」

あたふたするマリナが霞んで行く中で、海の優しい音が押し寄せた。



彼の中の海は、目の前に広がるこの海よりもはるかに広くて、どこに向かえば彼の真ん中にたどり着けるのかも分からない。
彼が私の瞳に映るだけで幸せなのだと、そう言いきれない自分がもどかしくて、可哀そうで…どうしたらいいか分からない。
流されるのなら、いっそのこと彼の水の中で溺れてしまうことが出来たのなら。。。

ねぇ、私 どうすればいいの?

暗くなる空に手を伸ばす波に自分自身を重ねながら、砂の上に置く手を握りしめた。この砂を海に投げ入れた所で、海は痛がりも喜びもしない。
でも、投げ入れれば…私の存在をちゃんと海は受け止めてくれるのだろうか。


『胡桃…』


生温い風に流され耳に響く 低く優しく呼ばれた私の名。


振り返ると、いつも…いつ時も…待ち続けている優しい微笑みがあった。
海を前に一人座り込む私をじっと見つめる優しい瞳。

『これ…描き終わったよ』

そっと左手に持っていたキャンバスを私の手の中にポンと置いた。

そこに描かれていたのは私だった。
思い切り笑う私の笑顔がキャンバスいっぱいに溢れている。
嬉しそう…とてつもなく…。


貴方の海に砂を投げ込んだら
私に波をよこして
さらってくれる?


「わ…わたし、おとが好き!!おとが好きなの!!!どこにも行かないで私と向き合って…私だけに…おとの全部を見せてよ…。」

駆け寄ってギュッと掴んだ彼のシャツから、ふんわりと潮の香りが漂った。

「お…お願いだから…私をおとの中に受け入れて…受け止めさせて…。お願い…」


私の心が弾けた。
怖さも不安も…どうなるかも…
ただ手に掴んだ砂を彼の海に投げつけたかった。

「なんでも…受け入れるから…私を。。。」

顔を上げおとを見上げると、
彼はただじっと…海のかなたをじっと見つめていた。
そっと目を瞑り、視線を私に向けた。

『ありがとう。胡桃』



そう言って…寂しそうに微笑んだ。

どう…して?


彼の氷に…私は…

と・ど・か・な・い




解け切らない氷がアイスティーの中でカランと向きを変える音がした。




その夜、おとの寝息を聞きながら閉じた私の瞳に

彼の優しい姿が映ることは

二度となかった。



何もなくなっていないこの部屋が
この日を境に「空っぽ」になった。
おとが帰ってくることのない、
空っぽのこの空間を
私の涙という水が埋め尽くしていた。



広がってゆく涙の水の何処かで

彼の氷は

今も…きっと…



ぽちゃんと何処かで水の音がこだました。




(おわり)

***********

こちらに参加させていただきます。

●かっちーさんの俳句作品『水水水水氷水水水水』より小説。

●そこに…俳句で大賞を取られたぷーさんの作品
『ストローに会話を探すアイスティー』を混ぜ込んでみました。

そして…その後Riraさんが胡桃のアフターストーリーを作ってくださいました:)。

Riraさんのアフターストーリーも組み込みながら音サイドの対作品「紫苑」も書き上がりましたので、是非併せてお読み頂ければ嬉しいです。


心に氷を持つ人を好きになったことがあるでしょうか?
溶かしたいけれど、溶かせない。
届きもしないから、手を伸ばす。
手を伸ばすと消えてゆく。。。
何が氷の中に閉じ込めてあるのかも分からぬままに。。。

切ないな…恋。。。


良い一日をお過ごしください:)
かっちーさん、ありがとう:):)

七田 苗子



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