鬼退治
まもなく15時40分だ。
私は心が落ち着かず、息が苦しくなった。
今日は、節分。
あと数分で、鬼たちが保育園を強襲する。
娘は大泣きするだろう。
怖い思いをするだろう。
そう思うと、胸が苦しくなった。
節分の数週間前から、保育園では準備が始まった。
『節分の日、もしかしたら保育園に本物の鬼が来るかもしれない』
そんな噂を聞いた3歳児クラスの子供たちは、怖くてドキドキした。
森へ柊を探しに行き、鰯と一緒に窓や玄関に飾る。もちろん皆で、豆も買いに行った。
「豆をぶつけて、やっつけよう!」
「鬼、本当に来るのかな。。。」
「先生!守ってあげるからね!」
子供たちはいつ鬼が来ても豆をまけるように、牛乳パックで豆入れを作った。
紙皿に絵の具を塗って鬼のお面も作り、鬼になりきってみた。
日に日に近づく節分に向けて、子供たちの心はざわついていった。
「ママ~。保育園に鬼が来るんだって。せりちゃん、鬼怖いから行きたくない。」
娘は訴えた。
娘は、地獄の絵本を好んで読む。いや、好むというより怖いもの見たさだろう。図書館で地獄や鬼の絵本を見つけては、怖がりながら両親に読んでもらった。人一倍鬼が怖い娘にとって、本物の鬼がやってくるという節分は、絶対に行きたくなかった。
「保育園、休んでもいいんじゃない?」
そう提案したのは、主人だった。大きなストレスを抱えている娘を無理に登園させ、トラウマになってはいけないというのが理由だった。
しかし私は逆だった。
いつも通り、保育園には行かせるつもりだった。
なぜなら、乗り越えてほしいからだ。
世の中には、鬼のように怖いことなんて山ほどある。
これからの人生で、困難も、逆境に立たされることも、恐怖に感じることも、沢山出てくるだろう。そんな時、あれほど「怖い」と思った鬼に豆をぶつけ、やっつけた気持ち。怖いことでも勇気を持って立ち向かえば、乗り越えられるんだという気持ちを味わってほしかった。この成功体験は、必ず次の勇気につながる。
私は頑として譲らなかった。
節分の日。娘は元気に登園した。
娘を送って玄関に降りると、園長先生がいらした。
「今日、本物の鬼が来るんですよね?」
「そうですよ~。顔もしっかりドウランを塗って、劇団四季ばりの鬼ですよ~!」
「うわぁ!それは楽しみ!でも子供たちは確実に泣きますね(笑)」
「そうですねぇ。保護者さんの中には、『なぜここまでして怖がらせる必要があるのか』と仰る方もいらっしゃいます。でもね、『怖いものがある』というのは、とても大切なこと。そしてその『怖いもの』に対して、皆で力を合わせてやっつけることに、意味があるんですよね。一人じゃ怖いけれど、みんなで豆をぶつければ倒せるんだってね。あとは、怖がっているお友達を守ってあげる子が出てきたりね。」
私はとても嬉しい気持ちになった。
「最後は、豆をぶつけられた鬼が保育園から出て行くんだけどね、そしたらもうそれで鬼の話はおしまい。皆で鬼をやっつけた喜びを共有したら、それ以上は引っ張りません。一番いけないのはね、怖い思いをした子供たちに対して、今後言うことを聞かないときに『悪い子には鬼が来るよ!』と言うことなんです。そうすると子供たちの中に、恐怖が生まれます。だからね。イベントが終わったら、もう鬼の話はおしまい。」
素晴らしいと思った。
深く納得のいく話だった。
それにしても顔にドウランを塗ってまで、本気で鬼になりきってくれるとは、なんと有難いことか。それだけではない。お昼の給食は、子供たちが自分で恵方巻を作る。
広げられた海苔の上に、すし飯と胡瓜、干瓢が乗っており、それを自分たちでクルクルと巻いて食べるのだ。
自分たちで作った恵方巻は、なんて美味しいのだろう!!!
普段、家では干瓢なんて食べない子供たちが、「美味しい!」と口をそろえて頬張った。鬼が来ないように鰯もしっかり食べて、おやつの時間には蒸しパンが出た。蒸しパンの上には、それぞれの子供の歳の数だけ、大豆が乗っていた。
家では、こんなところまでやってやれない。
しかもお友達と楽しみながら、みんなで共有しながら、経験を積んでいけるのだ。おやつを食べ終わった子供たちは、先生のかけ声で声をあげた。
「もし鬼が来たら、みんなで豆をぶつけるぞ~!!!」
「エイッ!エイッ!オーーーッ!!!!!!」
子供たちは大きく拳を振り上げた。
まもなく15時40分だ。
私は心が落ち着かず、息が苦しくなった。
まもなくせりは、鬼に強襲される。
怖い思いをするだろう。泣きじゃくるだろう。オシッコを漏らすかもしれない。でも、頑張れよ~!!!絶対にやっつけられるからね!!!
15時40分。
子供たちが園庭で楽しく遊んでいると、いきなり鬼がやってきた。
赤鬼と青鬼だ。
「鬼だ~っ!!!」
「ギャア~ッ!!!!!!」
子供たちは大パニックになった。
泣き叫ぶ子、動けない子、鬼にパンチをする子、豆をぶつける子、先生に抱きつく子、滑り台の上に逃げる子。
「ほら!みんな!豆をぶつけるよ!!!!!」
先生たちの掛け声で、子供たちは必死に豆をぶつけた。
「鬼は~そと~っっっ!!!!!!!!」
「出ていけ~!!!!!」
子供たちが頑張って豆をぶつけたおかげで、鬼はようやく保育園から出ていった。
保育園に平和が戻った。
はぁぁぁぁぁぁ。
怖かった。
頑張った子供たち。
頑張った娘。
1分でも早く、お迎えに行ってあげたい。
主人と二人で必死に仕事を終わらせ、予定より早くお迎えに行けた。
保育園の玄関に入ると、園長先生がアルバムを見せてくれた。
写真に写っていたのは、本物の鬼だった。
顔に青や赤のドウランを塗り、口は耳まで裂けている。目の周りもグロテスクだ。赤鬼は全身が赤、青鬼も指先まで青、ワイルドな虎皮の衣装をまとい、大きな角とワイルドなカツラを着けている。
こりゃ、大人でも怖いわ。
「せりちゃんはね、鬼が来たら園庭の小さなお家の中に隠れたんですよ。」
と園長先生。
「えぇ~っ!!!」
思わず笑ってしまった。まさか隠れるとは(笑)
おそらく『オオカミと七匹の子ヤギ』が好きで、いつもお母さんと遊ぶときに、『時計の中に隠れて、狼に食べられない末っ子の役』を好んでやっていたからだろうと思う。
『逃げるが勝ち!』を選んだ娘。
しかしここで、先生から「ほら、せりちゃんもお豆をぶつけて!!!」と促され、しぶしぶ出てくることに。そしてその後は、勇気を振り絞って戦ったそうだ。
アルバムを見ていくと、最後のページに写っていたのは、クシャクシャに泣いて先生に抱きついている娘の顔だった。
娘の方が、鬼のような形相で泣いていた。
よほど怖かったのだろう。
見たことのない娘の泣き顔に、なんだか私も泣けてきた。
部屋に戻った娘は、即、自発的に鬼の絵を描いたそうだ。
見せてもらうと、豆をぶつけられた鬼の顔が何枚にも描かれており、
『×』が書かれていた。「鬼は進入禁止」ということらしい(笑)
頑張った娘のご褒美に、家族でお寿司を食べに行った。
親子三人で恵方巻を食べ、楽しい夕食だった。
家に帰ってトランプで遊び、一緒にお風呂に入り、いよいよ寝る時間になった。寝る前、我が家では神棚に手をあわせる。せりは、パンパンと両手を叩くと、
「せりちゃんは鬼が怖いので、来年はパパとママが『保育園休んでいいよ。』と言ってくれますように、よろしくお願いします。」
と、一生懸命お願いをしていた。
ベッドに入ると、せりから頼まれたお話は『桃太郎』だった。
暗い部屋の中、私は『桃太郎』の話を始めた。
「むか~しむか~し、あるところに・・・」
頭を撫でながら、桃太郎のお話を続ける。
今日は、本当に頑張ったのだろう。
キジが出てきた辺りで、すっかり眠ってしまっていた。
鬼退治まで、起きていられなかった(笑)
「よく頑張ったね。」
グッスリと眠る娘のおでこに思いきり『チュ~ッ』として、
私はそろり、部屋を出た。
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