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歴史小説「Two of Us」第3章J-22

割引あり

~細川忠興父子とガラシャ珠子夫人の生涯~
第3章 本能寺の変以後から関ヶ原合戦の果てまで
    (改訂版は日本語文のみ)
    The Fatal Share for "Las abandonadas"


J-22 ~An Invitation From A President~


 総勢弐百伍名の九番隊、細川忠興偵察軍は、首都ソウルへ直接向うため、ジンセン(現在の仁川広域市)の仁川港から上陸した。

  現在は、大韓民国の首都ソウルに次いだ人口を誇る衛星都市ではあるが、16世紀後半のこの時点では、未だ人口四千人弱の漁業の港町だった。



 本隊の進捗状況を、弐番隊伊達軍の伝令者より知った九番隊細川偵察軍。弐百伍名と騎馬十頭は、ほぼ滞りなく首都ソウルの漢陽都城の正面の門前へ到着した。

 

 出兵本隊(壱番隊~八番隊)は、対馬【注①】の領主宋吉調(そうよしつぐ)を連れて釜山港(ぷさんこう)から上陸し、大邱城(てぐじょう)など落城させつつ進軍し、西北の「明」へ向かったのだが、この時点では首都ソウルを皇帝宣祖(せんそ)が百余名で逃げ出し、『もぬけの殻』【注②】だったのだ。

 細川軍は、直接伊達政宗に会うために、直接ソウル近郊へ向かうぐらいの船団は、所持している。
 忠興のしんがり偵察軍と、無事な政宗とほぼ無事な伊達軍は、ソウルで再会した。本土の九州名護屋城本陣を出発してから、わずか三週間ほどしか経っていなかった。

 

現在の漢陽都城@大韓民国ソウル市


 漢陽都城の正面門前にいるのは、細川軍と伊達軍のみの計伍百名足らず。

「無事であったか、政宗殿」
「いかにも。それがしの兵も馬も、ほぼほぼ失くしておらぬ。我らはソウルの手前で陣取っただけだ」
「さようであったか。でっ❓勝ったのか❓負けたのか❓」
「負けてはおらぬ。未だ本隊は侵攻しておる。
 この漢陽都城は、もぬけのカラだ」

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