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厳しさ考 <後編〜英検・オンラインなど〜>
厳しさ考<前編>では、よく大人が口にする「社会の厳しさ」を考えた。私が思う厳しさはちょっと違う。日本独特の厳しさよりも、ワールドスタンダードに近いと思う。そしてこれから日本もそういう考え方になっていくと思う。
まずは<前編>をご覧になってから、こちらをお読みいただくとわかりやすいと思われます↓
英検から子育ての厄介事を想う
英語教室ならではの質問に「英検」のことがある。もちろん私は英検も子どもに選ばせる。「考えてみてくださいよ、受験前とか何か英検で目に見えたメリットがあるならまだしも、幼児や小学生で本人の意志以外で英検を無理に受けさせる必要がありますか?」大抵のおうちの方はホッとした顔をされる。
セールストークでもなんでもなくて、私が本気で不思議に思って尋ねるからちゃんと届くのだと思う。英語のプロが「英検、どこで何のために必要なん?」って言うんだもの。
そこでおうちの方はハッとする。英語習ってるっているとすぐ人が聞いてくる「じゃ、英検とか持ってるの?」「英検何級?」という言葉。自分がその言葉にただ惑わされていただけだと気付くから。
子育てで一番厄介なのは、外野の声。目の前で見ている愛する我が子が毎日ハッピーにニコニコ笑って暮らしてたらそれでいいはずなのに。人の判断基準が邪魔をする。
私は英語教育のプロとして、英検は本人に与えられたチャレンジであって、親や先生が無理にさせるものではない、と言い切る。そんなチャレンジなんて意味がない。
と言いながら、もちろんタイミングを見計らって英語の先生としての仕事もちゃんとする。ある程度力を伸ばした子どもたちにはレッスン中に話をする。
「日本ってさ、英語話せる人がほとんどおらんやん。そんな中で『自分は英語と仲良しです』っていくら言っても、それをわかる人がおらんのよ。そこでね、相手がパッと見てすぐにわかるのが「英検」。今の日本ではそうなってる。だから、例えばゲームで素手で戦っても良いけど、剣とか銃とか盾があると尚強そうに見えるやん。英検はその盾くらいにはなるかな。受験の時にはそれが盾と剣くらいのパワーは持つかも?
みたいな話をする。その盾をいつ手に入れるかまたは盾なしで進むか。そんなの自由なんだよ」って。
子どもたちは真剣に考え出す。そして受験を決めた子には一言付け足す。
「あのね、あなたは十分力を持ってるって先生知ってるから、もし落ちたらそれは『事故』。あなたの力が無い証明にはならない。」
英語でコミュニケーションをしっかり取れる子でも、小学生では読めない文字もあるし、そもそも英検には癖がある。そんなもののために幼い頃から今まで培ってきた英語との良好な関係を断つなんてあり得ない。
小学生で「英検受けるぞ」と「自分で」決めた子には、まず挑むと決めた事だけで価値がある。そこで変に点数で出来る人と出来ない人を分ける文化を味わって欲しくは無い。ましてや「頑張らなかったから点数が悪かった」なんて毒みたいな言葉は絶対に言わない。それは本人が一番感じていることだから。
子育ての厄介事。外野の声。「英語何年も習ってるなら、もう3級くらい?」そんな声に心がブレて、本当はチャレンジがうまくいかずに落ち込んでいる子どもを抱きしめてやりたくても、罵倒してしまったりする。でもね、チャレンジすることってすごいこと。人と比べずに自分のタイミングで動けるって素敵な事。それを大人は人と比べまくって邪魔してはいけない。
子育て中に自分が一番嫌いだった自分は、周りのお母さんたちや先生の声に惑わされた私。目の前の子どもがどう感じるかを一番に考えるべきだった、と今でも苦い思い出。でもその苦さがあったから、途中からずっとブレずに子どもの味方でいられた。苦味を味わうのも大事なこと。子どもたちもチャレンジをしてうまくいかなかったことも、大事な経験。良い経験したね、って一緒にまた前向けたらいい。
オンラインレッスンで伸びる人
2019年冬から2022年春現在続いている「新型コロナウイルス感染症」の感染防止対策として、この期間で実に4度目のオンラインレッスンへの切り替え。最初は2020年の春。あの頃は全家庭とテスト交信したりしてお互い試行錯誤だったけど。今では子どもたちも上手にzoomを使ってレッスンを受けている。
4回目の今回、オンラインレッスンでグンと伸びる子が増えてきた。今大人たちが「子どもたちがかわいそう」「子どもたちの体験が少ない」と嘆いているけれど、時代が違うことを考えると今コロナによって「インターネットでも十分学べる」とわかった子どもたちはラッキーとも言える。
実際私は先日シンガポール在住の先生の英語教授のセミナーを日本各地の英語講師たちと一緒にオンラインで受講した。イギリス人の先生とskypeで話したりすることも普通。今では基本の授業がオンラインという大学も出てきている。視点を変えると、この数年間で頭を切り替えて新しい学び方を得たことは、今後の子どもたちの可能性を広げることに繋がる。
結局は「自分で考え、情報を集め、選択する」力
私は大学を卒業する時に海外に出ることを決めた。幼い頃から自分で考え選択することを見守り続けてくれた両親のお陰で、私は自分で考え、自分で情報を集めて本で読んで憧れていた海外海外をしてみることを決断した。
あの当時は子どもが自由に選択する、というよりは親や先生が敷いたレールを走る方が多い時代だったから、こんな風に自由に選べる環境に感謝していた。私に何かあったら開いて欲しい、と渡していた手紙は私の遺書。
『海外で私に何があっても、行かせなければ良かった、と思わないで欲しい。私の意志を尊重してくれたことは正しいし、自分の叶えたいことを叶えずにいることは私にとっては死ぬよりも辛いことだから』
そんなことを書いた。結局親の手によって開かれることはなかったけれど、私はあの頃から「自由に考え、決めること」へのこだわりを強く持っていた。あの当時は「登校拒否」と呼ばれ今は「不登校」と言われている問題が教育学のレポートで出た時、『その子にはその子の気持ちがあり、事情があるのだから、それを大切にしたい』と書いて不可になった。
でも… See? 今その時代がちゃんと来ている。
私はずっと信じている。海外で海外の教育を見てきて尚、そう信じていた。日本のスタンダードは長く続かない。これから主流になるであろうワールドスタンダートを考えると、今私たちが「こうあるべき」と子どもたちに教え込んでいることは正しいのだろうか。
今は子どもに教え込むのではなく、子どもは自由に考えさせ、大人が学ぶ時期なのだと思う。その方がずっと良い時代になりそうだから。
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