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学び方いろいろ

今朝最初にこの方のお話を拝見していて「なるほど」と思った。

私の初めての仕事は高校1年生の時のうどん屋のアルバイト。
そこからかれこれ30年。ずーっと働いてる。
日本で、海外で。
アルバイト、正社員、フリー…10種以上の仕事に関わった。
どの仕事も味わい深かった。
私は仕事が大好き。
きっと工夫が好きなんだと思う。


“どんな仕事にも創意工夫する楽しみがある。それを楽しめる職場になっているかどうかで、様子はずいぶん異なる。単純作業は創意工夫の小宇宙。”

 学校の勉強は嫌いだった。
ついていけないことがたくさんあって、それが高速で目の前を過ぎていく度に自分がダメな人間になった気がした。
それはトラウマの様に今でも簡単に思い出せるし、思い出す度に吐き気がする。毎日「お前はダメだな」と言われる様な日々。
成績は中の中だった。だからこそ、必死でついていっているのを誰も気付かない。水の中で必死に足をバタバタさせて水面では優雅に見える鴨。

 でも、仕事は楽しかった。「これをもっと良くするにはどうしたら」って自分で考えて、うまくいくと仕事がスイスイ進む。反省は次に活かされ、すればする程次の難関が出てきて、その度に考える。それが好きなんだと思う。そしてそれが私の「勉強」だったんだと今気付いている。

 社会に出てみると、目に見える点数や数字では表されない鴨がたくさんいることに気付く。こちらの鴨は見た目の優雅さではなく、いかに効率的に前に進むかを考えて進む。優雅に見せるためでなく生きるために前に進む。
 美しさを競い与えられた環境への不満ばかりを言って一歩前に踏み出さない人をたくさん見ていると、不思議な気持ちになる。

 人生の中で過ごす時間は圧倒的に学校より仕事の方が長い。
そこをどう過ごすか。その子がどんな風に毎日を生きていくかを考えると、目標設定からそれに向かう方法まで全員一緒の方法を教え込み、そこから外れたら叱られる子ども時代は本当に不毛で味気ないものだと感じる。
漢字を何度も書く、英単語を信じられない量書かせる。
そしてその不毛さと味気なさは、その後の人生も続く。

 大人の言う通りに動く子どもを育ててはいけない。
改めてそれを噛み締めている。
ボーッと過ごす時間があり、興味があり、発見や驚きがある。そんなゆとりの中に真の学びがあると思っている。

 教育者として心がけていることは、子どもたちの前に立って道を示し答えを教えてしまうのではなく、子どもたちの少し後ろを歩いて見守りながら子どもたちが見つけたものを一緒に愛でる、そんな仕組みを考えてレッスンプランを作ること。そしてその道がどう外れても一緒に冒険をする覚悟。子どもたちをグイグイ引っ張って元の道に戻すのではなく、そこに出来た新しい道を一緒に味わってみる。
 それが教育に携わる者としての苦労であり、一番楽しい部分だと思っている。

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