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キッチンは誰のもの?〜女性が踏み出す第一歩〜

 「ご飯、遅くなっちゃったね。ごめん」と言うと、「謝らないで。母さんの仕事じゃ無いんだから」と娘が言う。なんという言葉。親の顔が見てみたい。 

女性が引き継ぐ「当たり前」

 子どもの頃の思い出に、母が背中を向けてキッチンに立っている姿がある。そして時々父。父も一緒に立つ時、母が少し不満気に見えたことも覚えている。しかしそれは狭いキッチンで作業がしにくいというだけの理由でないこともなんとなく知っていた。
 母にとって台所は母の場所だったのだ。食事に関することは母担当、それは私だけでなく私世代の人にはある意味当たり前のことだった。

 そんな私も結婚して母になり、キッチンで過ごす時間が増えた。もちろん楽しさもあった。料理は実験みたいで、これとこれを足したら美味しいのかな、とか自分でこんな料理が出来たらいいな、という感じで。でも同時に家族一緒に出かけてくたびれ果てた時、キッチンに立つのが私一人だと、誰も頼んでいる訳でも私に無理やりさせている訳でもないのに、無性に虚しくなることもあった。
 わかっていた。それは私自身が無意識に選んでいたことだった。

 私が一番辛さを感じるのは、そんな自分に気付く時。祖母を見て母が学び、その母が思い込んで背負い込んでいた様に、私も同じようにしている。二人の娘を育てながら、また一人の息子の母として、この「当たり前」を続けてはいけないという思いがいつも私の心をザワザワさせた。
 そんな自分vs自分の戦いの中で、私は口では自分の姿とは反対のことを唱えていた。

これは私の仕事じゃない

 「今日は母さんが出来るからしてるの。」
 それは自分自身に向けた言葉。その時私は仕事をしていなかった。時間的に余裕もあったから、まだ小さな子どもたちにも何か作業をさせながら一緒に料理をしていた。幸い夫が料理をする人なので、夫も休みの日などは積極的に食事を作っていた。私だけが料理や後片付け、というイメージは最初からあまりなかった。だから、私は私自身の心を子どもの頃の「母親像」から剥がす作業が必要だった。いつも家事をしながら「これは私の仕事じゃない」と自分に向かってつぶやいていた。
 
 そこまでしなくても、とかそんな言葉は子どもたちを悲しませるのでは、という人もいるだろう。私自身が一番そう思っていた。でもそう思う自分を断ち切るには多少の荒療治が必要だった。「母としてなんでもしてやることだけが愛情表現ではない」と自分に思い知らせることが必要だった。

キッチンは誰の場所?

 夫がある時臨時収入でオーブンレンジと炊飯器を買ってきた。二つとももう随分古かったし、私は単純に嬉しかった。でもそれを周囲に話すと多くの人が口を揃えて「自分の使い勝手の良いものにしてもらわなくてよかったの」と聞いてきた。
 なるほど、台所仕事を女性の仕事だと思っているのは限られた男性だけじゃなくて、女性も同じなのだ。キッチンは私の場所。そこにある道具を買う時は私に聞くのが当然なのだ。
 そう考えると、私の気持ちは自由だった。夫も料理をするし、夫が使い勝手が良いと判断したのならば、きっとそうなんだろう。操作は夫に聞けばいい。そんな発想だった。台所はみんなの場所。みんなそれぞれが使いやすいものがあれば良いし、ものの場所がわからないならお互い聞き合えば良い。
だから私は夫や子どもたちがしまった食器や調理器具の場所が私が思っていた場所でなくても、絶対に苦情を出さないと決めている。
 それぞれが自分の良いと思った場所に入れたんだ。だって、ここはそれぞれの人にとっての台所なんだもの。わからなかったら、聞けば良い。
「私が決めた場所に置かないなんて!」と怒った時点で、そこは他の人が立ち入りにくい私の場所になってしまう。

そんなこんなで19年後

 そんな私も結婚して母になって19年が経った。もがきながら、自分を説得しながら歩んできた日々を満足に振り返ることが出来るのは、冒頭の娘の言葉。もうすっかり大きくなった子どもたちは、それぞれが家事を担当している。私が憧れていた家族の形、楽しい5人の共同生活が実現した。
 「今日は俺がする」「今日は私が」とそれぞれ時間がある人が料理をしたり、片付けたり。もちろんその中で私も同じ様に「今日は母さん、時間あるからしとくよ」と言う。そして嬉しいのは、その言葉一つ一つの後に「サンキュー!」「ありがとう」と御礼が返ってくること。
本来一人一人でも暮らしていける人たちが5人集まって、それぞれの仕事や学校の都合もあるからその中で出来る人が出来るタイミングで出来ることをして成り立つ生活。だからこそ、感謝もするし、プレッシャーもない。
 私が描いた「5人が翼を休める」家庭という場所は、こうして出来ている。

 そしてこれだけは言っておきたい。一番苦しかったパートは、子どもたちや夫の気持ちを変えることではなく、私自身が「〜すべき」「普通の母親なら〜するはず」から自分を解放する部分だったこと。
 
 今の暮らしを変えられるのは、自分かも知れない。

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