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矛盾(ウソ後編)

(昨日 ↓ から続き)

 矛と盾のどちらが勝ったのか、後世を生きる我々にとっては非常に気にかかることではないだろうか?
 出典の『韓非子』は古典ゆえ、表現が現在とは違い確たる証拠とまではいかないが、話の大筋は以下の通りだ。


 まず、故事成語「矛盾」のエピソード中には、こんな原文で記述がある。
【吾楯之堅、莫能陥也】
『能く陥す莫きなり』。
 これは「とおすことができない」というcan’tの意味ではある。
 けれどもここで注目すべきは、古典の『能く』には、『充分に』という意味もあることだ。

 では、この『能く』が、can’tではなく、「充分にはとおさない」という訳なら――つまりは部分否定で古代漢文を訳せば――どういう結論になるのだろうか?


 渾身の力で突き出された矛を、鉄の盾である重盾(じゅうじゅん)はガチリと跳ね返した。一見、ここで「盾の勝ち」だと勝負が決まったかに思える。
 ところが、だいたい武人というものは、目も腕も、殺気という見えぬエネルギーで満ち満ちているものなのだ。
 そしていまから、少しぶっ飛んだことを言う。そのように『韓非子』に書いてあるから。
 その殺気という見えぬエネルギーの衝撃波こそが、すべてではないにせよ(部分否定を思させる程度)盾を通って、盾の武人に届いたのだ。その盾の武人は多少のケガを負ったと、いう記録が残っている。

 あり得ない? 胡散臭い? いやいや、考えてもみてほしい。
中国には、かのブルース・リーも体得している気功がある。
侮るなかれ。気功は(本当に)中国古典の『老子』『荘子』などにも載っているほど歴史ある、生命エネルギーの発露方法なのだ。
 古代中国の武人は矛を媒介として、生命エネルギーをレーザービームのような衝撃波に変え、盾をとおした向こう側へと放ったのだ。ただし部分否定の示すように、充分にはとおさなかったけれども。

 だから、戦いは矛の勝ちだ。
 矛の武人は、無傷である。相手にダメージも与えている。矛は武器としての役割をまっとうしたが、盾はその所有者を守り切れなかった
 この差は決定的である。
 しかし黒白がついたということは、矛盾という語に、もう矛盾は存在しないのだ。それこそが自己矛盾であり、この事実は、いまでも古代中国の漢文が読める一部の人間しか知らない秘密事項となっている。
 どうやら矛盾という語は、それ自体に茫とした矛盾を孕んだ故事成語であるらしかった。

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