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「今」を生きるか、「刹那的」に生きるか


表題の「刹那的」ですがもともとは、それこそ、今を生きる、という意味で使われていた言葉ですが、
現在では主に、後先考えず今が良ければ良い、という「享楽的」と近しい言葉として使われます。

正反対の解釈が有るのですが、本文では世に広まっている「後先考えず今が良ければ良い」「享楽的」という意味とさせて頂きます。

言葉の解釈も混乱しがちですが、実生活でも、
今を生きる人と刹那的な人とは、他者から見ると分かりづらい場合が少なく無い様に思います。

深く付き合えば違いは明らかなのですが、ぱっと見や、浅い付き合いでは、仲々区別がつきません。

今を生きる人は、心に確かな【自分】という意識が有る人です。

【自分】が有る人の人生には、連続性が有ります。
人生の主人公は【自分】なので、【自分】が歩んで来た人生は経験として積み上がっています。

経験は、人生を歩む為の方策の原材料です。
経験が方策をつくり出し、その人はその方策で人生を切り拓き、一歩一歩前へ進みます。

踏み出す一歩はまた経験となり積み上がり、新たな方策を生み出します。

その場限りの思いつきで行動する訳では無いので、先の見通しも効きます。
時に直感的に行動したとしても、それは経験に裏打ちされた、ひらめきであり、
その場限りの思いつきとは違います。

過去に経験の蓄積、今の方策に則した行動、未来の見通し、
過去も今も未来も、その人の人生は連なっています。

連なりを帯びてはいても、過去と未来は思考が創り出す想念です。
触れることが出来るのは「今」だけ、です。

経験は宝、と言えますし、見通しは大切な地図です。

しかし、実際に触れることが出来るのは「今」だけ、なのです。

だから、【自分】がある人は、宝と地図を手に「今」に触れます。

「今」を生きます。

そして、「今」の連なりが人生です。

だから、心に【自分】がある人は、無軌道な生き方をしないのです。

仮に傍から見て、無鉄砲な人生を歩んでいる様に映っても、それは、その人が経験から、方策を導き出し、見通しを立て、選び取った人生が、他者から見ると無鉄砲に映るだけで、刹那的に生きている訳ではありません。

自分が主人公の、自分の人生を歩んでいる人は、他者の目にどう映ろうと、自分が選ぶ人生の「今」を生きます。


心に【自分】が育っていない人もいます。

自分の人生なのに、主人公の【自分】が不在です。

自分の人生なのに、まるで他人事に感じられます。

心に【自分】という主体があって初めて、経験は積み上がります。

人生が他人事の様で、感じる主体である【自分】が無ければ、経験は積み上がりません。

経験が積み上がらなければ、方策は立ちません。

どうしても、場当たり的な「今」になってしまいます。

経験は積み上がらず、方策は立たず、よって見通しは効きません。

たとえば、長い目で見るよりも、今目の前の人に良く思われることが大事になります。

たとえば、コツコツと基礎を固めるべきことが目の前に有っても、周囲から賞賛される様な派手さを求めます。

人生は連続したものでは無く、ぶつ切り状態です。


心に確かな【自分】という意識が育つには、幼少期に充分な愛情を注がれる必要があります。

愛情を注がれる、とは、尊重され、肯定的に受け容れられる、ということです。

その様な環境に育つ中で、自分は存在するに値する、自分には価値がある、といった感覚が育ちます。

言い方を変えると、自分という存在に対する揺るぎ無い安心感、です。

安心感が【自分】を育む養分です。


刹那的に生きてしまう人は、おそらく幼少期に、尊重や肯定の無い環境で育った人です。

それは、機能不全家庭と呼ばれる環境で、
その人は、充分な愛情を与えられないばかりか、肉体的、心理的な虐待を受けたものと思われます。


「今」を生きる人、刹那的に生きる人、
ぱっと見には、同じ様に映る場合が多々有りますが、

その人が育った環境も、その人の成り立ちすらも、全く違っています。


これまで、刹那的な生き方をして来たから、これからも「今」を生きられないのか、というと、そうではありません。

【自分】が無い、と表現しましたが、【自分】は消えて無くなることは、ありません。
ただ、育つことが出来ず、小さく固く縮こまっています。

自分と向き合い、過去の環境を腑に落として、今の自分を受け容れる事が出来た時、【自分】は解き放たれます。

積み上がっていなかった経験は積み上がります。
今の方策が見つかります。
未来の見通しが効く様になります。

人生は他人事では無くなり、主人公は【自分】だと思い出します。

ぶつ切りの人生は、連なりを帯びます。

心の治癒力は測り知れません。

いつでも、いくつからでも、

「今」を生きることは、出来るのです。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム





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