私は愛情深い親だ
子供を一人の人間として尊重出来ない親は、自分の事を「愛情深い親」だと思い込んでいます。
子供を、所有物、として扱いながら、自分は子供に全てを捧げている、と本気で思っています。
子供の心の中にズカズカと入り込み、感情の発露までをも統治しながら、お前の為を思って…、と口にします。
子育てに悩み、「私は毒親でしょうか?」と相談されるお母さんは少なくありませんが、
そう思う時点で、そのお母さんは、世に言う、毒親、ではありません。
感情と思考のバランスが崩れて、不安定になっているかも知れませんが、自分の母親としての在り方に疑問を持つ事が出来る、ということは、決して、毒、では無いのです。
子供にとって、毒、になる親は、自分は愛情深い親だ、と思い込んでいる親です。
その親は、自分を徹底的に無価値な人間だ、と心の奥底では思い込んでいます。
おそらくは、その親の幼少期の親子関係が極めて否定的な関係性であり、
その親の心は、傷だらけなのだと考えます。
傷つくだけ傷ついて、もはや自分の非を少しも認める事が出来ない段階に至ってしまい、
そうなると、悪いのは自分では無く、他者である、という他罰に著しく偏った心の在り方になってしまいます。
言い方を変えると、その親は、自分は素晴らしい、という妄想にしがみついていないと、自分を保てないのです。
だから、その心の在り方のまま親になると、自分は愛情深い親、であり、子供に全てを捧げている、と思い込みます。
自分の、母親としての在り方、に疑問を持つなどという事は出来ないのです。
親子関係は、親が圧倒的に強く、子は徹底的に弱い関係性です。
だから、親がしがみついている妄想の世界に、子供は呑み込まれてしまいます。
親が、自分は愛情深い親だ、と思い込んでいるなら、
子供は、お母さんは愛情深い、と思い込みます。
親子で妄想にしがみついている家庭が、機能不全家庭です。
複雑なのは、機能不全家庭の親は、自分は素晴らしい、自分は愛情深い親だ、と思い込む一方で、
自分は無価値だ、という思いを心の奥底に封印している事、です。
機能不全家庭の子供は、お母さんは愛情深い、と思い込む一方で、
心の奥底では、親を疑い、親に怒っているのです。
その疑念や怒りは、封印されます。
つまり、機能不全家庭に於ける母子関係は、
親は、自分は素晴らしく愛情深いと意識しながら無意識では、自分を無価値だと感じていて、
子供は、親を信じている体で、実は親を疑い、親に怒りを覚えている状態にあり、
それは、親も子も心が二つに裂けていて、
親子関係は、嘘、の上に成り立っている、ということです。
親は心の奥底の、自分の無価値な思い込みから目を逸らし、自分を保つ為に子供を道具として使い、
子供は圧倒的な力で抑えつけられ、親に呑み込まれて、親の道具として生きます。
親の道具として生きるということは、別の言い方をすれば、
親の無価値な思い込みをそっくり背負い込む、ということです。
親は子供を道具にする事で、自分を保ち、自分は素晴らしく愛情深い親だ、という妄想の中に生き、
子供は、素晴らしく無い部分の全てを請け負います。
親が妄想の中で生きられる様に、妄想に沿わない事の責任の全てを背負わされます。
お母さんは、こんなに一生懸命なのに、どうして出来ないの、
お母さんはお前の事をこんなに思っているのに、どうして優しくなれないの、
言葉で、態度で、無言の圧で、妄想に沿わない現実の全ての責任を追及され、責められるのは子供です。
何故なら、親は既に傷だらけで今日まで生き抜いて、
もう、少しの非も受け容れられない程に追い込まれているから、です。
その親が生きられる場所は、妄想の世界であり、
生きる為には、道具が必要なのです。
親が生き抜く為の道具にされた子供は、
間違い無く、生きづらさを抱えて人生を歩きます。
親が創った妄想の世界に取り込まれて育った人が、
抱える生きづらさに気がつくことは、簡単ではありませんが、
耳を澄ませば聞こえますし、
目をこらせば見えて来ます。
気がつく事が出来たなら、
親に取り込まれて、
道具として生きる道理はありません。
自分として、
自分の人生を生きて構わないのです。
生きづらさを抱えた人は、
身を挺して親を守った人です。
その人が道具になったから、親は生き延びました。
最高の親孝行を、その人は既に済ませています。
今度は、自分の人生を歩む番です。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。
伴走者ノゾム
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