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その苦しみは人生の障壁か、それとも生きづらさなのか

以前の記事の中でも、繰り返しお話しして来た事ですが、

一口に悩みや苦しみを抱えている、と言っても、

人の心は、人の数だけあり、
悩みも苦しみもまた、人の数だけある訳です。

10人の人がいれば10通りの心があり、悩みも苦しみも10通りです。

悩みや苦しみを乗り越える為に、本やネットでヒントになる考え方や、言葉や、人生訓を探す事は、有益な事だと思います。

ただ注意が必要なのは述べた様に、10人いれば10通りの心があるなら、

ある人には薬になる考え方であっても、別の人には毒になる事もある、ということです。

たとえば、
過去にとらわれず今を生きよ、という考え方、言葉に出会ったとします。

その考え方は、生きる助けになる、と私も思います。

しかし、生きづらい人は、
既に過去にとらわれてしまっているから、生きづらいのです。

生きづらい人は、
今を生きようにも、今を生きられないから、苦しんでいます。

多くの人にとって、
過去にとらわれず今を生きよ、という言葉は助けになる、と思いますが、

生きづらい人にとっては、逆に自分を責める材料にすらなります。

多くの人に薬になっても、逆にそれが毒になる人もいるのです。

既に深みにはまって溺れている人に、
「深みにはまったら溺れますよ!」と声をかける様なものです。

声をかけられた既に溺れている人は、深みにはまってしまった事への後悔と、溺れているという絶望に、窮地を脱する気力を失います。


安易に人にレッテルを貼って、分ける事は危険だと考えています。

しかし、決して一様では無く、単純では無い、心のこと、
特に生きづらさを手放す、という事を考える時、

一人ひとりが違う心を持つという多様性を認めながら、

傾向を熟考した上での区分けが必要だと考えています。

多様性を認める事と、区分けは、ある意味、相反する部分もありますが、

傾向を熟考する事で、水と油のままにしない事が肝要である、と思っています。


心のこと、を考える時の区分けの大きな目印は、
生きづらさを抱えているか、いないか、です。

生きていれば万人に、悩みや苦しみは配られます。

健康的な家庭に育った、健やかな心を持つ人も、

親から否定され、拒絶され、利用される環境に育ち、生きづらさを抱えてしまった人も、

誰もが、悩みますし、苦しみます。

その時に、先に挙げた「過去にとらわれず、今を生きよ。」という言葉に出会い、そうか、と納得して糧に出来るのは、健やかな心を持つ人、です。

生きづらさを抱えてしまった人も、そうか、とは思います。
その様に生きてみよう、と思います。
しかし、生きる糧にはなりません。

既に過去にとらわれ、生きづらいからです。
今を生きようにも生きられない、その事自体が、生きづらさ、だからです。

健やかな心であるけれども、誰にも訪れる人生の障壁を前にして、悩み苦しんでいるのか、

抱える生きづらさ自体から生じる悩みであり、苦しみなのか、

によって、取り組むべき事も、為すべき事も、ヒントにすべき言葉も、違って来ます。


その人が生きづらさを抱えた原因は、余程のレアケースを除いては、幼少期の親子関係にあります。

生きづらい人は、人生の最初に心に深い傷を負ったという事です。

傷を負ったのが、人生の最初という事は、心に深い傷を負った自分しか、その人は知らない、という事です。

つまり、健やかな心とはどういうものか、も知らなければ、

自分が心に深い傷を負っている事も、生きづらさを抱えている事さえも、
知らない場合が多くあります。

ただ生きていて苦しい、という感覚だけは充分過ぎる程持っています。

今、生きづらさを抱えて苦しんでいる人には、
その、ただ生きているだけで苦しい、という感覚を、軽んじて欲しく無いのです。

健やかな心を持つ人には、ただ生きているだけで苦しい、という感覚はありません。

ただ生きているだけで苦しい、のであれば、それが、生きづらい、という事です。

生きづらい人は、自分の感覚を信じませんし、自分の苦しさに無頓着です。

幼い頃に、泣く事、はしゃぐ事、怒る事、など全ての感情を大切にしてもらえない親子関係に育つうちに、

自分の感情や感覚を信用する事が出来なくなってしまいました。

悲しくても、寂しくても、悔しくても、取り合って貰えない環境に育つうちに、

自分の苦しさなんて取るに足りない、と感じる様になってしまったのです。


本を読み、ネットを歩き、セミナーやカウンセリングに足を運び、

優れた考えに触れても、
優れた言葉に出会っても、
それらが少しも糧とならない、と感じているならば、

今、生きづらい自分、に合っていない方向を向いているのかも知れません。


無闇にカテゴライズする事は避けるべき、と思っていますが、

生きづらさ、を見つける為、
自分の心の有り様を見定める為に、区分けする事は、その限りでは無い、と思っています。

自分の心は健やかであるけれども、障壁を前に悩み苦しんでいるのか、

それとも、苦しみは抱える生きづらさのほとばしりなのか、を、

見定める事は大切です。


障壁に突き当たった悩みと苦しみならば、教え通りに、過去にとらわれず、今を生きて、壁を乗り越える事に集中します。

生きづらさによる悩みと苦しみならば、気づいた今、を糸口に、過去を辿ります。

既に過去の心の傷に、とらわれているのですから過去を辿って、とらわれを解きます。


悩みを解決する事と、

生きづらさを手放す事は、

明確に違います。


先ずは、心の有り様を知る事が大切であり、

人生の障壁に悩んでいるなら、過去にとらわれず、

生きづらさに苦しんでいるなら、過去を辿ります。

自分と向き合う事が始まりで、

自分と向き合う事がすべて、

だと思っています。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム










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