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感じることと、考えることのバランス

生きづらさを抱えて人生を歩いている人は、思考一辺倒になります。

私達は日々、感じることと、考えることのバランスを取って生きています。

生きづらさ抱える人は、幼い頃に自分の感情を捨てて、親の感情の面倒を見る毎日を過ごした人です。

泣きたくても、親が笑うことを望んでいたなら、それを察知して、自ら笑い、

怒りたくても、親が怒る自分を拒絶すると察知したら、柔らかな優しい子供を演じます。

いつもいつも、自分の感情を捨てた時にだけ、親は自分を受け容れます。

自分が感情を捨てて、親が満足する、ということは、
本来無条件に受け容れられるべき幼少期に、幼い子供の方が親の幼児性を満たしてあげている状態です。

親は子供に、感情的な面倒をみてもらっているのです。

つまり、
この状態は、親子の役割逆転であり、
この家庭は、機能不全家庭であり、
この繰り返される日常は、心理的虐待の日々なのです。

そんな環境に育った人は、生きづらさを抱えて生きることになります。

人間は感情の動物です。

鳥が空を翔ぶ様に、魚が水中を泳ぐ様に、獣が大地を駆ける様に、

感情の動物は、生きる限り、感情を動かし続ける筈なのです。


ところが、この環境に育ち、感情を捨てることが日常だった人は、

感情が極めて動き難い状態に陥ります。

本人は自分が育った環境しか知らないのですから、それが当たり前なのだと思っています。

ただ、苦しさは感じています。

鳥が翼をもがれた様に、魚が陸に上げられた様に、獣が脚を折られた様に、

感情の動きを止められて生きています。

とてつもなく苦しいのです。


しかし、生まれてからずっと苦しかったので、本人は苦しみながら、

何故苦しいのか判りません。


苦しいのは、感情の動物が、感情を奪われて生きているからです。

人は、感じることと、考えることのバランスを取りながら人生を歩むのが、在るべき姿なのに、

感情が動かないのです。

だから、考えること、思考一辺倒になってしまいます。

当然、感じること、からは離れてしまい、バランスを欠きます。

よく言う、
マインドで感じるとか、
ハートで通じ合う、といったことが極めて苦手になってしまいます。


観念的かつ断定的なもの言いになってしまいますがご容赦下さい。

心には二つのエリアがあります。
感じることを受け持つ、仮にマインドエリアとします。
そして、
考えることを受け持つ、思考エリアです。

マインドエリアは、
感じることを受け持ちます。
ポジティブな感情はここで作られます。

優しさ、愛しさ、楽しさ、喜び、などなど、ポジティブ感情はマインドエリアの担当です。

思考エリアは、
考えることを受け持ち、
ネガティブな感情の製造工場でもあります。

哀しさ、寂しさ、怒り、不安、などなど、
ネガティブ感情の担当は思考エリアです。


ポジティブが良い、ネガティブは悪い、と言われがちですが、

私達にはポジティブもネガティブも必要です。

私達が暮らす物質世界は、心温まる出来事も起これば、身も凍る様な事件や事故といった出来事も起こる世界です。

優しい人もいるし、傷つけたり、欺く人も存在します。

物質世界に生まれたなら、優しさ、愛しさ、などのポジティブ感情だけを持って生きることは出来ません。

この世界では、危険を回避したり、身を守ることも必要です。

怒りや不安といったネガティブな感情を感じることは必要不可欠です。

小さい頃、誰にでも分け隔て無く、優しくしなさい、といったことを言われることも有ったかと思いますが、

述べた様に、世の中には傷つける人も、欺く人も存在します。

時と場合で、人をジャッジすることも必要なのです。

ジャッジするには、予想されるネガティブ要素に基づいて、考える必要があります。

その担当が思考エリアです。

この物質世界で生きる為に必要な面倒なこと全般が思考エリアの担当です。

だから、私達は、感じることと、考えることのバランスを取って生きています。


それが、感情が満足に動かず、バランスを崩し、思考一辺倒になったら、生きづらいのは当たり前です。

どうしても目の前のこと、「今」に集中出来ません。

私達が触れる事が出来る現実は「今」だけです。
過去や未来は、どれだけ鮮明に思い返すことが出来たとしても、それは、想念、イメージです。
思考エリアの出来事なのです。

マインドエリアの動きが固まった人は、バランスを欠き、思考エリアに立ち尽くしています。

思考エリアは、ネガティブ感情を生産します。
すると、過去に執らわれ悔やみ、未来を案じて不安に思う、渦巻きに巻き込まれます。

渦巻きから逃れようにも、感情は動かず、マインドエリアは立ち入り禁止です。

過去を悔やみ、未来を案じて、「今」がどうしても疎かになります。

「今」が疎かだと、生きる実感が薄くなります。
現実は「今」だけ、過去と未来は想念だから、です。

「今」の連なりが、人生なのですから、「今」が疎かになると、人生は疎か、他人事、雑にならざるを得ず、

自分の人生なのに、まるで脇役であるかの様に思えます。

虚しさがつきまといます。


もしも、虚しさにつきまとわれているのならば、

感情が活き活きと動いているのかどうか、ということに気をつけてみると、

気づきのヒントを得られるかも知れません。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム


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