どうしても知らないままでいたい事
私は機能不全家庭に生まれ育ちました。
記憶の最初から、既に生きづらさを抱えていました。
よく小学校時代の6年間は、ずっと終わらないんじゃないか、と思えるほどに長く感じると、耳にします。
私も同じで、それはそれは、長く感じました。
友人達と違うのは、友人達はキラキラした思い出として、回顧し、語るのですが、
私は、苦しいこと、辛いこと、悔しく寂しいこと、そんなことばかりが、胸に去来するのです。
思い出には、フィルターが掛かって、美しく思える、とも聞きますが、
私のカメラには、そのフィルターが無いらしく、長い少年時代は、永遠に続くのではないか、と怯えたほどに、辛い記憶です。
学校に行けば、それなりに楽し気にしていたと思います。
周りからは、その様に見えていたかも知れません。
しかし、それは、その様に振る舞っていたのです。
笑っていても、少しも楽しくなかったのが、思い出されます。
楽しそうに振る舞っている時、
周りから見て自分は楽しそうに出来ているか、
不自然ではないか、
つまらないと思っていることがバレはしないか、
そんな気持ちだったことが思い出されます。
顔では笑っているのに、手には汗を握っているのです。
追い詰められていました。
今は、
どうしてそんな気持ちだったのか、
何故そうなったのか、
分かる様になりました。
しかし、当時は、
笑っているのに苦しい、楽しげにしているのに寂しい、
それが、何故なのか全く分かりませんでした。
ただ、その心の動きは、普通では無いだろう、とは思っていました。
あまりにも、責められ過ぎたのだと思っています。
生まれてからずっと責められ続けたら、そうなるなぁ、と今は謎解き済みです。
その心の動きが普通では無いだろう、と感じていたことは、上出来だと思います。
長い少年時代が終わり、青年になり、大人になっても、心が軽くなることはありませんでした。
相変わらず、楽しげに振る舞い、こと更に大きな声で笑い、自分は楽しいです、と周囲にアピールしていました。
顔で笑って、手には汗を握っています。
苦しく長い少年時代から何十年も経って、私はその生き方に耐えられなくなりました。
どんなに周囲に楽しげな自分をアピールしても、本当はつまらないし、苦しいし、寂しいのです。
何かに追いかけられ、追い詰められる様な生き方に疲れ果てて、私は動けなくなりました。
動けなくなってしまったのだから、自分と向き合ってみよう、と思いました。
楽しげに振る舞いながら、こと更に笑いながら、何かがおかしい、と思いながら、何十年も生きました。
どうせ動けなくなったのだから、と腹を括りました。
この際だ、全部紐解こう、そう思いました。
顔で、不自然な周囲に見せる為の笑顔を作りながら、普通では無い、何かがおかしい、と感じていた当時の感覚が、助けになりました。
今だから分かるのですが、何かがおかしい、という感覚は、
本当は、知っている認めたくないことを、見て見ぬフリをする違和感です。
私が認めたくなかったこと、見て見ぬフリをしていたことは、
両親から、これっぽっちも愛されていなかった、ということです。
あんなに、お前の為を思って、と言っていた親は、少しも愛してなんかいなかった、ということです。
本当は、親に愛する力が無かった、ということなのですが、
幼い私は、自分は愛されるに値しない、と思い込んでしまったのです。
自分は愛されるに値しない、自分には価値が無い、という思い込みは、決して見たくないのです。
だから、愛されていないことに気がつきながら、心の奥に放り投げ、見て見ぬフリをして、親の愛を求めます。
愛されてるごっこ、を繰り広げます。
だから、親の望む子供になろうとします。
だから、周りからの注目を渇望します。
自分の生きづらさの原因、
自分が見て見ぬフリをしていたこと、
今は、腑に落ちました。
愛されず育つしか無かった人が、その事を認め、自分の生きづらさに気がつくことは、易しいことではありません。
しかし、生きる中で度々、普通では無い、何かがおかしい、と感じるならば、
それは、生きづらさに気づく大切なサインの様な気がします。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。
伴走者ノゾム
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