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その子の「今」を奪うのは誰?

私達が触れることが出来るのは「今」だけです。

たとえ小学生だった頃の夏休みの思い出が、かき氷の苺シロップの味までも、ついさっきの事の様に思い出されたとしても、それは過ぎ去った過去であり、

過去は私達の思考が創り出す、想念、です。

いかにこれから先の心配事が、借金の取り立て人がドアを叩く音や、怒鳴り声がリアリティを帯びていたにしても、
どれだけ見たことが無い美しい海岸線をドライブする至福の時を夢想しても、

それはまだ見ぬ未来であり、

未来は私達の思考が創り出す、想念、なのです。

過去が如何に色鮮やかに蘇っても、蘇る場所は、脳裏、であり、
脳は思考を司る場所であり、
思考が創り出す想念には私達は触れる事が出来ません。

未来がどんなにリアリティを帯びていても、どこまで行っても、それも想念であり、触れる事は叶いません。

私達が暮らす物質世界に於ける、現実、は「今」だけであり、

人生とは、「今」の連なりと捉えることが出来ると思います。

心地よい人生を望むなら、心地よい「今」を積み重ねる必要がありますし、

人生を豊かにしたいなら、豊かな「今」を創り出すしか無い様に思います。

勿論、豊かな未来を思い描いて、それに向けての、努力を重ねる「今」が意味が無い、などとは思っていません。

ただ、それが本当に豊かな未来に向かっているならば、「今」重ねる努力や苦労の根底には、必ず、喜び、が有る、と思うのです。

努力する「今」が既に、喜び、であり、
苦労する「今」すらも、根底には豊かさに向かっている、喜び、が有る、と思っています。


子供を、尊重、する事が出来ず自分の持ち物として、所有、してしまう心理的に未成熟な親は、

自分が無価値な思い込みから目を背ける為に、所有物である我が子を道具として、あの手この手で利用します。

その子が、その子として、その子の人生を歩むことを妨害します。

その子が、その子であるということは、親の所有物ではなくなる、という事です。

その子が、その子の人生を歩む、ということは、親が無価値感から目を背ける道具としての役割りを放棄する、ということなのです。

だから親は、あの手この手で妨害します。

その、あの手この手、の中に、子供から「今」を取り上げる、ということが有ります。

たとえば子供の、身体的なことを、冗談、の体で、冷やかします。

子供にとっては、身体的なことをとやかく言われることは、言われてもその子の力ではどうにもならない事柄です。

どうにもならない持って生まれたものを中傷されることで、その子は、生まれた時に遡って自分を恥じます。

親からの身体的特徴に対する中傷を受けた人は、その人が意識するにしろ、無意識レベルであるにしろ、間違い無く、コンプレックスを抱くことになります。

他者から見て、気にしなくてもいい様なことすら、コンプレックスになってしまいます。

コンプレックスは、どうする事も出来ないという無価値感をその子に与えると共に、

そんな身体的特徴を持って生まれて来た、人生の最初、まで遡って、縛りつけます。

その子の意識を「今」から引き剥がし、人生の最初、という、過去、に飛ばします。

その子が、「今」に目を向ける事が出来なくなる、ということは、自分の人生を生きることが出来なくなる、ということであり、

よってその子は、親の所有物で在り続ける、ということです。

身体的な特徴を中傷することは、その子の意識を人生の最初に飛ばしますが、

その子の過去の失敗を持ち出して、批難したり、中傷することでも、

その子は「今」から引き剥がされ、意識をその失敗した時点まで飛ばされます。

あの時お前がこんな失敗をしたからお母さんは恥ずかしかった、などといった言葉の投げ掛けです。

こういった、その子を「今」から引き剥がす言葉は、いつも、冗談、の体で現れます。

冗談、の体を保っている限り、言われたその子も、反発することが出来ないままに受け容れ、受け容れる度に意識は「今」から引き剥がされます。


心理的に未成熟で子供を利用する親は、

まだ見ぬ未来の心配をすることで、子供の「今」を奪います。

今、勉強しないと、中学生になったら大変なことになる、

今、やらないと、行ける高校が無くなる、

今、頑張らないと、〇〇大学に落ちる、

勉強に限ったことでは無く、心理的に未成熟な親は、子供を励ますこと、が出来ません。

励ましているつもりで、不安を煽り、子供を「今」から引き剥がし、未来の不安に縛りつけます。

心理的に未成熟な親は、自分が子供から「今」を取り上げている、などとは思っていません。

それどころか、冗談の体で子供のコンプレックスに触れる自分を、明るくて良い親だと思っています。

子供の未来の不安を煽る自分を、子を案じる愛情深い親だと思い込んでいます。

全部子供の為、だと思い込んでいますが、自分の事しか考える事が出来ません。

全てを与えているつもりで、一切合切奪います。


親から「今」を奪われたまま育った人が、

その事実に気がついて、

その真実を認めることは、

決して易しいことではありませんが、

重々しい「今」を生きているならば、

先ずは、真実を見てみよう、と、

決意することが始まりです。

痛みは伴いますが、

見定めたなら、

「今」を、そして、

自分の人生、を取り戻すことは、

叶うのです。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム








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