自分を責めるか、励ますか
今、生きづらさ、を抱えている人は、
未だ幼かった時に、親から無理難題を押し付けられた人、です。
その無理難題とは、親が夢想する、理想の子供像になりきる事、です。
しかもその、理想の子供像、はその場その時、親の気分や事情によって、変幻自在にカタチを変えます。
ある時は、賢い子である事を求められ、
ある時は、明るい子である事を、
またある時は、礼儀正しく、聞き分けが良く、大人しい子、
強い子、気が利く子、勇敢な子、
その時々で方向性はバラバラで、親の気分、親の都合で、理想の子供像、は変わるのです。
方向性はバラバラですが、要は世間から見た時、羨まれる事を親は求めます。
授業参観では、手を挙げて気の利いた発言のひとつも欲しい訳です。
周囲から、優秀な子の親御さん、と思われたいから、です。
親自身は、子供の為に子供が優秀である事を望んでいる、と思い込んでいますが、
本当は、親自身が褒められたくて、子供に無理難題を押し付けています。
そこには、子供の志向、思考、嗜好、適性、は意味を持ちません。
親の気分と都合が全て、です。
そもそも、飛び抜けて活発な子は、思慮深さには欠けるもの、ですし、
思慮深い子は、活発さが足りなかったりするものですが、
その親は、相反する事の両方を平気で子供に求めます。
子供にしてみれば、思慮深い自分であれば良いのか、活発でなくてはならないのか、わからなくなります。
大人しくしていても、活発に動いても、
何をやっても文句を言われる内に、その子は自分がわからなくなり、自己像が無い子、になります。
在るのは、親から求められる、手が届かない理想の子供像、です。
手が届かないから、そんな自分には価値が無い、と思い込みます。
価値が無いから、自分の事が大嫌い、になります。
親が突きつける無理難題に晒され続けた人は、自分に厳しい人、になります。
しかも、その厳しさは主に、自分の感情に向けられます。
たとえば、怠けたい、という感情が湧き上がった時、
その人は、自分の中から湧き上がる怠惰な感情を許すことができません。
だから、怠けたい、という感情を、悪いもの、だとジャッジします。
そんな、悪いもの、を生み出す自分を嫌い、責めます。
本当は、楽をしたい、怠けたい、という気持ちは、誰もが持つ自然な感情であり、その感情を嫌う必要も、その感情を生み出した自分を責める必要も無い、のです。
この、湧き上がる自然な感情を否定し拒絶し、抗う状態が、葛藤、です。
生きづらさを抱えて苦しむ人の、苦しみ、は、葛藤、の苦しみです。
心が二つに裂かれる痛みです。
軽やかな心持ちで人生を歩む人にも、想定外な望まない出来事は降りかかりますが、
心に葛藤が無ければ、眼の前の出来事に全力で対処するだけ、です。
ところが、心に葛藤を抱える人は、眼の前の望まない出来事に対処する前に、
心の中の敵をねじ伏せなければならないのです。
そんな状態が続くのですから、生きづらいですし、苦しみはとても大きいと言えます。
葛藤する生きづらい人は、責めなくていいのに自分を責めて、嫌わなくていいのに自分を嫌います。
自分を責めること、自分を嫌うこと、はとてつもない苦しみをもたらします。
ずっと自分を責め続け、憔悴し、やがて動けなくなる人は沢山います。
自分を責める苦しさから、目を逸らし続ける人も沢山います。
先に触れた、無理難題を子供に突きつける親は、その典型です。
自分は優れた人間では無い、と思い込んでいるので子供に、優れた子であれ!と求めます。
自分は怠け者だ、と自覚しているから、怠けるな!と子供を叱咤します。
親に自覚は有りませんが、親は自分が負うべき苦しみを、そっくり子供に背負わせているのです。
子供は親が負うべき苦しみを背負って、
自分の感情を否定し、自分を責め、自分を嫌いになったのです。
今、生きづらい人に知って頂きたいのは、
軽やかな心持ちで人生を歩む人は、本当に、自分を責めない、のです。
如何なる時も、自分は自分の一番の理解者であり、一番の味方なのです。
生きづらい人が、当たり前の様に自分を責めるのと同じく、
軽やかに生きる人は、当然の様に自分を励まします。
生きづらい人にとって、自分がどれほど自分を責め立てているか、は、自覚し辛いとは思いますが、
感情が動く度に、感情が湧き上がる度に、責めて嫌うのと、
その度に、受け容れ、励ますのでは、天地の開きが有ることは分かり易いのではないか、と思います。
軽やかに生きる人は、人生を歩む程に、福利で軽やかさを増し、
生きづらい人は、雪だるま式に苦しみを抱え込む仕組みは、
心のこと、の最大の残酷さ、だとも感じますが、
逆も真で、
生きづらさを知り、
自分と向き合い、
ひと度、気づき、を迎えたら、
雪だるま式に抱え込んだ苦しみが、
いっぺんに溶け出す事も事実です。
長く続いた苦しみにも、
終わりはありますし、
終止符を打てるのは、
自分自身です。
先ずは、自分が自分をどれだけ責め続けて来たのか、を知り、
これまで責めた分だけの、
励ましを贈ってみて欲しいのです。
自分を好きになって欲しく思います。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。
伴走者ノゾム
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