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自分を軽く扱う人を大切にしてしまう心理

人間関係に悩んだ事が無い人は居ないと思うのです。

どんなに健やかな心を持つ人であっても、人間関係に悩みます。

心は人それぞれで、人が十人居たら心は十通り、百人居たなら百通りですので、

抱える人間関係の悩みも、人の数だけ様々です。

様々ではあるのですが、その人が自分をどう捉えているか、によって人間関係の悩みの、質、が分かれる様に思います。

自分には価値が有る、と感じているか、それとも、
自分は無価値である、と思い込んでいるか、によって、悩みの、質、は二分されると思うのです。

先ず、人間関係に悩むか否かの前に、自分の価値に疑いを持たない人は、色んな条件をクリアしなくても、

ただ其処に居るだけで、自分には価値が有る、と感じています。

自分という存在に対して、安心感、を持っています。

一方、自分を無価値だと思い込んでいる人は、何かしらの条件を満たさなければ、自分には価値が無い様に感じています。

ただ其処に居るだけでは、許されない様な、申し訳無い様な感覚を持っています。


自分という存在に安心感がある人は、

他人との間に、合う、合わない、という相性はあるでしょうし、
出会ったタイミングだって大事ですし、
その他諸々の要素が有って、

そういった範疇で、人間関係が上手くいったり、いかなかったり、という悩みを持ちます。

悩みは持ちますが、それは、自分の外で起きる人間関係という、出来事、に対する悩みです。

自分は此処に居るだけで価値が有る、と感じているのですから、人間関係が円滑であれば、それはとても好ましい出来事ですが、 

仮に上手くいかなくても、出来事と自分の価値とは無関係で、
人間関係でゴタゴタして悩んでも、自分には変わらず価値が有る、と感じているのです。


一方、自分は無価値だと思い込んでいる人は、
他人から受け容れられる事が、自分を保つ為の、絶対条件になります。

そのままの自分は無価値だと思い込んでいるから、です。

他者からの受け容れは、心の中に渦巻く無価値感から救ってくれる様に思えてしまうのです。

よって、自分を無価値だ、と思い込んだ人にとって人間関係という外に起きる出来事は、単なる出来事に留まらず、
自分の価値、に直結します。

受け容れられれば、自分には価値が有る様に感じ、
さもなければ、即、自分には価値が無い、と感じます。

人は様々なネガティブ感情を有しますが、無価値感、は最も認めたく無い感情と言えます。

だから、自分を無価値だと思い込んだ人は、常に他者からの受け容れを欲します。

常に他者の受け容れを欲する、ということは、自分の価値を他者の評価に常に委ねている、ということです。

自分の存在価値を常に他者に委ねる在り方は、果たして自分の人生を生きている、と言えるのでしょうか。

どんな人生を生きるのか、は本人の自由であり、どう生きようとも、其処に善悪、正誤、優劣は無い、と考えます。

しかし、自分の存在価値を他者の評価に委ねる限り、
少なくとも、活き活きと、今、を生きる事は叶わない様に思います。

他者の受け容れ、と表現しましたが、受け容れとは、他者からの自分に対する好意は勿論のこと、
他者からの承認、他者からの賞賛、他者の自分に対する羨望の眼差しをも含みます。

それらまで含んだ受け容れを、必死に、常に、求めて止まず、振り回されている人を、 
健康的な心を持つ人は、なかなか受け容れる事はありません。

自分を無価値だと思い込んでいるからこそ、他者の受け容れを欲するのに、追えば追う程、健康的な心を持つ人からは、距離を置かれます。

そして周りには、自分を無価値だと思い込んでいる人ばかりが集まります。

自分を無価値だと思い込んでいる人は、殆どが、親から無価値な扱いを受けた人です。

その親子関係が、その人の人間関係を構築する際のひな型です。

親は、圧倒的に強い立ち場にあり、幼い子供は徹底的に無力な存在です。

親はその立ち場をフル活用して、子供に無価値な扱いをします。
つまり、子供を人として尊重する事は無く、
親自身が抱える生きづらさから目を逸らす道具として扱います。

人として尊重しないのですから、子供の存在を軽く思っています。
道具なのですから、軽く扱います。

軽く扱いながら親は、お前の為を思って…、と言います。
これが温かい親子関係だ、と言います。
これが愛だ、と言い張ります。


述べました様に、健康的な心を持つ人は、自分を無価値だと思い込んだ人から距離を取ります。

無価値だと思い込んだ人も、健康的な心を持つ人とは、合いません。

その人の親が言っていた、あたたかさ、や、愛、が健康的な心を持つ人には感じられないから、です。
親とは真逆の健康的な心を持つ人が、やけに冷たく感じるからです。

かくして、親の言っていた、あたたかさ、や、愛、を感じる人と親しくなりますが、
親しくなったその人は、親と同じく自分を軽く扱う人、なのです。

その人は、大丈夫か?と声をかけてくれます。
その人は、友達だ、と言ってくれました。

でも、口とは裏腹に軽く思っています。

自分を軽く扱う親からもらった人間関係のひな型を使って人間関係を構築したら、

傍には、自分を軽く扱う人ばかりが集まります。

その自分を軽く扱う人を、大切に思います。

親が、お前を思って…、と言ってくれた様に、
大丈夫か?と気遣ってくれました。

親が、これが愛だ、と示した様に、友情だ、と示してくれました。

だから、信じますが、
親と同様に、口とは裏腹に、その人は自分を軽く思い、軽く扱います。

それでも、気が付きません。

親と同じだから気が付きません。

受け容れてもらいたくて必死だから、気が付きません。


生きづらさを感じているのなら、

人間関係を今一度見直してみる事は大切です。

真実と嘘が見えて来ます。

先ずは、正面から見据えます。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム






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