可哀想な母を救いたい
生きづらさに気がついて、
生きづらさを手放そうと決意して、
自分と向き合い始めた人が、
「自分が幼少期の真実に気がついたのだから、それで少しでも軽やかになれるなら、親にも気づかせてあげたい、私は親を救いたいんです。」
そう言います。
怒れ、怒れと煽る訳では無いのです。
ただ、この生きづらい人は、未だに感情を心の奥に閉じ込めています。
幼かったその人は、自分の感情を全て封印して、親の感情を優先したのです。
幼なかったその人は余りにも無力で、親が無くては生きられないですし何より、
幼いその人は親が大好きで、親から褒められたくて、いい子だ、と言われたくて、受け容れて欲しくて、
自分の感情なんか放り投げて、親の感情をひたすらに拾い集めたのです。
悲しくて悲しくて涙が零れそうでも、親の顔色を伺い、親が笑う事を望んでいる、と思ったら、とびきりの笑顔を作りました。
悲しい時だけではありません。
怒りたくても、はしゃぎたくても、寂しくても、
親の顔色を伺いました。
そうするうちに、その人は親の感情を拾い上げる事は出来ても、自分の感情を感じ取る事が出来なくなりました。
感情を感じ取る事が出来ないから、自分がどんな人間なのかが分かりません。
自分の人生が他人事の様に思えます。
その人は、生きづらい人になりました。
生まれた時からそうだったので、それが特別変わった事だとは思いませんでしたが、
余りにも虚しくて、余りにも苦しくて、永く苦しんだ末に、自分が抱える生きづらさに気がつきました。
自分と向き合い始めると、色々な事が見えて来ました。
自分の感情を捨てなくてはならなかった事、
悲しくても笑っていた事、
賢くなれと言われ、褒められたくて頑張って100点を取ったのに、褒めてもらえなかった事、
頭を撫ででもらった事、無いなぁ、
抱きしめてもらった事、無かったなぁ、
自分と向き合って、どうして自分の感情を投げ捨てなくてはならなかったのか、
どうして褒めてもらえなかったのか、
どうして頭を撫ででくれなかったのか、
どうして抱きしめてくれなかったのか、
その理由が見えて来ました。
「親も苦しかった、だから、自分に愛情を注げなかった、親は仕方が無かったんだ。」
怒れ、怒れと煽る訳ではありません。
しかし、この人は、自分と向き合って尚、幼い自分の怒り、悲しみ、寂しさに蓋をしています。
親も苦しかったから仕方が無かった、という事にすれば、親は可哀想な親、になります。
可哀想な親を許したら、自分は優しい子供で居られます。
その人は、そういう、落とし所、を見つけたのです。
丸く収まります。
丸く収める為に犠牲になるのは、幼い日のその人、です。
犠牲になって、生きづらさを抱えたのに、見つけた落とし所に収まる事は、また幼い自分を犠牲にして、丸く収める、という事です。
感情は味わい尽くす事によってのみ、消化されます。
今また、幼い頃に投げ捨てた、怒り、悲しみ、寂しさ、といった感情に蓋をしてしまったら、
感情は未消化のまま、心の奥に残り続けます。
怒れと、けしかける訳ではありませんが、
生きづらさを抱えたのは、真実を曲げ、感情を閉じ込めたからです。
犠牲になったのは幼い自分です。
ならば、気がついた今、真実を曲げてはならないし、感情は開放しなくてはならないのです。
親に譲って、再び自分を犠牲にしてはならないのです。
確かに、親が幼い自分にした事を見るのも、感情の封印を解いて対峙するのも、
恐ろしいですし、痛みを伴います。
しかし、生きづらさを手放すならば、真実をしっかりと見据える事が必要です。
譲らず、封印を解いて、怒りまで感じ尽くします。
そうする事でのみ、感情は消化されます。
今また、親への怒りを封印したなら、親は可哀想な親になり、その人は優しい子供で居られますが、
可哀想な親の人生に呑み込まれ、その人は優しい、子供、として、親の人生の中で生きます。
生きづらさを手放して、軽やかに自分の人生を歩むことは出来ません。
生まれてからずっと譲って来ました。
もう十分に、譲りすぎる程譲ったのですから、これからは、自分を優先するのです。
自分で自分の人生の全責任を負うことが、自分の人生を軽やかに歩む唯一の方法です。
だから、自分がどれ程苦しかったか、どれ程悲しかったか、寂しかったか、どれ程怒りに震えたか、余すこと無く味わいます。
親を救いたい、とその人は言いました。
しかし、その人が今、自分で自分の人生の全責任を負う決断をした様に、
親が救われるとしたら、親が気づき、親が決断する時だけ、です。
親の心を救う事が出来るのは、親自身です。
そんな日が来るかも知れないし、来ないかも知れません。
少なくとも、今は、その人は自分を救うタイミングを迎え、
親はまだ、そのタイミングにはありません。
生きづらいその人は、自分として、自分の人生を生きる為に、自分で決断するのです。
自分の人生の全責任を負います。
軽やかに自分の人生を歩みます。
親は親、
自分は自分、です。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。
伴走者ノゾム
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