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先生だって模索中

今年の、わりと長かった夏休みにnoteに出会いました。

今まで、SNSは見る読む専門で、自分から発信することはためらっていた自分がいます。

職業柄、うっかり発言したことが不祥事に繋がりやすいというのもあったけれど、本当は自分を表現するのが怖かっただけかもしれません。

でも、このnoteの、直接話すわけではないけれど、なんとなく皆さんと繋がっている感じ。それでいて、どこかで誰かがそっと共感してくれたり、魅力的な生き方にたくさん触れられたりするところ、とっても優しくて、温かい感じが好きです。

誰かを通しての私

最初は、昔の、めちゃくちゃ面白かったバックパッカーの旅のことなど書いて、現実逃避しようと思いました。

それはそれで楽しかったです。

昔では考えられなかったけど、googleearthで、現在の様子を映像で見直して懐かしんだり驚いたり。

でも、もう少し、誰かのために、少しでも、誰かの心が軽くなるようなことも書けたらと思って、息子の不登校の経験を綴ってみました。

誰かが同じように感じてくださったことが嬉しいし、スキしてくださった方のnoteに訪問すると、また新しい発見があり、たくさんの刺激をいただいています。

世の中にはこんなにいろんな思いが溢れているんだなあと、なんだか本当に生きていることが愛おしく感じられたりもします。

でも私、気付けば、息子のことや娘のことばかり書いていて、自分のことを書いていませんでした。

そう、誰かを通しての自分。

自己紹介やニックネームに、何者かを紹介するとき、小学校の教員と書きながら、実はそのことに突っ込んで書いていない、否、書けていないのです。

先生としての私

小学校の教員を、もうベテランと言わざるを得ないくらい長くやっています。

きっと、こんな風に学級経営しています、こんなことをすると子どもたちがこう変わります、ということを書いていくべきなのかもしれません。

私にも、私なりに大切にしていることや、それなりの長年の経験からお話できることもあるでしょう。

でも、今、かつてなく迷っています。


教師として、この先も生きていくの?

そう、迷っています。
私の残りの人生、教師を続けていくかどうか。

そう、自分の話となると、ここを避けて通れないので、見て見ぬふりをしていました…

でも、自分の中では、何度呟いたことか。

でも、これをどうしてもやりたいから辞めたいわけでもなく、

今、何か大きなトラブルを抱えているわけでもなく、

むしろ今は毎日穏やかで、子どもたちとは楽しくやれているなあと思います。

でも、子どもたちが帰ると、ふっと考えてしまう。

一旦、楽になりたい


正直、それが本音です。

20数年間、ずっと365日、学校のこと、子どものこと、保護者のことが頭から離れない毎日。

あの仕事をしておかないと、後で苦しむ、平日の帰りが遅くなると思って、休日出勤してしまう。

夏休みも、ダラダラ過ごすことに罪悪感を感じてしまう。

もっと教材研究しなきゃ、夏休み明けの子どもたちのために、もっと成長できるような手立てをしよう、もっと子どもたちどうし、いい関係が築けるようにああしよう、こうしよう…


今年は問題が起きない、という意味で、昨年と180度違って、平和です。

それがよいか悪いかではなく、明らかに私自身が穏やかでいられるので、子どもたちともいつも笑い合って過ごせているなあと、ありがたく感じています。


昨年は、なんとか崩壊させずに乗り切ったけれど、自分が崩壊寸前でした。

低学年のかわいい子どもたちでした。

元気だし、活気があって、ノリもよくって、この1年、楽しいことができそうって思いました。

が、とにかく個性が豊か。

一人ひとりに寄り添いたいと思えば思うほど、自分を精一杯表現してくる彼ら。

子どもたちは自分を認めて欲しいと、ありとあらゆるメッセージを出してきます。

教室の中で、45分の授業におさまらない子どもたち。
彼らが悪いんじゃない。

でも、学習を進めなきゃ、あれもやらなきゃ、と思っていると、ついその場をおさめるために、威圧的な言い方になっている自分。

本当に、毎日自分が嫌でした。

両手で収まらないくらいの個別に対応が必要な子どもたちと、その周りで必死に、無意識に私を支えようとしてくれる子どもたち。

どちらにも申し訳ない気持ち。
でも、1人じゃ無理ー!!って、何度も心の中で叫びました。

でも、ベテランという変なプライドと、異動したばかりで本音を言える同僚もいない中で、孤軍奮闘でした。

長年やっていると、色々な子を任されるようになったり、難しい高学年の担当になったりするようになります。

でも、ベテランだろうがなんだろうが、辛いものは辛い。

また来年もこんなことが続くのかなって思うと、やっぱり、しんどい気持ちになります。

息子の不登校を経験して、小中学生の居場所の選択肢が少な過ぎるという違和感を痛感するようにもなりました。

もっといろんな子に対応する公教育の在り方が必要です。

自分の仕事への違和感は日毎に増していきました。


それでも教師を続けているわけ

それでも、こうして今年も、毎日教室に通っています。

辞める決意がつかないだけではない理由が、やっぱりあるんだと思います。

考えていることは、とにかく笑顔でいること、子どもたちが安心して通ってきてくれること。

子ども自身が伸びようとすることを支えていくこと。学ぶことが楽しいと思えること。

みんな大切な存在で、挨拶を返されると気持ちがいいよね、話を聞いて貰えると嬉しいよねってこと。

今はコロナでできないこともたくさんあるけれど、人は学び合って、助け合って生きていけること、人と関わることは楽しいこともあるし、苦手な人もいてもいい、でも、いい関係は築こうとすればできるよ、っていうこと。

毎日通う、通わなくてはならない学校が、少しでも楽しいところでありますように。

そして、どうしても辛い時は、休んでもいいよ、話が出来たら、先生にも話してみてね。

現状、小学生には選択肢が少なくて、学校に合う合わないに関わらず、通わなければならないのなら、少しでも安心して通える教室をつくりたい。

そう思って、明日も教室に向かいます。

でも、この先、学校ではない場所に可能性を見出すかもしれない。

私の模索は、まだまだ続きそうです。






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