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未来からきた手品少女

8月23日 晴

博物館資料保存とか、資料保存論関係の本読んだけど、2003年のも2017年のも2019年のも大して悩みは変わってないな。デジタルアーカイブ化する意義はどうのこうのとか、人材不足だとか、収取場所がないとか、ずーーーとそんなことばっかり書いてある。
 手品界もそうだ。何年もいろんな人が、パフォーマンスできる場がほしいとか、学校があったらいいなとか、図書資料の保存をどうするかとか、そんなことを思いつつ「仕方ないよ」とか「われわれの時代は無理だった」とかそんなことばっかり言ってどんどんみんな死んでいく。いろんな老手品師に話を聞いたが、みんなそこに希望を持っていない気がした。かなしい。あなたが集めた部屋いっぱいのコレクションはどうするおつもりなんですか?と思う。こんなに貴重で、もうつくられていない道具や、なんども袖を通した衣装。死んだら特別な思い出も一緒になくなるんですか、と思う。この出来事でさえ、きっと私が死んだら消えていくのだろう。そんなことが何年も何年も繰り返されている。結局のところ、私個人では無力だ。


もし今の自分が明治時代にタイムスリップしたと仮定してほしい。そこで帰天斎正一と出会えたとする。もしそうなら私は彼と写真を撮り、家に行き、たくさんの手品道具を見せてもらうだろう。お弟子さんたちに話を聞き、そこでの出来事を細かく記録するだろう。そして、使っている道具を保存するようにお願いするだろう。そのほか、死んだら誰に託すかまで取り決めるだろう。だって、当時の手品道具なんてほぼ現存しないんだから。絵や文章でしかそういう道具があったってことを証明できないんだから。手法は継承されてるけど、道具は継承されないのね。どうして誰も残そうとしないのかしら…。不思議だ。
さて現代に話を戻そう。未来からやって来たと名乗る手品好きの女の子が目の前に現れれ「未来では令和初期の手品道具が残っていない」と言う。さてわれわれは「手品の保存なんてできなくて仕方がない」なんてそんなことを言ってられるだろうか。
今あるものは今のうちに残そうよ。捨てるのはいつの時代でもできるのだから。

・・・なーんて考える23時半でした。

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