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僕は逆の世界に居るのか…。

生きる道を探して
マイノリティーの世界に飛び込んだ僕ですが…。


「僕がやることは 他の人がやろうとしない」という感じで、
根拠の無い悪口や 無視とか 仲間外れという
嫌な仕打ちをたくさん受けてきました。


集団生活ではひたすら
 否定されたり 誤解されたり 無視されたりして、
個性を主張する僕を保証してくれない返事ばかり受け取っていて、
心はいつも半殺しの状態でした。


特にこの1年は、
"Aromantic""ジェンダーフリー" という風に、

「自分が伝えたいことに、流行りなんか関係ない!」という思いで 気楽に、ありのままに表現しようと心がけてきましたが、
それぞれの要素の理解者が近くにいないと分かったりもして、心はひたすら傷ついてばかり居ます。

その傷跡は、日常生活で自然治癒を促しても、
きれいに消えたことがありません。


いつになっても共感してもらえず
心身を傷つけられる現実ばかり経験してきたからこそ、
大多数の考え方に対応できない感情が出てきてしまう。


「世間との常識・非常識がひっくり返っているようにしか見えない毎日が僕の人生なのか?」と感じる場面がたくさんあります。

「共感をもらいたければ黒く塗りつぶせ」だと?


この社会は、大多数の共感(いいね)を求めるあまりに、
個々人の人間らしさをなくしているように思えてなりません。

そんな僕は言わば、
どれだけ歌っても称賛されない夜の街のミュージシャンです。

歌声はかすかにでも聞こえているはずなのに、
何の反応も示さずに立ち去っていく姿ばかり見て、

「感想を表す余裕も無い社会に、存在していないようにたたずむ僕は、
黒い影や景色に同化しているようにしか見えないのか…」
と、
ポケットに手を突っ込みながらも 中指を突き立てたい気分になったりします。


思い出したくない出来事を「黒歴史」と言って話を勝手に終わらせるのが流行っているように、
「僕のような存在は黒塗りされるべき」という思いばかり共感される世界が、どうしても僕は好きになれません。

(Adoの『うっせぇわ』のような曲ばかり歌っているからかな…。)



やみ(病み・闇)曲を聴いて心が躍る僕は…。


「レガシー」の記事の通り、経済成長が停滞し うまくいかなくて当然な社会しか触れてこなかった人生だからか、

現実的でネガティブな歌詞ばかり共感できて好きになる傾向が年々強くなっています。


いわゆる「やみ曲(病み曲・闇曲)」というジャンルで、

「努力したからといって 何でもかんでも理想的にならないのは当たり前だ」とか、

「収入や夢への望みがなくなったら 死にたくなるのも当然だ」という内容にひたすら共感してしまうんです。


そんな僕が 最近好きなやみ曲を紹介します。

まずは、Adoの『うっせぇわ』です。

今の社会にうまく溶け込めず 反抗する言葉たちが並んでいる歌詞ですが、
初めて聴いた時、自然と体がウキウキしました。
その歌詞を一通り見て、心から笑いがあふれてくる僕がいました。

お笑い番組のように 顔だけで表す笑いではなく、
実体験も絡んで全身が喜んでいる笑い方だったのには驚きました。
やっぱり僕は、大多数の考えに沿えない人間なんだと分かった瞬間でもありました。


それから、サザンオールスターズの『闘う戦士(もの)たちへ愛を込めて』です。

歌詞といい MVで描かれている世界といい、
僕がこの社会で味わってきたことが詰まっています。


そして、Gacharic Spin の『MindSet』です。

歌詞だけでなく、重低音が響き続ける伴奏にも心を奪われました。



苦しみを通った先にある無邪気な笑顔を知っているか?


どれだけ努力しても満足できない経験ばかりして苦しんできた僕は、
根拠のないポジティブな理想を掲げるのが馬鹿馬鹿しく思うようになっただけでなく、

惨めな経験に接する度に、
「悲しい→怒り→笑い」という順番で
消化していくのが分かってきました。


最初は、「ああ、うまくいかなかったなぁ…」と悲しく沈んだ気持ちになります。

短期間にそういった経験が重なってしまうと、「なんで自分ばかりに不幸が降りかかってくるの?!」と怒りの気持ちが湧いてくるようになります。

そして この状況が長期的に続くと、バッドエンドの展開に慣れてしまい、
「僕はひたすら はずれくじを引く運命なんだな!」と笑い飛ばす
行動に行き着く。

という具合です。


その上僕は、
「死にたい」という言葉を聞くと、心が安らぐと同時に 笑顔になる傾向があることに気づきました。

中学時代に自殺未遂の場面を不意に見て、
「これが現実なんだ…!」という思いになり 地に足が着く感覚を味わった経験がずっと引っかかっていたのですが、

僕と同じ気持ちを抱えてきた人が見つかった嬉しさが溢れてくるようです。

最近も、前向きに気持ち良くなるような文字や絵をひたすら要求される広告業に勤めていた同年代の友達が、
密かに「ポップな表現をするのはもう嫌だ」と思ったことがあるのを聞いて 緊張がほぐれたのを覚えています。


どんな理由があれど、ありのままの自分として存在が認められていない生活環境ならば、「こんな風に生き続けていていいのかな?」と思い始めるのは当たり前で、
それが「死にたい」に発展するのは何度も経験してきました。




以上が 僕の日常であり、常識です。
誰か 共感してくれる方 いませんか?

オーノ

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