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「機能不全」な社会で育った僕は…②

<①の続き>


社会も「機能不全」に陥っている


"コロナ禍"と呼ばれる状態がいつ終わるか誰にも分からない中、

「この社会が壊れていっている」と発言する人も出てきました。


確かに 今まで通りに営業できる業種は少ないために、
失業させられる人が一気に増えました。


失業者の中には当然ながら、
家族など 他の誰かを支えるために働いてきた人もいるわけで、


その収入に頼って生きてきた人たちは、
ありのままに生活するための余裕を突然失ってしまうわけで、


思い描いてきた未来図が叶えられなくなって、
家庭を取り巻く雰囲気も変わってしまうわけで…。


社会が「機能不全」になって、その影響を受けた家庭も「機能不全」に陥った典型例と言えるでしょう。


そういう風に考えると、
"バブル崩壊"や"リーマンショック"に関しても同じことが言えますし、


天変地異による影響も混ざって、
"平成不況"と呼ばれる状況が何十年も続いてしまいました。


いわゆる「失われた20年」、「失われた30年」です。


だから、社会が「機能不全」に陥っているのは、
今に始まったことではないように思うんです。



不況の悪循環から抜け出せずに20年以上経っている、ということは、

不況の社会に生まれ、好景気を知らないまま大人になった世代が存在する、ということでもあります。



僕は1994年生まれですが、
バブルはとっくに崩壊し、就職したくてもできない状況が生まれたりして
庶民の実生活にもその影響が及んでいた時代です。


その翌年には阪神・淡路大震災が起きたり、
テロと呼ばれる事件が何度も起きたりと、
社会全体が混乱し 見えない恐怖に覆われた時代ともいえます。


インターネットも今のように普及していなかったので、未来を正しく予測することもできない時代でした。
(「世紀末に人類が滅亡する」のを信じてしまうのも不思議ではないですね。)



冷静さを保つことすらも大変な時代に僕は生まれ育った、と言っても、
親世代が直面した困難にばかり目が向けられがちのように感じます。


時代の波に怯えながら生きてきた大人を見て成長した僕たちの思いに、
どれだけ寄り添ってくれているのか 疑問に思い続けています。



僕らの世代は、子どもの頃からひたすら節約するように言われてきました。
電気や水といった資源に関しても、お金に関しても、無駄に使わないように口酸っぱく言われてきました。


無駄を嫌う癖がついてしまった我々は、お金をなるべく使わないで消費できるようなものごとを好むようになってしまいました。


そうすると、企業側の儲けが思うように出ないために、いつになっても雇用環境を良くする余裕が生まれないわけで、

競争原理も相まって、たくさんの人が、充分な給料をもらえないのが当たり前になってしまっています。



見逃しがちなのが悔しいくらいに、感情面にも色々と影響が出てきます。


全身全霊頑張っても、期待したor期待された結果が出ない上に、
必要最低限のお金すらもらえない状況では、

生きるメリットが湧かなくなっていくのは当然です。


正社員で働いていた時でさえ、
「こんな生活しかできない自分が、生きていていいのかな?」
「この気持ちが変わらないんだったら、死んだ方がましかもしれない」
という言葉が、頭の中に何度もよぎりました。



しかし、
そういった表現を 社会はNGワードと見なして、
人格ごと排除しようとする傾向が今もあります。


「死にたい」と本気で思っている人が、
ポップでポジティブな行動を呼びかける立場にいたりします。


本心と実際に行動しているベクトルが真逆とも言えるわけで、
それに気づいた僕は、笑いが止まらなくなってしまいました。



また、後ろ向きな本心を無にして「転がる石の気持ちになろう」だとか「なるようになるさ」の意識で取り組む姿も、僕はたくさん目にしてきました。


でも、後先をちゃんと考えずにそういった覚悟をしてしまったばかりに、心と体が一致しない環境から離れられなくなることもあり得るこの世の中です。


人や仕事との健全な関係が破綻していてもなお、「一生続けると決めたから…」だとか「生きるためにはこれを続けるしかないんだ」と言う人には、

「誰も得しないことを続けて、何になるの?」といった疑念と、

「その悪影響をもろに受ける人たちのことを、今からでもいいからちゃんと考えてくれ (まあ、無理だろうけど)」という思いをぶつけたくなります。



「機能不全」な若者たちの本音


どんな理由があるにしろ、本心と体の動きが一致していない人は、
ワークライフバランスが整っていない
と言われる時代になりました。


しかし、そういった状況に居ながらも、
"本心を無にしていないと命に関わる"という気持ちを引きずって、

自分自身の本当の気持ちにも、他の人に対しても、ひいては社会に対しても関心が向けられなくなってしまっているように思えてなりません。



正社員も経験してきた同年代の男友達が何人かいるのですが、
僕も含め 共感している部分がありました。


「結婚(を経験)した人の姿を見て 「あぁ、自分もそうならなくちゃな」と思うようになったんだよね。」

「最近になってそう思うようになってきたんだけど、プライベートを節制していても 思うようにお金が貯まっていかないんだよなぁ…。」

「企業や社会全体からの金銭的・精神的なサービスを受け取ったとしても 結婚・子育てに向けた準備が全て整う雰囲気にはならなそうなんだよね…。」


表面的には生活の基盤が築かれていて、これからの社会を支える覚悟が備わっているように見える人でさえ、
社会が成長していくために必要な行動に対しても 受け身になってしまっているわけです。


こういう意思や行動傾向が続くなら、社会への貢献なんて考えたくもない
という気持ちが表れているようにも感じました。



それから、広告業を経験した友達は、

前向きに and 気持ち良くさせてくれるような文字や絵面をひたすら要求される職場で、
密かに「ポジティブでポップな表現をするのは嫌い」になった話をしてくれました。


同じテーマでも、要求通りに作った作品の世界と 自分自身が描きたい世界観が、あまりにもかけ離れていると感じたそうです。



"平成不況"の最中に生まれ育った者として申し上げます。
経験したことのない好景気を、どうイメージすればいいのでしょうか?


どんなに頑張っても好景気は巡ってこないような結果ばかり見させられているのに、
今日も "今度こそ好景気がやってくるような画を描け" と求められて、ジレンマと戦いながら一日があっという間に過ぎていく。


理想と現実がかけ離れている分 とんでもないストレスとなってのしかかってくるこの気持ち、分かっていただけているでしょうか?


実際、スマホやテレビなど様々な媒体で宣伝を見させてもらっていますが、

どれもありきたりで、現実を一切反映していないような画で、
見ているこっちが嫌になってきます。


ちなみに、ナイキさんの、炎上騒ぎになったあのCMが、最近の中では一番好きです。笑



さらに、こんな言葉も出てきました。


「世の中がこんなひどい状況の中、
こんな自分を正社員で雇い続けてくれてありがたいよ。」


生活の安定と引き換えに、
奴隷として働く覚悟を持っている人の言葉です。


学生時代は自分に正直に表現する人であったとしても、
社会人になり、自らの努力がきちんと反映されていないような経験をしていく内に、

"こんな自分では社会の一員として認めてくれない" と決めつけたくなってしまう感覚、 僕も経験しました。


やがて、
"この相手に逆らったら 自分の命まで危うくなる"
という考えにたどり着いてしまいます。


そうすると、
逆らえない雰囲気の人が全員 怖い親のように見えてくるだけでなく、

自分はその子どもとして、
その親に対して "嫌われる勇気"を捨てて、
褒められるようなことしかしない生き方を選ぶ、

という思考回路ができあがってしまうんです。


物事の善悪について考える余裕がないまま
親の意見に何でもついていく形になるので、

背負わなくていい責任を引きずりつつ、
時には無慈悲に引きずられもする毎日を送るわけです。


集団生活では、こういった立場に据えられる人が必ず出てくるわけですが、

僕は気づかない内に、そういう役割を担ってきたことが何度もあると断言できます。


生まれてからの二十数年間、家庭・学校・職場で、
無意識の内に心も体も無駄に疲れさせ、
おまけに 治りにくい傷まで作ってしまいました。



このように、
本心を伴った表現をすると 安全・安心で居られないと理解した上で、

自分の感情を殺してまで 「優等生」として長い物に巻かれようとしたり、
わざと反抗的な態度をとる「問題児」になったり、
「空気」のようにたたずんで 積極的な行動をひたすら避けたりする傾向。


いずれも、
「機能不全家庭の子ども=アダルトチルドレン」の典型的な行動傾向です。


家族とは比べものにならない規模で人間が関わる社会の場でも、
「機能不全」の環境が生まれてしまう、ということなんです。


言うなれば、集団生活をしていれば、
いつでもどこでも「機能不全」になり得る ということです。



仕事場以外のプライベートな環境でも同じことが言えます。
ニックネームで 顔を出さずにコミュニケーションする時も同様です。


学校や職場から帰ってきた後のLINEでこじれた人間関係が、翌日の現実世界に反映されている、なんてことも珍しくはなくなりました。


"嫌なことをされた"として 不特定多数に秘密を勝手にばらすいじめも、
子ども・大人関係なく 色々な環境で起きているようです。


コミュニケーションできる環境が増えたのに、親友の作り方が とてつもなく難しくなったと感じるのは僕だけでしょうか。


言いたいことを言っても安心・安全をずっと与えてくれる場所や相手を
作らない方がいいという考えに傾いてしまう想像もできてしまうんです。


どんな年齢になっても 自分の悩みを安心・安全に吐き出す場所が現実世界に作れないために、
仮想空間に逃げ込もうとする人の気持ちが ようやく分かりました。



健全な心身を持っているはずの若者たちが、
社会を支えようという気持ちにならない声を聞いて、

この社会は確実に壊れていっているんだ、と思うようになりました。



余談ですが、

今までずっと 現実逃避の問題に対しては軽蔑の気持ちを抱いてきました。
この場を借りて謝ります。

ごめんなさい。

<③へ続く>

オーノ

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