見出し画像

分からないことが、何よりも怖い。


つい先日、変な夢を見ました。



頼んだ覚えのない誕生日プレゼントを持ってきた人たち全員に怒りをぶちまけている自分。


その姿を見て笑っている人に対しても、暴力を伴ってどなりつけている自分。


頭の中のリミッターが外れて、心置きなく暴れている自分。

………

………

ここで目が覚めました。



飛び起きた時には枕が湿るほど 汗をかいていました。



覚えている内に、とその悪夢を思い返してみたのですが、



これ、現実の世界でもやりかねないぞ、
という想像ができてしまいました。



そういえば こういった思い、学生時代にも味わったことがあるような…。

今までなかなか話したことも無いし、
言葉に書き留めたことも無かったなぁ…。


でも 今ならここで表現できる、と思って書きました。



「分からないことが怖い」とは


僕は2種類の発達障害(自閉症スペクトラム・ADHD)を持っていると診断されています。


本来なら、Wikipedia や医療関係のサイトを引用して理解を深めてくれればいいのですが…


正直言って、難しい言葉ばかりで分かりようがない!
という結論に至りました。

(頭の回転が速い僕でも理解するのに苦しみました…。)


なので 今回、僕なりの解釈で体験談と共につづっていこうと思います。



まず、「分からないこと」というのは、色々な場面で出てくるんです。


例1)今 何をやるべきか「理解できていない状態」


例2)仕事の内容や順番が短時間に何度も変わるあまりに、
「前もって準備してきた意味が薄れる or なくなってしまう心境」


例3)天気も含め 「先行きが見通せないこと」


例4)相手の反応があいまいで、「ちゃんと理解して行動してくれるのか不安になる心境」


例5)「想定外の出来事」や「自ら経験したことが無いこと」



こんな風に言い換えてみると、
想像できる情景が 一つは出てきたのではないでしょうか。



それから、どのように「怖い」と感じるのか については、

雪道でのホワイトアウトのように、目の前が全面真っ白な状態
or
広大な砂漠で 視界がはっきりしない状態

と言った方が分かりやすいんじゃないかと思います。


頼りにできる物や人が見えず、
前に進むことさえためらいかねない心境になりやすい
、ということです。


誰に叫べばいいか、何と叫べばいいか、も分からなくなって、
仕事中なのに一人立ちすくんでしまったことも何度もありました。


「これが毎日のように続くかもしれない」と思えてしまう環境では、
集団生活での生命力が 限りなくゼロに近づいている、とも言えるでしょう。



これなら一人でできる、と思っても…


「一人でだったら何でもできそうだね」と
見た目で言われることが多かった僕ですが、


色々考えてみると、
「いや、その考え方は間違ってる!」と最近になって気付くようになりました。


例えば、遠出するとき。


移動中や目的地で急に体調が悪くなり 自力で動けなくなったとしたら……。


助けてくれる人が現れなかったら、ずっとそこで倒れこんだままです。


運良く病院に運ばれたとしても、どのくらいの出費になるか分かりません。
(特に生活保護で居る内は、居住区以外の病院では一旦 自費(10割負担)で支払わないといけません。)


自分の足で帰らないといけないので、
お酒を飲んで酔っぱらうというような はめを外すようなこともできません。



それから、車の運転。

免許を持っていたら誰でも操縦できるわけですが、


レンタカーだったとしてもその責任を一人で背負わないといけないわけです。


もし 予測すらしていなかったことに遭遇したら…。


自分のせいじゃないにしても事故に巻き込まれることがあるし、


慎重に運転するあまりに "あおり運転" を起こさせる可能性もある。


途中で車が壊れてしまったら色んなところに迷惑をかける と想像すれば、
車を使わないで移動する方法を選ぶしかない、という考え方になってしまうわけです。



外食に関しても、一人で新しい物に挑戦するのはとても荷が重いです。


想像と違う物だったら、体がどう反応するか分からないからです。


そのためにわざわざ胃薬などを準備しておくのも嫌な気持ちになるし、


味覚の感じ方はみんな同じじゃないからこそ、
前評判を信じきれない不安のもと食べるのは、耐え難いつらさになります。



ドッキリやサプライズはいらない!


「分からない」状況の最たるものが、ドッキリとかサプライズと言われるものです。


本当のことを事前に伝えられることがないままタネ明かしされる儀式ですが、


どんな内容であったとしても、
本当のことを言えない or 教えてくれない空気に不安がかさんでいき、


その不信感がどこかで爆発して怒りだし、タネ明かしされた後も機嫌が直らなくなりそうで 怖くてたまらないんです。



島崎遥香さんがテレビなどでそう言っていたのを見て共感したのですが、
誕生日などのお祝い事は、日時も場所も 前もって正直に言ってほしいし、
プレゼントに関しては100%正確じゃないにしても、ヒントでいいので教えてほしいです。


サプライズを仕掛けなくてもうれしい気持ちになれます。
不安要素が無ければなおさらです。



不安が積み重なると現れるもの


日常にあふれている「分からない」不安。
一瞬 頭をよぎるだけでも相当なストレスになります。


実際 僕は、こういう不安と戦いながら生活したことが何度かあります。

しかし、今考えてみれば、あの戦いは 負け戦でした。

いずれの戦も、やがて自分から撤退する状況になってしまいました。


先ほど述べた不安が解消できずに居続けたのが原因で、
心だけでなく体にも影響が出てきてしまったのです。



その代表例を載せておきます。


・皮膚の調子が悪くなり、飲み薬や塗り薬を使わないと 毎日かゆみや痛みに悩まされる。


・飲み会に参加した後に、自分だけ軟便や吐き気に襲われる。(「過敏性腸症候群」)


下痢止めや吐き気止めの薬は応急措置にしかならず、
不安がもとから消えるような心境にはなりません。


そんな不安を抱えたまま仕事を続けていくと、
処方されるお薬の種類も使う頻度も増えていくばかり。
病院を訪ねる回数も場所も増えていくことでしょう。

当然 自ら稼いだ収入の中から払うので、自由に使えるお金も時間も減ります。


自然に治らないものだから病院へ行き、お薬を使っているんです。
病院なんて行きたくて行ってるわけではありません。


傷ついた体を風呂上がりに手入れしながら、
「僕は何のために仕事しているんだろう…」と何度つぶやいたことか。


不安が消えないまま一日が終わり、
その不安がなくなる望みが無いまま次の一日が始まる……


正社員として働いていた間 ずっと続きました。


そういう風に過ごさなければ自立した生活が得られないのなら、
この世は地獄だな、と素直に思いました。



正社員として入社した直後の研修で、
生まれ変わる気分にならないと この生活はできないだろう、と感じたことがありました。

その予感、見事に当たってしまいました。



カウンセラーとの会話で分かったこと


こういった悩みを理解してくれる相手が職場にいなかったので、
自費だと承知で 精神科のカウンセラーに話しに行っていました。


僕自身の許可がない限り、話したことはずっと秘密にしてくれる相手だと分かっているから、
めちゃくちゃな言葉、めちゃくちゃな感情を混ぜながら、自由気ままにしゃべることができました。


カウンセラーと話した直後はいつも 気持ちが楽になりました。
他の相手ではこんな気持ちにはなったことがないと はっきり言えてしまうほどでした。


正社員の仕事を辞めてからも、定期的にカウンセラーのもとへ通い続けました。


どんなテーマでも時間がある限り僕の話を聴いてくれると分かったから、
事前にしゃべる内容を用意しておいて話し始めることもよくありました。


目的を明確にして話せたからこそ解決に結びついたことがたくさんありました。


僕の人生のどん底を救ってくれたのはカウンセラーだとはっきり言えます。

今どこで勤められているか分かりませんが、僕に携わってくれたカウンセラーさんたちに この場で感謝を表現しておきます。

カウンセラーに通う頻度は少なくなりましたが、今でもカウンセラーとの会話を思い出しながら暮らしています。



つまり僕には、
自分にしか分かりようのないことも聴いてくれて、話した内容を必ず秘密にし 守り続けてくれる相手が必要なんだと分かりました。

ただ一方で、そういったルールを守らないと仕事として成立しない意識がカウンセラーにあるからこそ 僕との信頼関係が作れたんだと思ったりもしてます。

カウンセラーのような人が街中にあふれていれば、わざわざ病院に行く必要はない、とも言えます。

どんな時代になっても、不安は抱えるのではなく分かち合うものであってほしい、と心から願っています。


この気持ち、皆さんは分かっていただけますでしょうか?

オーノ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?