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関西弁が認知されているのをいいことに、僕らは関西弁で書く

こちら↓ ↓ 「老婆の日常茶飯事」さんの記事に触発され、1記事書かせて頂く。こういうのをエッセイっていうんだな… 

僕ら関西人はもう、その世界観を体現している。
関西人ってもう、それはそれで特別だ。
人間の優劣の話ではない事だけお断りしておく。

事実、
メディアでの取り上げられ方、
関西弁芸能人・著名人の存在、
そもそも「"関西"人」とかいう言い方、
あらゆる関西にまつわる表現は、関西が優れているとかいうことではなくて、関西を十把一絡じっぱひとからげにすることで扱いやすくしている。

"関西"というステレオタイプを体現している。
(つまり冒頭の「世界観」はこの文脈で「ステレオタイプ」と言い換えられる)

扱いやすさ、実際の関西っぽさから生まれる面白さ、そして関西人以外が関西っぽさをイジることによる関西人以外の人たちへの笑いの提供、などなど。
"関西"というステレオタイプはそういったメリットを含んでいる。

少し本線から外れるが、「大阪人」はその関西のエッセンスが凝縮された最たるものじゃないかと考えている。
よく関西弁と大阪弁は混同され、他の地方の人のみならず、関西圏の住人にも(最早もはやめんどくささもあって)「関西」と「大阪」が同義で扱われることがある。

関西圏の人間同士で対談する時は地元アイデンティティーを存分にぶつけ合うが、他の地方の人たちとグループで対峙する時、関西圏の人間はたとえ大阪人じゃなかろう(和歌山人だろうと)と、些末なことには目を向けず「大阪人」として一致団結することがある。その方が自分たちにとっても利があるからだ。
(せっかく「大阪」としておもしろくみられてる時に敢えて自我を主張するのは得策ではない、という計算が0.1秒ぐらいで働く)

一方で「近畿人」と言わない。近畿に長らく住む僕もなぜか分からない。
全国のリレー中継で「続いて関西のニュースです」と言ったかと思えば、その後に「近畿地方の明日のお天気です」と言い分けていることがある。
天気予報で、三重や徳島を含むかとか、福井県嶺南部を含むかとか、
その辺で「近畿」「関西」の使い分けはあるのかも知れないけど。
でもやっぱり、本題の「ステレオタイプとして扱われているか」の話で言うと、「近畿」はなんか弱い。インパクトでは断然「関西」「大阪」が強い。




前置きが長くなった。
ここまでは「関西」に類する表現である「大阪」「近畿」について触れたが、こっから先は「関西」に統一して記載する。

関西弁の浸透は、テレビにおける吉本興業の影響が大きいと言われて久しい。そしてテレビが吉本の影響を大きく受けて以降、具体的には平成以降の僕らの時代の人間、Y世代は、どこに行っても何をしてても、
相手が誰であろうとお構いなしに関西弁で喋る。

穿うがった見かたも甚だしい。そうじゃない人が多数であることを重ねてお断りしておく。標準語と母語としての関西弁とを、TPOで使い分ける人が大半だと思う。

しかし事実として、肌感として、
他の地方の人に比べると、
相対的に、

関西弁は大手を振って大通りのど真ん中をTシャツと短パンとビーチサンダルビーサン闊歩かっぽしている、そんなイメージだ。

恥ずかしは正直あんまりない。
認知されているからこそできることなのだろうと思う。

そして喋るだけじゃない。
関西弁を母語とする関西弁話者は、
往々にして関西弁で書く。

これはすごいことだ。と思う。

書いちゃっていいの?

喋るならニュアンスで伝わる。
テレビで耳慣れてる他の地方の人たちにもニュアンスで理解してもらえる。

しかし書きことばはそうはいかない。

関西弁を結構ちゃんと知らないと、字面で見て伝わらない時がある。

その辺りのバリアーを乗り越えて、
普遍的で温かい形に、
プロの技で仕上げられているのが岸田奈美さんなんだなと思う。
すごく心地いい。プロ。

関西弁は、"関西"というステレオタイプに乗っかって日本中で認知されている(僕調べ)。
そして関西弁を母語とする関西弁話者は、そのステレオタイプに全乗っかりし、大手を振って関西弁を喋る。
さらに、関西弁話者である僕は、関西弁が認知されているのをいいことにnoteで関西弁を書く。

書いて関西弁で伝えるのは難しい。
伝わらない時は、恐らく関西弁が投げっぱなしジャーマンのごとく文中に放り出されているんだと思う。

投げっぱなしジャーマン

認知されているのをいいことに、頭に浮かんだ関西弁を外部(関西人以外)のフィルターを通さずそのまま書きなぐる。すると投げっぱなしジャーマンになる。"文"中分解。結果、伝わらない。

岸田奈美さんがどう考えて普段文章を綴られているのかわからないけど、関西弁"書きっぱなし"ジャーマンではなく、恐らくだいぶ読み手に寄せたやさしい関西弁(岸田さんはたぶん神戸弁)に変換されているのではないかと想像する。


そうは言っても、たぶん僕はこれからも、関西弁が認知されているのをいいことに関西弁で書き続ける。
もう少し僕なりの伝わる関西弁を模索していきたい。


「老婆の日常茶飯事」さん
岸田奈美さん
素敵な題材をインスパイアしてくださり、ありがとうございました。


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