見出し画像

えべっさんと、あめちゃんと。

今年は1月10日まで大阪の実家に帰省していたので、
関東へ戻る日の新大阪駅構内には、
えべっさんの笹や熊手を持つスーツ姿の人がちらほらいた。

関東に住む方にはあまりなじみがないかもしれないけれど、
関西をはじめとする西の地域には「十日戎」という、
七福神の一人である恵比寿さま(通称:えべっさん)に
商売繁盛をお祈りするお祭りがある。

毎年、まだ少しお正月気分が抜けきれない1月10日前後。
えべっさんに縁のある神社を中心にお祭りがひらかれ、
たくさんの商売人が本年の商売繁盛を願って参拝する。

十日戎をまったく知らないという人でも、
「福男」になるべく、早朝、神社の開門と共に
大勢の男性が本殿を目指して駆け出し、
一番乗りを目指す様子をニュースで見たことがある人は
多いのではないだろうか。
実はあれも、戎祭りに関する伝統行事である。
関東圏では商売繁盛を願う「酉の市」があるけれど、
それに近しい雰囲気があると思う。


私は、十日戎の賑わいが大好きだ。
特に馴染みがあるのが、
大阪ミナミの繁華街の先にある「今宮戎」である。

ピーヒャララ、ドンドンドンという、
笛や太鼓の軽快な音楽と共に
「しょ〜ばいはんじょう、ささもってこい」という
音頭が永遠と流れ続ける。
たこ焼き、りんご飴、わたあめ、フランクフルト、
焼きそば、くじ引き、射的……
神社周辺にはとても見尽くせないほどたくさんの出店が立ち並び、
地域一帯大賑わいだ。
ガヤガヤガヤと、
たくさんの人がおしゃべりしながら笑顔で参拝へ向かう。


ささとは、福笹のことだ。
十日戎にお参りする人たちは皆、
商売繁盛を願って福笹や熊手を購入し、
お札や鯛、小判、米俵、お酒などといった縁起物の飾りを付け加えていく。
笹と飾りがセットで販売されているものも多いけれど、
そこからさらに自分で選んだ飾りを加えたりもできて、
景気の良い人の笹や熊手ほどドエライことになっているのが面白い。

母方の祖父母が大阪市内で商売をしていたので、
小さい頃はよく年明けに親戚たちと祖父母の家に集まり、
そのまま数日泊まって今宮戎のお祭りを楽しんだ。

まずは、昨年一年間、家に飾っていた古い福笹をおかえしする。
そして新しい福笹を購入してお参りを済ませれば、
あとは私たち子どもが楽しむ時間だ。

パチもんくさいキャラクターが描かれた
スーパーボールは比較的よくやらせてもらえた。
人気キャラクターが描かれた袋に入ったわたあめ。
あれは親に買ってもった記憶が本当に一度もない。
りんご飴は私がいつもいちばん大きいのをほしがった。
一度、念願叶って買ってもらえたことがあるけれど、
キラキラした飴の部分を食べ終わる頃には
実の部分が茶色く変色し、
食べきれずに持てあましてしまい、母に叱られた覚えがある。
ただ、どれももう、何となくでしか思い出せない。

その中で、驚くほど鮮明に思い出せる記憶がある。
飴細工のおっちゃんの店だ。

いろんなモチーフの飴細工が並ぶ、赤い布が巻かれた出店。
おっちゃんがやわらかく練った白い飴を、
その場で犬やサルなどに変身させてく様子がとても面白く、
私をはじめ、毎年たくさんの子どもたちが足を止め、
親に手を引っ張られていた。

パン生地のように飴を自由に捏ねてかたちを整え、
パチン、パチンと何箇所かをはさみで切って、
ちょっと伸ばしたり曲げたりして、
筆でちょんちょんと紅い色をつければ、
ほら、うさぎの出来上がり。

その鮮やかな動きにとてもワクワクして、
毎年決まって祖母か母に欲しい欲しいとせがんで、
毎年きっちりダメだと断られていた。

わたあめやりんご飴もそうだけれど、
手に入らなかったものほど記憶にのこってしまうのは人間の性だろうか。

憧れの飴細工。一度でいいから食べてみたかった。
でも、ある程度大きくなり、自分でお小遣いの管理が
できるようになった頃には、
えべっさんで飴細工のお店は見かけなくなってしまった。
私があのおっちゃんから飴細工を買うことは、
恐らくもう一生できない。

でもきっと、りんご飴も、何なら千歳飴だって
食べきれなかった私のことだ。
買ってもらえていたらいたで、
「おいしくない」といじけていたような気もする。
そう考えると、あの鮮やかな手つきと
手の届かない位置に飾られたいくつもの飴細工を
楽しい思い出として懐かしんでいるぐらいが、
私にはちょうどいいのだろう。

今でも今宮戎に行けば、
変わらず必ず聞こえてくるぴーひゃららの笛の音と、
「しょ〜ばいはんじょう、ささもってこい」の賑やかな音頭。
あれを聞くと私は、おっちゃんの華麗な職人裁きを思い出すのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?