nakamura

うっかり生きてたい

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最近の記事

「夏物語」

川上未映子 著 「乳と卵」の語り部のその後でもあり、これまでについても詳しく語られている。 AID、精子提供による子供を考え始める夏目夏子が、人と出会い、問い、話を聞き、傷ついて、喜んで、を重ねていく。 善百合子が印象的だ。夏子が善百合子を呼び出して、産むことを決意したことを告げる場面は、絶望的でたまらない。生きていくために生まれてくることを否定することが必要だと、告げる百合子にどんな言葉もかけられない。 途中から一気に読めた。それぞれの登場人物が割合とはっきりした考

    • 「短歌の友人」

      穂村 弘著 7年前に新聞で短歌の記事を読んだ。 「 水仙と盗聴、わたしが傾くとわたしをめぐるわずかなる水 」 服部真里子さんによるこの歌が、いくらなんでもわからないよと議論を呼んでいる、という記事だったと思う。 なんの気無しに新聞で上の歌を読んで、本当に目眩を感じ、衝撃を受け、短歌に興味を持ち始めた。 それまで、万葉集や百人一首など、有名な歌はそれなりに知識として知っていはいるものの、感動することはほとんどなく、なんなら「うまいこというなあ」とか「言葉選びが上手いな

      • こじゃれると大切なことが薄まったりなくなったりすると感じるのでいやなの

        • 先日見た映画。人と楽器だけで、楽器もコードに繋がれていないから、みんながマーチングバンドのように吊り具をつけて動き回る。舞台のラスト、楽器を下ろして手ぶらになり客席にお辞儀をするシーン、上から写しているので、吊り具の汗染みが翼にみえる。ブワッと感動。

        「夏物語」

        • 「短歌の友人」

        • こじゃれると大切なことが薄まったりなくなったりすると感じるのでいやなの

        • 先日見た映画。人と楽器だけで、楽器もコードに繋がれていないから、みんながマーチングバンドのように吊り具をつけて動き回る。舞台のラスト、楽器を下ろして手ぶらになり客席にお辞儀をするシーン、上から写しているので、吊り具の汗染みが翼にみえる。ブワッと感動。

          言葉に引っ掛かる

          「文化資源」という言葉があって、「人間が生みだしてきた多様な文化の総体を、資源として捉えよりよい社会の実現のために有効に活用していこうとするもの」だそう。資源という言葉に引っ掛かりを感じてしまう。

          言葉に引っ掛かる

          「土に贖う」

          河崎秋子 著 短編集 北海道の農産業の移り変わりをもとに、時間の変化の中でこれまで信じていたものが失われていく物語。 崩れ去ったもの、形を変えて続くもの、があり、目が離せない。 誰もがただ生きていたいだけなのに時代とか経済とかに流されるままだ。 それでも強い。人って強い。

          「土に贖う」

          「記憶する体」

          伊藤亜紗著 いろいろな障害や、「欠損がある」と定義されている人たちの体とのつき合い方。記憶していく体とのつきあいの実践について。 その体の、他には変えがたいローカリティ。 その成り立ちを記していく。 体の記憶とその体らしさが、深い理解を重ねながら積み上がっていく。 (自分が言うところの)「多様性」とか「他人を理解する」とかいう言葉が軽々しく思えてくる。 人ってすごい。

          「記憶する体」

          「持続可能な魂の利用」

          松田青子著 ある日、「おじさん」の世界から少女たちが消えた。 おじさんに少女が見えなくなったが、少女たちにおじさんは見える。 冒頭の序章のようにも読める部分。おじさんが見ることができなくなった少女たちは、うっとりと復讐をし、その対策としておじさんが決めた制度の中で、ある土地が専用の居住地として割り当てられる。少女たちの世界から「おじさん」が消える。 闘う気持ちを持つにいたった少女、闘う道具を持っていた少女たち、消費される自分を感じていた少女たちが「おじさん」の世界に革

          「持続可能な魂の利用」

          「江戸の読書会 回読の思想史」

          前田勉著 江戸時代の封建社会、身分性のある社会で、回読は対等に相互コミュニケーションをとり学ぶ。自発的な任意の結社の中での討論が行われる。 立身出世とは関係がないことで、自由闊達な学びが発生した。 道徳から政治を論じるようになり、明治に入ると西洋から入ってきた教え方(体系的な教育)が主となって、回読がすたれていった。 インターネットの理想は「縁を離して論じ合う」回読と同じじゃないか。

          「江戸の読書会 回読の思想史」

          山風ってよべない

          山田風太郎の小説を読むようになって、すっかり虜になったのは、短編集の面白さによったと思う。 長編ももちろん文句なく面白いのだけれど、短編に描かれる人の愚かさやくだなさは、心に刺さるようで、はっとさせられる。 ひととおりの作品を読んだ頃、山田風太郎は「山風」と呼ばれていることに気づいた。気づいたのは漫画のタイトルに「山風の…」とついていたから。 気づいて以来、山風と称されていることを見聞きする機会が増えた。 えっそうなの?親しみを込めてそう呼ぶの?ファンならそう呼ぶべき

          山風ってよべない

          今夜の月

          皆既月食の夜、雲が多くてぼんやりとしか見えません。 月食というよりも、新月から満月までの色々な月がうっすら見えているような感じです。 坂田靖子さんの短編漫画に「月と博士」という作品があって、月をこよなく愛する博士が、一晩のうちに月を満ちて欠けるようにする機械を発明し、毎晩楽しんでいると…という話なのですよね。 今夜の月食はまさに博士が発明した機械の作り出した、一晩で満ち欠けする月。そんな感じ。 月食は薄曇りでよくわからないけれど、少々得した気分になりました。

          今夜の月

          COCOAが現在信頼できるくらいに動いているのかどうか知りたいのだけれど。 どうなんだろ

          COCOAが現在信頼できるくらいに動いているのかどうか知りたいのだけれど。 どうなんだろ

          「原子力時代における哲学」

          國分功一郎著 ハイデッガーの「放下」を読みながら、反原子力を考えていく。 政治的には、原発はコスト高で廃棄物処理も未解決である、で主張でき、それをドグマ(教説)としてもよいが、それだけで止まってしまっては、反原発信仰であり、原子力信仰と変わらない。 原子力の根拠、なぜ原子力に惹かれるのか(惹かれる人が多いのか)を考え、そこに至る道を体験しなければならない。 そもそも放下をこの本で初めて知って、もちろん理解できないのだけれど、対話によって思いがけずにやってくるものを待つ

          「原子力時代における哲学」

          「あひる」

          今村夏子著 何もいわずにあひるの「のりたま」が新しいアヒルに交換される。そしてそんなものだとみんなが思っているに二重性。 子供の普通?の残酷さ、家族の問題のすり替え、忘れられるあひるとみにくる子供たち、そんなことを全く気にすることもなく、新しい興味に向かう。 居心地が悪いけれど、そういうものだという感じ。2つの違う気分の間を行ったり来たりする。 今村夏子さん、待つかいのある作者だ。 短編集 「あひる」「おばあちゃんの家」「森の兄弟」の3作 おばあちゃんの家と森の兄

          「あひる」

          「今日も思う通りに生きよう」とうちの猫が言っている気がする。

          「今日も思う通りに生きよう」とうちの猫が言っている気がする。

          「文房具56話」

          串田孫一著 文房具を取り上げたエッセイ集 ひとつひとつの文房具についての思い出や逸話を書いたもので、文房具雑誌に連載されたそう。 戦時中のもののない時代の前後、あっさりとなくなってしまう「文化」を静かに語っている。 文化的役割を持ったものの欠乏によって、守るべき(?)文化があっさりと忘れられて平気でいる。 今に置き換えると、ものがないことよりありすぎて忘れられるのかもしれない。どこかで誰かが、忘れない役割を引き受けているのだろうか。 気軽に読めるけど、後からずしん

          「文房具56話」